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創造する力はどこから生まれるか


「優れた作品を生み出すためには何かすばらしいインスピレーションが必要だ」

あなたは有名な芸術家たちによって生み出された作品を見て、そう思ったかもしれません。

たしかに「天才」と呼ばれる人の中には、常人には理解できないような「ひらめき」が浮かんでいることがあります。

ちょっとした「ひらめき」も見逃さないほど鋭敏な神経を持ち合わせている人も多いかもしれません。

しかし、どんなに優れた「天才」であっても、頻繁にすばらしい「ひらめき」が浮かんでくるわけではありません。

それは人生で一度か二度あるかないかの滅多にないチャンスだといえるでしょう。

では、優れた作品を生み出すためには一体何が必要なのでしょうか?

偉大な芸術家のエピソードを参考にしながら、創造する力の源を探ってみましょう。

人は誰でも独自のイメージを作り上げている

日本の前衛芸術家として知られる岡本太郎は、著書「今日の芸術」の中で「見ること(鑑賞)」が「作ること(創造)」になりうることを指摘しています。

そのとき、はたしてあなたは画面の上にある色や形を、写真機のレンズが対象のイメージをそのまま映すように見ているかどうか、考えてみれば疑問です。あなたはそこにある画布、目に映っている対象をみていると思いながら、じつはあなたの見たいとのぞんでいるものを、心の中にみつめているのではないでしょうか。(『今日の芸術』「絵はすべての人の創るもの」より抜粋)

たしかに私たちは、同じ作品を見た場合でも異なる感想を抱くことがあります。それはどちらかが正しいか正しくないかという問題ではなく、あくまで見る側の感受性が影響した結果だといえます。

そしてその感受性が人によってさまざまなであることを考えると、私たちは作品を見ることを通して独自のイメージを作り上げているといえるのです。

「独自のイメージ」を創造に活かす

岡本太郎が述べた「独自のイメージ」についてもう少し考えてみましょう。

ごく一般的な人の場合は、その「独自のイメージ」は具体的な作品作りに役立てることはありません。それはその人の心を豊かにするものであっても、すぐに芸術的なものにはならないのです。

しかし、本当に創造性が高い人は、その中から自分に必要なものを一瞬で見抜き、本能的につかみとっていきます。

岡本太郎はかつて天才画家パブロ・ピカソの家を訪ねた際に、ピカソの影響で描かれたと思った作品が、実はその土地にもともとあるものの影響を受けて描かれたものを知って驚いたというエピソードを残しています。

あの首の長い鳥だとか、奇怪な動物の形の水さし等は、してみると全部がピカソの創造ではなかったのだ。だが、それが何となくなまなましく百パーセントピカソ的に生きているではないか。成る程ピカソは偉大な創造者であると同時に、常に云われて来たように、実に巧みに他から摂取する驚くべき応用の才の持主だと今更感じいった。(『青春ピカソ』「ピカソとの対話」より抜粋)

ピカソは完全に「無」の状態から作品を生み出しているわけではなく、何かを材料にし、それを応用することで独自の作品を創り上げていたのです。

このことは、たとえどんな天才であっても、完全に「無」の状態から何かを生みだしているわけではないことを物語っています。

創造とは「発見する力」「再解釈する力」

ただし、ここで注意しなければならないことは、ピカソが行っていることは何かを模倣することとは全く違っているということです。

岡本太郎はピカソが日本の字だといいながら、全くのデタラメの文字を墨皿に描いていたのを見て、以下のように述べています。

さて、以上のような事情で判断すると、墨絵について日本に伝えられたことは全くの正反対だということになる。(中略)となればピカソの言は伝統云々とは無関係である。しかもその仕事ぶりは伝統的墨絵の約束など全く蹴トバシた、傍若無人なやり方である。第一彼のような男が人に何々すべきだ等と云う筈はない。自分がやるということ、それだけが彼の総ての問題なのだ。(『青春ピカソ』「ピカソとの対話」より抜粋)

生前ピカソは日本の浮世絵(特に江戸初期の墨絵)に高い関心を寄せていました。おそらくピカソは日本の墨絵から何かを感じ取り、それが持っている「良さ」を独自の視点で発見したのでしょう。墨絵の文字がデタラメであったことを考慮すれば、その解釈も完全に彼独自のものであったことが分かります。

つまり、日本の墨絵はピカソというフィルターを通して、まったく新しい作品に「再構成」されたのです。

このように優れた芸術家は、自分独自の視点で他の作品の良さを見抜くだけでなく、独自の解釈をすることによって、全く新しい作品を生み出しています。

これは創造性が高い人であればあるほど、何かを感じて「発見する力」と「解釈する力」が備わっていることを意味します。

私たちの大部分は、多くの人に認められているような作品を高く評価する傾向があります。そして、その解釈も学識のある専門家によって述べられたことをそのまま信じ込んでしまう傾向があります。

しかし、本当に創造的になるためには、有名無名に関わらず、自分自身が心の底から「いい」と感じたものを受け入れなければなりません。そして、それのどこが素晴らしいのかを自分自身で徹底的に解釈する必要があるのです。

自分自身の感性で感じたものを信じ、そのまま受け入れるということ。

そしてそれと真剣に向き合い、全身全霊で対峙するということ。

創造する力は、そういう純粋でありながら激しい衝突の中から生まれてきます。




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