ジョン・チーヴァー 『巨大なラジオ/泳ぐ人』

 黄色い表紙の短篇小説には外れがないという根拠のない信憑があるのですが(とはいえ、他に思いつくのはミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』くらい)、この本もその例に漏れず、当たりでした。

 チーヴァーは40年代から70年代に雑誌ニューヨーカーを中心に活躍した作家で、僕はレイモンド・カーヴァー絡みで名前を知りました。解説にも書いてありましたが、二人ともアルコール中毒になった経験があり、ひところは一緒に浴びるように飲んでいたそうです。
 そのせいか、切り詰めたクリスプな文体の作家だと思いこんでいましたが、読んでみるとそうではなくて、勝手に意外に感じました(実に勝手ですね)。

 訳者は村上春樹。18篇の短篇と2篇のエッセイ、巻末には柴田元幸氏との対談解説が載っています。本文は二段組なので、厚さに対して分量がたっぷり。読み応えがあります。お得。

 アメリカのクノップフから出ている『The Stories of John Cheever』から村上春樹が選んだ18篇だそうですが、どれもおもしろく読めました。代表作はもちろんのこと、掌篇というべき短いものまで質が安定しています。選別眼の賜物か、チーヴァーの実力なのか。いずれにせよ、すごいことです。

 リアリズムに則った作品からカフカの短篇のように現実が捻れた方向に向かうもの、おかしな笑話まで、スタイルは様々です。過不足のない文体と通底する不穏な空気が相まって、ジョン・チーヴァーの小説世界が形作られています。何篇か読むだけでも、優れた作家であることがわかります。

 原文を読んでいないのではっきりしたことは言えないし、見当外れかもしれませんが、訳文はわりと文学寄りな印象でした。
 たとえば、どこかで『知悉』という訳語が使われてましたが、あまり一般的な熟語ではないですよね。英語だと何ていうのでしょうか?(know thoroughlyとか?)『熟知』とか『知り尽くしていた』とかいう方がより一般的だと思うのですが、そこをあえて『知悉』という訳語をあてるところに、訳者の意図、ひいては訳者がどう読んだのかが垣間見えます。
 これは軽い読み物ではなく、きちんとした文学作品なんだ、というスタンスのようなものが透けて見えるわけです。そういうところは、実に村上春樹の翻訳という感じですね。

 もっとも、原文を見てないので、絶対そうだとは言えないですけれど。

 最近いろいろ忙しくて読書の時間がとれないのですが、本書は寝る前とか隙間の時間にちまちま読め、しかもどれも満足感が味わえるという優れた一冊でした。

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