チャック・パラニューク 『サバイバー』

★★★☆☆

『ファイト・クラブ』のあと、1999年に出版された本作。翻訳版は2001年出版。訳者は同じく池田真紀子。
 チャック・パラニュークの小説は2005年の『ララバイ』以降は翻訳出版されていません。売れ行きが芳しくなかったのでしょうか?
 2015年に『ファイト・クラブ2』というコミック版がアメリカで出ているところをみると、行き詰まってるのかもしれません。出世作の続編に手を出すのは、最後の手段ですから。

 カルト教団に育てられた主人公が、ハイジャックして自殺するまでを描いた本作。ノンブルが逆に印刷されていて、読み進めていくにしたがって、ページが減り、第1章へと遡っていくという珍しい形式をとっています。

 内容は『ファイト・クラブ』とまったく違うのですが、手触りは同じです。この人の小説に底流している厭世感というか、虚無感にはすさまじいものがあります。

 ところどころに暗喩として出てくる箴言が印象的であり、作品の雰囲気に一役買っています。宗教、テクノロジー、資本主義といったアメリカ(というか現代社会)の抱える病理や負の側面が常に行間から感じ取れます。
 20年近く前の小説ですが、その感覚は現在も変わりないでしょう。それはいうなれば、ポストモダン以降の閉塞感なので、劇的に変わることはもうないわけです。大きな物語が終わったあとの寄る辺なさをどうするか? この問いは、よほど大きな出来事がないかぎり、これまでもこれからもあり続けるでしょう。

 作品自体に話を戻すと、構成やアイデアは独自でおもしろいのですが、どうにもしっかりまとまりきれていない印象があります。前作『ファイト・クラブ』と同じく、もうひとつ骨太な文学作品になりきれないのはそのあたりが原因ではないでしょうか。
 話の展開に淀みはなく、ページをめくらせるための引きもあります。けれども、読後に持ち重りのするものが欠けている気がします。

 それをメッセージやテーマ性といったことばでまとめたくはありません。それではあまりに定型的です。
 あえてことばにするならば、意志でしょうか。世界を善きものにしたいという意志。優れた文学作品には、そういったポジティヴなものが潜んでいます。たとえ、一見そうは見えなかったとしても。チャック・パラニュークにもそういった要素がないわけではないのですが、なんというか、かなり個性的なかたちをとりすぎているように思えます。

 もう少しですばらしい文学作品になると思うので、口惜しいです。
新作が出るごとにきちんと翻訳版が出るくらいに扱われるには、あと一歩が足りない気がします。その一歩が、チャック・パラニュークをカルト的な存在にしているのではないでしょうか。

 悪くない小説ですが、文学作品としては足りないものがあります。よくも悪くもサブカルチャーの範囲に留まってしまっている気がします。そこがパラニュークの長所でもあり短所なので、ブレイクスルーするための要素を補うのは簡単ではないように思えます。

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