チャック・パラニューク 『ファイト・クラブ』

★★★★☆

 1996年に出版、1999年に映画化された小説の新版です。2015年にハヤカワ文庫から出ました。訳者は池田真紀子。アーヴィン・ウェルシュの『トレイン・スポッティング』などを訳されています。

 ブラッド・ピットとエドワード・ノートン主演の映画の方で記憶してる人がほとんどだと思います。あのビジュアルは最高にかっこよかったですから。特にブラッド・ピットが演じたタイラー・ダーデンはいまだにカリスマ的人気を誇っているそうです。

 また、作品中に出てくるファイト・クラブ規則第一条「ファイト・クラブについて口にしてはならない」という科白は、いろいろな作品で使われてるようですね。オマージュというかパロディというか。

 数えてみると20年も前の作品なのですけど、古さはまったく感じられません。小説の優れた点ですね。50年とか100年前の作品でもそれほど古く感じなかったりしますから。

 いまさらネタバレを気にする必要もありませんけど、あっと驚くギミックが仕掛けられています。知らないで読んでいたら、かなり驚かされたでしょう。僕ははるか昔に映画を観てしまったので、残念ながらその驚きは味わえませんでした。口惜しい。
 ちなみに、字幕抜きで観たため、当時はいまひとつ話が掴めませんでした。特にブラッド・ピットとエドワード・ノートンの関係性が「?」でした。ひょっとして、こういうことなのか?と首を捻った記憶があります。
 関係ありませんが、映画の科白のリスニングというのはすごく難しく感じます。僕は全然聞き取れません。たとえ知っている単語やフレーズでも上手く耳をチューニングできないんですよね。

 閑話休題。

 さて、本作ですが、かなり偏った文体を持つ偏った小説です。僕はけっこう好きです。アーヴィン・ウェルシュやチャールズ・ブコウスキー、トム・ジョーンズ、クレメンス・マイヤーなどと同じ系統に入るでしょう。本流というよりは亜流(というと失礼ですが)という感じの、かなり癖の強い作風です。
 忘れられた人々、社会の底で生きる人々、そういった世界をすくいあげているので、敬遠する人も少なくないかもしれません。ある種露悪的なところもありますから。
 でも、上記の作家たちに共通している点ですが、目を背けたくなるようなことを描きながらも、その眼差しはとても優しいです。底辺を知っているからこそ、人間を見つめる目に深い哀しみと慈しみが宿っています。逆に言うと、この視線がなければ、単なる下世話な書き物になってしまうでしょう。

 さらに共通しているのは、強烈な文体とドライブ感があるところです。アクセルを踏みきるような、アンプをフルテン(すべての目盛を最大にすること)でギターをかき鳴らすようなパッションがあります。優しさと衝動が矛盾することなく同居しているところが、極めてロックンロール的です。

 本人の解説にあるように、シーンがどんどん飛んでいくジャンプ・カットが多用されています。主人公が不眠症を患っており、現実感が曖昧であるところと相まって、この手法は非常に効果的です。いくぶん、よくわからなかったり、説明不足だったり、前後とのつながりが不明だったりしますが、その辺は作風ということで受け入れるしかないでしょう。

 この新版は装丁もクールでよいです。もう一度映画の方も観てみようと思っております。

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