三茶その2_190210_0024

2003年、18歳、三軒茶屋。~Complicated~【東京シモダストーリー第2回:後編】

ついに第1回で書いた、渋谷区桜丘町の道が“廃道”になりました。
ハイドウ。そんな言葉、初めて聞きました。
ということでこれは、東京に生まれ33年間を生きてきた僕・霜田明寛が、消えゆく平成の東京を、当時のカルチャーと交えながら綴っていくエッセイです。 
2回目の三軒茶屋編は、前編・中編・後編の3部作になってしまいました。
嵐の『できるだけ』を聞いていた高3の僕の話を中編で書いて、
後編にもというか、むしろ後編で主にその話が出てくるのですが、
さあ今日アップしようかなと思った2019年1月27日の夕方、嵐の活動休止の発表がありました。

その日はショックで何も手につかなかったのと(動揺の様子はこちらのVoicyをどうぞ)なんだか話題に便乗しようとしているみたいで嫌だし、事態がつかめなかったので、少し間を空けることに。
とはいえ、嵐の要素を削ると、僕じゃなくなるし、感情に整合性がつかなくなるので、そのまま出すことにしました。
「悲惨な時代だって言っちゃってる」と、メディアの報じる今を俯瞰で見ることができるようになった中2、「できるだけ僕のままで」いようとしたこの高3etc……この先もキリがないですが……。
改めて、嵐で、嵐の曲で、サクラップで、自分の人生の価値観ができあがっていることに気づきました。
僕が誰かを好きになったり、何かを決断したり……自分の人生のバックにはいつも嵐の曲が流れていた気がします。
もちろん、このエッセイは初回がポルノグラフティだったように、ジャニーズ縛りでも嵐縛りでもなんでもないのですが、思い出すと、流れていたのは、ここで書いたような曲だったのです。
ということで、まずは前回のおさらいから。
高校3年生の夏、三軒茶屋のはなまるうどんで一緒に過ごした誕生日から、なんとなく毎日一緒に帰るようになったユウくんと僕。そして、僕には後輩の彼女ができ講堂裏で日々を重ねていた。そんな中、休み時間にいつものようにユウくんと並んで小便をしていると、ある一言を突きつけられます。【第2回前編:2003年、17歳、三軒茶屋。~初カノSUMMER GATEが抜けられない~】はこちら!
【第2回中編:2003年、17歳、三軒茶屋。~できるだけ僕たちのままで~】はこちら!


「霜田くんさ、いつまであの彼女みたいなのと一緒にいるつもりなの?」

驚いてユウくんの顔を見る。その身長差ゆえに、真横ではなく、右斜め上にある彼の顔に、僕は視線だけを移動させた。彼は隣の僕を見ることなく、前を向いていた。
トイレの小窓から降り注ぐ木漏れ日がユウくんの顔を照らしている。外で木が揺れているのか、照らされる位置が瞬間ごとに変わって、表情が見えづらい。そして、言葉を続けた。

「あと何回、俺らで昼飯が一緒に食べれるかって話だよ」
責める口調でもなく、諭すでもなく、ただ心から出てきた言葉を純粋にぶつけられた気がした。「あ、ああ……」とだけ言って、僕は何も答えることができなかった。

たしかに、彼女ができてからというもの、僕は登下校と昼休みというユウくんや男友達と過ごしていた時間を、なんの躊躇もなく彼女にまわしていた。そのことに意識すらまわっていなかった。

いつもは男子6人で机を移動させて囲むようにして弁当を食べていたが、そのうち2人が講堂裏コースをとるようになったため、彼らは4人で弁当を食べていた。
そして卒業まで4ヶ月、受験があるから実質1月には授業が終わる。
一緒に過ごせる時間はいつの間にか、あとほんの少しになっていた。
そのことにも気づけずに、なんなら昼休みに講堂裏に行けている2人のほうが“勝った”気にすらなっていたと思う。

まだキレてくれたほうがラクだった。そうしたら反論したはずだ。
あのテンションだったからこそ、その日中ずっと、その言葉と、悲しそうな目が頭から離れなかった。
いつもにも増して、午後の授業の内容は耳に入ってこなかった。


その日の帰りは、彼女の部活が終わるのを待っていたために、5時近くになっていて、いつのまにかあたりはもう真っ暗になっていた。
校門を出て一緒に帰る。僕は自転車をひきずりながら、彼女はその横を歩きながら。
何か食べようという話になって、商店街もそろそろ終わってしまうと思ったところで、左手のビルの2階にオムライス屋を見つけて入ることにした。
1階に掲示されたメニューには1000円弱くらいの値段が書かれていて、ここなら大丈夫そうだ、と思って階段を上がる。

もう少しで12月というその時期には店もクリスマス仕様で、少し暗めの店内には、電飾で簡単な飾り付けがされていた。

2人で向かい合って座る。全面がガラス張りになっていて、少し上の視点から見える三軒茶屋の商店街は、見慣れているはずなのに、少し違った街に見えた。
校門を出てからずっとしようと思っていた話をいつするかで頭が一杯で、味を感じられないままオムライスを食べ終わる。スープもなくなった頃、やっと僕は切り出した。

「あの、ごめん、ちょっと……毎日のお昼なんだけど、卒業まで少しだし、友達とも一緒にいたいから週1くらいにしてもいいかなあ?」

「あ、うん、いいよ」
驚くほどあっさりと彼女は答えた。それまで1日、どう伝えるか悩んでいたのが滑稽に思えるほどに。

店内で流れていた曲が切り替わり、切ないアコースティックギターのイントロが流れる。
彼女が言う。
「あ、Avril Lavigne……好きなんだよね」

「あ、アブリル・ラビーン?」
彼女の発音が良すぎて、うまく聞きとれない。僕はそもそも洋楽をよく知らなかった。

「Avril LavigneのComplicated。たぶん、同い年くらい」

「……コ、コンプ?なに?」
1コ上にもかかわらず 英語が1回で聞き取れない僕を不憫に思ったのか、彼女はテーブルの上においてあった紙ナプキンをとって、そこにパッと取り出したシャーペンで「Complicated」と綴りを書いた。

2人の会話は止まって、その曲をじっくりと聴いた。
意味はよくわからなかったけど、なぜだか自分のことを歌ってくれているような気がした。


田園都市線の地下の改札で、彼女を見送った後、僕は自転車をとめて、三軒茶屋から、新宿にある塾に向かうために、世田谷線の駅に向かった。
歩きながらMDプレイヤーの電源を入れる。
当時のMDディスクは、少し長いもので80分は録音できたのでアルバム1枚にシングルがカップリングにカラオケまで全部入れると大体ちょうどよく収まった。
ジャンルの違う曲をごちゃ混ぜにするのは嫌だったので、僕はそのディスクに、嵐の3枚目のオリジナルアルバム『How's it going?』と、NEWSのデビューシングル『NEWSニッポン』とジャニーズの曲だけを入れていた。

『NEWSニッポン』はついこないだセブンイレブンで予約して買ったばかりのものを、『How's it going?』は夏に数日だけつきあった彼女が貸してくれたCDを家のMDコンポで録音した。

「翔くんが世界で1番好き」と言っていた彼女だった。
僕の櫻井翔への感情は嫉妬ではなく「ちゃんと僕も翔くんのような男にならなければ」だった。

「洋楽を知ってるのもかっこいいけど、やっぱりジャニーズが落ち着くんだよな。あのコはジャニーズの話ができたからよかったな……」とひとり前の“彼女”を思い出しながら、イヤホンとMDプレイヤー本体をつなぐリモコンのプレイボタンを押す。
MDコンポで手打ちした曲名がカタカナでディスプレイに表示される。

『デキルダケ』。学生のときはパッとしなかった奴が、大人になって輝いてる、という描写のある曲だ。終盤は、大野くんがソロでサビを歌い上げる。

変わっていくことを何故
僕らは恐れるのかなぁ
変わらないものを笑うくせに
できるだけ僕のままで
いたいと思える日々を
未来の僕はどんなふうに
振り返るんだろう

世田谷線は、他の鉄道では考えられないほどに、車窓から目の前の建物への距離が近い。
生活している人たちの息遣いが感じられそうな距離感で景色が移ろっていく。
道路に差し掛かって、車が行くのを待つために、電車が止まった。

僕はこれから、僕のままでいられるのだろうか。
それとも、彼女ができて、みんなとの時間がなくなったことにも気づかなかったように、自分が変わったことにも気づかずに、大人になっていくのだろうか。

山下駅で降りて、小田急線の豪徳寺駅まで歩いて、そこから新宿に向かう。
新宿駅南口を出て、サザンテラスを横目に見ながら、ビルの8階にある新宿Z会を目指して、エレベーターを登る。

教室にはユウくんが先についていた。
7月にはツルツルの坊主だった頭も、中途半端に四方八方に伸びておさまりがつかなくなり、決してオシャレとはいえないライオンヘアーになっていた。

声をかける。
「来週からさ、塾も一緒に来ようぜ」
少しの間があったあと
「おお」とユウくんが嬉しそうに笑う。

僕は恥ずかしくなり、髪の毛の話に話題を変える。
「てか、気づいたらユウくんの髪の毛、小泉首相みたいになってるぞ」

隣の女のコが「ホントだね、霜田くんの帽子貸してもらったほうがいいよ」と言いながら笑った。
健康的に焼けた肌に、白い歯が覗いた。
ユウくんと僕が3年間、高校のミスコン出場者の推薦用紙に名前を書き続けたコだ。本人はそれを知らない。

「あ、てかグッチじゃん! 被らせて」
帽子は、母が18歳の誕生日に「そろそろブランドものもいいんじゃないの」と言ってくれたものだ。
親からもらったブランドものを、よくわからず身につける恥ずかしさも少しあったが、ジャニーズのオフショットを載せる雑誌を立ち読みしていたら、ジャニーズJr.の亀梨クンが同じものを被っているのを見つけてテンションが上がった。
帽子を渡すと、そのコはそっと自分の頭に僕の帽子をのせた。
「どう?似合う?」

高校ではクラスが違うこのコと、ユウくんと3人で喋れるのは週1回のこの塾の小論文の授業の前の時間だけだった。
2人の時間も、3人の時間も大切にしたいと思った。

席につくと、カバンから電卓みたいな電子辞書を取り出す。そして、授業が始まる前に、さっきの紙ナプキンを取り出して、打ち込んだ。

Complicated:複雑な

と表示された。

その後結局、彼女と昼食を食べたのは1回だけで、クリスマスのプレゼントをどうするかギリギリ動き出す必要のないタイミングで、僕は彼女にメールで別れを告げられる。
そこには、最初に僕にメールアドレスを聞こうとしたのは、実は僕の友人である野球部のイケメンとつながろうとしたから、という聞かなければよかった出会いの理由まで記されていた。
そのイケメンがユウくんではないことだけが救いだった。
さらに年が明けた1月には「別につきあったとは思ってないから」というダメ押しのようなメールも届いた。

はなまるうどんがその後どの街にも溢れていく一方で、三軒茶屋店は、ほどなくしてなくなった。オムライス屋はその後7~8年はもったが閉店し、いまだに空き物件のままになっている。
今では自分で躊躇なくトッピングを買ってのせられるくらいにはなったけど、あのとき以上においしいはなまるうどんには出会えていない。

スマホですぐに歌詞が検索できるようになってから、ある日、街なかでComplicatedが流れてきた。
調べるとどうやら、人目ばかり気にしている彼氏が、他人といると、彼女である自分といるときとは別人のようになることを嘆く歌だった。

どうしてそんなに複雑に考えるの?
他人の前と私の前とでは別人のように振る舞うあなたを見るとイラつくの。

10年以上経ってやっと歌詞の意味を知り、18歳の自分は全く“Complicated” ではなかったことに笑う。
あのときの僕は、他人を気にすることなく、彼女しか見えていなかった。
ただ逆に10年の時間の中で僕は、この歌詞の男に近づいて、目の前の本当に大事なコではなく、他人に嫌われないことを1番に意識するような大人になってしまった。

彼女しか見えないときは、彼女は僕を見ていない。
他人ばかり意識しているときには、彼女がちゃんと僕のことを見てくれているということに気づけない。
そんな繰り返しを経て33歳になった。なってしまった。
学ばないまま、同じ過ちを繰り返す。

あの日でさえ複雑に見えた世界は、大人になるにつれて、もっともっと細かい網目で見えるようになってしまった。
あのとき見えていたより、もっともっと世界は複雑で、その絡み合った複雑さを、ほどく方法をずっと探しながら、到底見つからずに、僕はずっと立ちすくんでいるような気がする。

彼女と同じ寮に住んでいた女優は、僕が大学生活をおくっているうちに『スウィングガールズ』『のだめカンタービレ』と主演作がヒットし、一気にスターダムを駆け上った。

今の僕は、さすがにあの頃彼女がもらっていたアクセサリーよりは高いものが買えるようになったかもしれないが、もし今もあの2人の関係性が続いているとしたら、彼女は今の僕には買えないようなアクセサリーをもらっているはずだ。

自分も走ることをやめたわけではないけれど、あの日開いていた差は、縮まることなく、もう取り返しのつかないくらい開いてしまっている気もする。


そして、最後にユウくんとの話。
直前に彼女にフラれ、失意の底で迎えた私立大学受験の日々は、ユウくんとほぼ毎日一緒に帰った。
特に早稲田大学は学部も絞らず、節操なく受けまくったので、3日目くらいには大学の中のどこで待ち合わせるかも自然に決まっていた。
高田馬場駅まで続く受験生の波。
上京組と思しき学生から「お祭りの日しか見たことない人の数だぁ」という声が聞こえても。
2人だと、この波に溺れることはない気がした。

高校の卒業式におそるおそる2人で結果を報告しあうと、同じ大学に通えることがわかった。
教室には浪人が決まった同級生も多いから、2人で大きく声を出して喜びあえたのは、やっぱりトイレだった。

早稲田大学では学部こそ違ったが、サークルまで一緒のところを選んで、昼飯も、ときには夕飯も一緒に食べ続け、帰りは一緒の電車で帰った。
新宿駅の地下の自販機で90円の紙パックのカフェオレをそれぞれ買って、急行で帰るほうが早いのに、各駅停車を待って、2人で座って並んで飲みながら帰る日々が4年間続いた。

「あと何回一緒に昼飯が食べれるかって話だよ」と言ったあの日のユウくんに、絶句した過去の僕の代わりに、今の僕が答えにいくとしたら「500回以上!」が正しい答えだ。

30歳を過ぎた今でも、ときどき会ってはご飯を食べている。
2人だとなぜか酒を飲まないのが暗黙のルールだ。

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