【東京シモダストーリー第1回】2000年、代官山、14歳。~僕たちのミュージックアワー~

「あ、いま僕が見てるこの街、消えるんだな…」
僕が住んでいる渋谷は、どうやら“100年に1度の大規模再開発”らしく、毎日、道路にビルに、いたるところで工事がおこなわれています。

東京に生まれ、33年を生きてきました。
僕の人生の大半は、“平成の東京”でできています。

街と時代が消えていくことを感じたときに、僕が見てきた平成の東京やカルチャーを書き留めておこうと思いました。

それはたぶん「平成の東京」であり「僕の平成」であり「僕の東京」の話になると思います。
僕がこの33年間の東京で出会った人、聴いてきた音楽、あの場所で見た映画。
「てか、ここまで読んだけど、お前誰?え、霜田明寛?余計に誰?」な人ともそれを共有して、何か自分の大事な記憶を思い出すきっかけになってもらえるように、生きてきた東京の街とカルチャーを綴ります。

「平成最後の~!」と妙にテンション高くなるのは苦手な僕なので、せめて、時代の終焉と変化に立ちすくみながら、あのときの街を、あのとき流れていた音楽を、みなさんと一緒に振り返っていけたら嬉しいです。

第1回:2000年、代官山、14歳。~僕たちのミュージックアワー~


2000年の夏、14歳の僕たちは代官山にいた。

学年160人のうち、30人ほどしか高校にあがれないという“名ばかりの附属中学”からの内部進学試験を突破するために、代官山にある進学Z会という進学塾に通っていたのだった。

その年の冬、代官山は月9ドラマ『やまとなでしこ』で、松嶋菜々子演じる主人公が“住んでいると嘘をついていた街”として、金持ちの記号として使われることになるが、僕にとっては “塾のある街”でしかなかった。
おそらくあそこに通っていた中学生の多くが、その場所に特別な価値は感じていなかったように思う。
むしろ、なぜかマックも吉野家もない街の不便さへの違和感が強く、結果僕らは、代官山という街で外食をすることはなく、いつもセブンイレブンでおにぎりやサンドイッチを買っていた。

夏休みは、学校のかわりに、朝から夕方までZ会に通い詰める生活だった。
まだレギュラー放送をしていた『ポンキッキーズ』ではよく大江千里の『夏の決心』が流れていた。
大江千里のことはよく知らなかったけれど、なぜかこの曲が気に入った僕は、馬事公苑のTSUTAYAの中古シングルCDコーナーで100円で買って聴いていた。
ただ、中2の夏休みのはじめには、期待を高めつつも、際限なく思いつく遊びの選択肢を取捨選択する意味での戒めとして聞いていた「夏休みはやっぱり短い」というサビも、
中3の夏には受験勉強を促す言葉にしか聴こえなかった。

9時から16時の勉強のサイクルを幾度となく繰り返したあとの夏期講習の最終日の授業後には、なんとなく皆で遊ぶ流れになった。
誰かが「本当にうまい店がある」と言い出して向かった恵比寿の『九十九ラーメン』は中学生男子8人の襲来に、店内に収容するスペースがなかったのか、道路に面した、よく言えば“テラス”席を用意してくれた。
椅子は6つしかなく、1つの椅子に半分ずつ尻を乗せて、8人で丸テーブルを囲んだ。
その中で一番背の小さかった僕は、2番目に小さい友達と、2人でひとつの椅子に座ってラーメンをすすった。
100円玉何枚かを握りしめてセブンで買った昼食をZ会の教室で共にすることしかなかった僕たちには、1000円近いラーメンを教室じゃない場所で一緒に食べるだけで、なんだか特別なことをしているような気がした。

食べていると誰かが「渋谷まで歩こうぜ!」と言い出す。渋谷を通らずに通っていた僕には、恵比寿と渋谷が隣駅であるという認識がなかった。
どれだけ歩くのか想像がつかず、大冒険をするような心持ちで、山手線の線路沿いを歩く。蝉の声を、電車の走る音がかき消していく。
いや、もしかたら、蝉の声なんてなかったのかもしれない。


「きぃみぃがむぅねを焦がすからぁぁ」
誰かが歩きながらポルノグラフティを歌っていた。
ちょうど鈴木杏が出ていたポカリスエットのCMで流れていた曲だ。僕はその年の春までポカリスエットのCMに出ていた後藤理沙のほうが好みだった。
塾に写真集を持ってきていた友達に頼んで借りてみたが、なんだかいけないものを持っている気がして、親に見られたら何と言っていいわからず、ほとんど見ないうちに返してしまっていた。

ラジオなんてほとんど聞いたことのなかったあのときの僕はラジオネームと言われると“恋するウサギちゃん”しか思い浮かばなかった。
今思えば、20分もすれば歩ける道のはずだが、その時は1時間以上に感じた。汗が背中に滲む。

「夏が熱を帯びてくぅぅ」
別の誰かが加わって歌う。
フェンス越しには線路があって、その先の、山手線でないことだけはわかる、使ったことのない渋谷駅のホームには、大人たちがたくさん立っていた。
僕たちの夏の大合唱は大人たちにどう見えていただのだろうか。
それとも、視界にも入っていなかっただろうか。


照り返すアスファルトの暑さに負けて“小休憩”として入ったセブンイレブンは、店舗の中に階段のある、広い店だった。
誰かが週刊誌を立ち読みしながら言う。「おい、山Pがタバコ吸ってるぜ」「てかゴマキとつきあってるってマジなん?」
同じ1985年生まれで、同じ東京に生きているはずの中学生2人が、僕たちにはものすごく異世界に生きているように感じた。
僕らの線と彼らの線はいつか交わる日が来るのだろうか。
僕らが塾で、進学校で勉強し続けた先に、彼らと交わる未来はあるのだろうか。

コンビニを出てしばらく線路沿いの道を歩くと、見覚えのある『ミュージックランドKEY』のロゴがあった。
バスの窓越しに、歩道橋の上から、看板を見たことはあったが、そこで初めて1階の店舗を見て、そのランドは楽器屋だったことに気づく。
急に見たことのある渋谷が現れた。

渋谷で卓球をしたあと、Z会代官山校舎一番のイケメンだったケイスケと2人でプリクラを撮った。
バスケ部のエースで180cmを越える長身、整った顔のケイスケとの自分の男としての差は14歳でも明確にわかる。
一緒にプリクラ機の中に入ってもらえたことが嬉しかった。それでも一応同じ男だから、差が悲惨にならないように自分がよく見える角度を探した。
その頃のプリクラは全身で撮れるようにはなっていたが、画像の転送なんて器用なことはできなくて、12枚分割を2人でハサミで切った。6枚しかないプリクラはとても貴重だった。
ケイスケのプリクラをくれ、とその後女子たちにせがまれたけど、なんだか友達を売るような気がして、6枚セットのまま、ずっと手帳に入れていた。ときどき、僕はその手帳をひらいては、見返していた。

帰宅してやっていたミュージックステーションでは、Whiteberryというガールズバンドと、Folder5という女子アイドルグループが同時に出演していた。
両方とも、だいたい同い年くらいのコたちで、Folder5には目も顔も丸い女の子が2人いて、典型的な美少女をかわいいと感じる中3の僕は、そっちに惹かれていた。AKINAとHIKARIというらしいことを覚えた。そのあとのWhiteberryを見ながら、顔って残酷だなあと思った。でも、曲はこっちのほうがいいよなあ。
『夏祭り』がヒットし始めた頃、2000年の夏は終わりに向かっていた。


2013年。27歳ではじめて正社員として採用してもらった会社は、恵比寿にあった。
入社して1ヶ月が経った頃、仕事を終えて、近いからという以外に明確な理由はなく、オフィスの前の道路を挟んだところにあるラーメン屋に入った。
店内のカウンター席でトマトチーズラーメンを食べながらふと、急に懐かしい感情におそわれる。
食べ途中だったにも関わらず、慌てて店の外まで出る。見上げると『九十九ラーメン』という看板が掲げられていて、そして道路に面したところに、ラーメン屋にしては珍しい“テラス席”があった。
6コあった椅子は4コになっていた。

あれから、色々な椅子がなくなっていった。
内部進学の椅子に座れた奴と、座れなかった奴がいた。
僕は、内部進学の椅子には座れたが、大企業に就職する、という椅子には座れなかった。
限られた椅子を奪い合うことで、離れていった友達もいた。
あの日みたいに、一緒の椅子に仲良く座る、という選択肢は、気づいたらなくなっていた。
一緒に歩いた7人とは、今は誰とも連絡をとっていない。

代官山校舎は建物はそのまま、今は何かのファッションブランドになっていて、何の因果か、塾のあった代官山で、僕は29歳で初めての同棲をすることになった。
そしてあの日、恵比寿から渋谷まで1時間かけて歩いた線路裏の道は、僕の会社への通勤路になった。一緒に住んでいた彼女ともよく自転車で通った。
だがその道も、桜ヶ丘町の再開発にともなって、2019年の1月7日をもって廃止されるらしい。新しくそこにビルが建つ。渋谷についた目印だった『ミュージックランドKEY』の看板も今は外されていて、まるでそこだけが立ち入り禁止区域かのように、全ての店がシャッターをおろしている。渋谷なのに店の灯りもなく、そこだけが暗い。

あの頃の僕らのアイドルだった後藤真希はいち時代を築いた後に、一旦姿を消し、最近ママタレとして復活した。
ミュージックステーションに出ていたFolder5は解散して、HIKARIは満島ひかりとして女優になった。
一方、ポカリスエットのCMは交代したが、なぜか、都内を走るバスの東進ハイスクールの広告には、いまだに鈴木杏が制服姿で笑っている。最近は母親役をやるようになったらしい。

ケイスケは、附属高校の内部進学試験に落ちて、私立の高校に進んだ。
Seventeenにイケメン高校生として登場するようになり、その後スカウトされて、テニスの王子様ミュージカルに出演。最近では戦隊ヒーローシリーズに、追加戦士として登場していた。
今ならあのプリクラは高値がつくのだろうか。でも、あれだけ頑なに人に渡さなかったプリクラも、今はどこにあるかわからない。
いまだ、山Pやゴマキと人生の線が交わることはない。

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コメント1件

ようやく読めました!何度も言ってしまいますが霜田さんの文が大好きです。東京生まれ東京育ちの霜田さんの、感性豊かなお話をこれからも楽しみにしています。応援してます!
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