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Photo Story|陰陽-いんよう-/Inyo

PENTAX KF f8 1/250s 18㎜ Sizuoka Simada
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「陰陽-いんよう-」

桜の花びらの絨毯に現れた陰陽の境界線

光と影のコントラストに魅入られながら


Photo Story

前回の続き。(写真の時系列で言うと前回よりも前日になります)

桜の並木道を歩いていても、どこの何を撮るのかは結構悩みどころで。

単純に桜を撮ればいいのだけど、桜みたいにたくさん花びらをつけている被写体はなかなか撮るのが難しかったりする。

だからこそ、アンテナを張りながら、個人的な美しセンサーを働かせながらポイントを探るようにしている。

今回は単純に光と影のコントラストの一枚。

具体的にどこがどう美しいなんてものは全く考えていない。

ただ直感的にこの陰陽と花びらの画角が絶妙にいいなと感じて、気がつけばカメラを向けて写真を撮っている。

美しいと思うこと、それだけの話。

僕はもともと絵を描く人になりたかったみたいだけど、いつも思うようなものが描けなくてやめてしまった。

ピアノも弾けるようになりたいなと思ったけど、すごく簡単な曲しか弾けずにやめてしまった。

けど、カメラはどうだろう。

難しいことなんかを一切合切考えることなく、ただファインダーを覗いてシャッターを押す。

それだけで、表現したい世界を切り取ることができる。

星の数ほどいるカメラマンたち。

絶景と呼ばれる写真や、すっごい綺麗な色合いの写真を撮る人たちも山ほどいる。

そんな中で、僕がみている世界の写真は僕にしか撮ることができない。

それがバズるとかバズらないとか関係なくて。

・・・

よくX(旧Twitter)の世界では、他者との比較で自分の写真に嫌気を感じてお休みされる人が多い印象を受ける。

何のために写真を撮っているのかは人それぞれなのかもしれないけど、その人が撮る写真は世界中どこを探してもその人にか撮れない。

それが構図とか色合いとかピントとか細かな技術なんてものは全く関係なくて、いい写真だとその人が思えばそれだけでいいはずなのに。

全てはジャッジメント(価値判断)思考に洗脳されてしまっている弊害なのだろうか。

・・・

いずれオンラインの世界から去ってしまおうかなんてことも考えることがある。

そうなったとしてももちろん、写真活動を続けていく。

たくさんの人に見てもらいたいというのも当然このオンラインの世界にいれば思ってしまうことだけど、僕は自分の撮る写真がすごく好きなので、オフラインだったとしても僕自身がそれを見ることができればそれだけで幸せな氣持ちになれる。

そして、近い未来に僕が撮った写真を現像して部屋の中にいっぱい飾り尽くして、『倖せ世界のアトリエ』を創ろうかなんてことも夢見ている。

幸いなことに、来年あたりに移住を予定している兵庫の方ではそういった改装が必要な建物がたくさんあるようで、どういう場所を改装してアトリエにしたいなぁなんて。

夢はいつだって大きく持っていたい。

続く


ご覧いただきありがとうございました!
どうぞ倖せが繋がりますように。

2024年4月28日


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