見出し画像

人はちゃんと優しい、と信じられた妊婦体験。

品川区から横須賀に越してから、電車に乗る『回数』は減ったものの、乗っている『時間』はかなり長くなりました。

日中の京急車内はそう混雑もなく、おおむね平和な雰囲気ですが、朝夕の混雑時間になると人口密度もアップ。住宅地を走る電車ですから、杖をついたお年寄りや赤ちゃん連れのお母さんも乗ってきます。

私たちがメディアで目にしやすいのは、「そういうときに絶対に席を譲らない人」に対する怒りの声だったりすることが多いものですが、ジッと観察していると男も女も、オジサンもオバサンも若い人も、けっこう「どうぞ」と席を立つ人だって多いのになあ、と思うのです。

私はできるだけ座りたい派です。でも、近くにそういう方がいたら「うー」と内心もがきながら席を立つ。そうするのには、数年前に大切な体験をさせてもらったからです。

私はかつて、3回妊婦になりました。
今はダンナとふたり暮らし。
そうです。どの子も残念ながら生まれることはありませんでした。

初めての妊娠は、まるでジェットコースターみたいに、大きな喜びに盛り上がってすぐにダメになり、気持ちは急降下。それでもまだ希望を持っていた、2回目の妊娠のときでした。

「前はあまりにも今までどおり、仕事ばかりの日々を過ごしすぎたのかもしれない。ちょっとは妊婦らしく、大人しい過ごし方をしたほうがいいのかな」
「気にしすぎると返って身体に悪いと聞くし、ムリしない程度にいつも通り過ごすことが大切かも」

頭に浮かぶ、そのどちらも正解なだけに答えは出せず。結局、まあまあいつも通り仕事をする、という中途半端な状態で過ごしていました。そんなハンパ妊婦の私が、せめてものアピールとして付けたのが『マタニティマーク』。付けている人のお腹をなぐる人がいる、なんて恐ろしい都市伝説も聞きましたが、都心の満員電車に乗ることもある立場として、少しでも身を守ることになればいいな、というささやかな思いでした。

付けはじめて数日後。
混雑する夕方の山手線で、ムワムワと押し寄せるつわりに耐えながら、薄目ぎみに吊り革につかまっていたときのことです。目の前に座ってスマホを見ていたスーツ姿の男性がふと顔をあげました。
そして、私のバッグに付いていたマークを見るなり、すぐさま立ち上がり「良かったらどうぞ!」と、ちょっと驚きの迫力と素早さで声をかけてくれたのです。

正直、気分が優れなかったので「本当に助かります。ありがとうございます」と座らせていただきました。すると男性は少し顔を赤らめて、照れくさそうに、そして少し誇らしげに言いました。
うちも、もうすぐ生まれるんです。だから嫁さんが大変そうで……どうぞ大事にしてくださいね!」
私に気を使わせないためでしょうか、男性はそのままスッと場所を移し、人の間に消えていきました。

打ち合わせ帰りの、ある日の銀座線でも席を譲ってもらう経験をしました。

やはり、吊り革につかまっていた私の前には、50代くらいでしょうか、いかにもバリバリ仕事をしていそうなスーツの男性2人と女性が1人。男女男の並びで座っていました。お互いの顔を見ながら「さっきの案件で言うとさ」と、何やら熱を持って仕事の話をしています。

そのとき、真ん中のメガネをかけた女性がふと私のマークを目にしたのに気がつきました。ハッとして席を立とうとしてくれたのですが、両脇の男性陣が話に夢中なっており、その腰を折らないようにタイミングを計っているようでした。

正直、そのときは体調がよく、立っていても平気だったので「かえってお邪魔だな」と思い、ドアの脇あたりに場所を移ろうとしました。すると女性は「ちょっと待って!どうぞ!」とわざわざ声をかけてくれたのです。

「立っていても大丈夫なので、どうぞそのままお座りになってください」
「いいのいいの、どうぞ座って」
「いえ、大丈夫です」
「気にしないの。ほら、どうぞ」

そんな少しの押し問答の後、私はちょこんと男性陣2名の間に座らせてもらうことに。面白いもので、オジサン2名は私が間に座ったことなど気づかないくらいのイキオイで話をやめず、目の前に立った女性とトライアングル状態で話を続行。

何だか申し訳ないことに……と思いながらすまなそうにしていると、女性はニッコリ目配せをしてくれました。

そうやって過ごした妊婦期間も残念ながら実ることはなく、私はまた自分ひとりの身体に戻るわけですが、でもあのマタニティマークを付けて過ごした短い間に触れた、たくさんの人の優しさを今でもよく思い出します。

混雑でぎゅうぎゅうになったとき、少し身体を傾けてスペースを作ってくれたサラリーマンの人。「あらあ、おめでとう」と肩をなでてくれた知らないおばあさん。ほかにも、もっといろいろ。

不安なとき、具合が悪いとき、人から受ける心遣いがどれだけありがたいか。
身をもって知ることができたあの時間は、少しの悲しさと共に、温かい経験として記憶に刻まれています。

疲れていても、パッと席を譲れる大人でいられるように、キッチリ体力をつけなきゃ!というのがこれからの課題。

はにかみながら「嫁さんが…」と言っていた男性の誇らしげな顔。
いたずらっぽく目配せしてくれた女性の笑顔。

人はそんなに冷たくない。人はちゃんと優しい。
青くさいと思われがちなそういうことを、これからも信じていきたいと思います。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

スキしてくださって嬉しいです。励みになります!
8

木内アキ(ライター)

フリーランスで執筆をしています。北海道出身。2018年秋、思い立って東京を離れて横須賀を拠点にしました。雑誌・書籍・ウェブ・広告分野のお仕事を中心に活動。家族は夫と雑種犬。https://www.take-root.jp/
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。