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暁子猫//高山暁子//堀尾暁子 a singer (tango, folklore etc..) https://akkoneko.wordpress.com/ https://soundcloud.com/akiko-takayama-868895461

最近の記事

雨の日には雨の音を聴こう、の思い出話。

2023.3.23 雨の日には雨の音を聴こう、の思い出話。 高校生の終わりの頃、地元の駅の商店街からすこし道を外れたところにあるインド物のお店の、細くて急な階段を上った店内に、所狭しと迷路のように並ぶ色とりどりの衣装や布をかき分け、窓を望んで座る何席かのカウンターの喫茶コーナーに腰掛けると、目に入る近くの壁の一隅に掛けられた個性的な小さな絵の下に、それは書かれていた言葉で。 「雨の日には雨の音を聴こう」 記憶の穴蔵の壁面に、今も掛かる絵と言葉。薄暗い明かりにぼんやりと

    • 雷というのは不思議な鳴り方をするときが確かにあるというのは知っている。

      雷はあの一度きりで終わってしまった。あめちゃんが押し入れの隙間に隠れる必要もなかった。 雷というのは不思議な鳴り方をするときが確かにあるというのは知っている。 それを感じたのはもうかれこれ15年以上も前になってしまうが、大好きだった祖父が亡くなったときだ。その頃ちょうど舞台作りのためのフィールドワークで、祖父がよく庭のように語った隅田川の界隈の、梅若丸の伝説など調べたりしていた頃だった。祖父はその完成を見ることもなく、夏過ぎ秋の初めに、あっけなく旅立ってしまった。その年の

      • 抵抗のvariation

        新しい戦後に向けて。|akiko_neko|note ✽✽✽ 抵抗のvariation 勧誘と囲い込みによる洗脳、貨幣の供出を迫る作法は某宗教に限ったことではなかったから、彼らも何食わぬ顔で社会の中で生きながらえることが出来たのだろう。 他方で現代はコマーシャリズムが個々人の実存にまで結びついてしまった感のある様相。コマーシャリズムの軽量化。 cell phoneの存在により絶えず中断される思考。 だがその絶えず立ち止まらざるを得ない思考の中で、軽量化され貼り付けら

        • 新しい戦後に向けて。

          2022.12.30 磯崎新さんが亡くなったと、今朝聞いた。 この機会に、近くを通り過ぎながらも読んでいなかった『空間へ』の巻頭、「都市破壊業KK」を読む。 この小さな、起爆剤そのもののような文章が、終戦からたったの17年後に書かれたものであることに驚く。 終戦とは何だったのだろう。戦後、とは。 戦後とは、復興であった。白紙からの、無からの復興、成長、創造、であったとすれば、戦後、とはいつ終わったのか。 磯崎さんの、戦後たった17年後に書かれた都市の過剰、爛熟への予言めく

        雨の日には雨の音を聴こう、の思い出話。

          「弔い/フリーダ、おおばあちゃん、私、母、など。」

          7月初めの日曜日の日、それは前々から予定されていた、身内に誘われて、とても久々に、ミュージカルの舞台、に出掛ける日だった。 ミュージカルの舞台、というのは、少し警戒している。若い頃、同じように身内に誘われ、かの有名な劇団のミュージカルというのをやおら、都会の真ん中に観に行った。案の定というのか、私は全く性に合わず、なぜだか腹立たしさすら覚え、なんとか耐え忍んで終演後、忌憚のないところでそのような感想を述べたが、家族と全く意見が合わず、なぜか多少なり説教されるモードで喫茶店で

          「弔い/フリーダ、おおばあちゃん、私、母、など。」

          瀕死の鳥が

          人はときに心の機微に、触れたくなくて、たとえば悲しみを、哀しみを、受け止めることができず、心を煉瓦のような硬いもので、覆ってしまうことがあるのだろう、それは時にとても高価・高額であったりする煉瓦だ。 心はつねに、堅牢である、というあり方はできない。そうするといつか心は、死んでしまうだろう。 瀕死の鳥が銃を持ち、一つの魂を撃った それは復讐だと 撃たれた魂、それは果たして、人の心を失っていなかっただろうか。人の心を簡単に操れる、そんな怪物のような傲りに毒されてはいなかった

          瀕死の鳥が

          「一葉の碑」

          私の祖母は大正生まれの文学少女で、先日施設で百歳を迎えた。 遠い親戚筋であったか、疎開先であったらしい山梨に折々訪ねていたが、私もよく付いていった憶えがある。あまり泊まった記憶はないのだが、日帰りだったのだろうか。大概電車で、あるときは帰路、祖母と二人だけだった。いつも母が仕事をしていたので、何かというとよく祖母にあずけられ、世話になっていたものだ。そのときも夏の暑い日、なにかの都合もあり、私は祖母の小旅行に同行したのだろう。 祖母は山梨に行くと必ず、「一葉の碑」という場所

          「一葉の碑」

          「ポニョ」

          2022/5/8 ポニョを観たのは丁度娘がお腹にいて、予定日1週間くらい前に公開直後映画館に観に行ったから、あれからもうすぐ14年になるのか‥。初めてのコンプレックスシネマ?みたいなところで、低音がものすごく響くのでお腹の子に影響しないか少し心配しながら観たものだ。娘はお腹の中で音で映画を体験していて、ときどき動いてた‥笑。 あの当時観終わって、ハウルからこのポニョの作品と、少し戸惑う部分もあったように思う。だがその後ほんとうの津波があり、宮崎さんはどう思っているのだろう

          「ポニョ」

          今年の4月/dessin

          今日は息子の学校の懇談会。去年度から引き続きの信頼できる担任の先生でうれしい。 会を終えて校庭の遊具で遊ぶ息子を待ちながら、顔見知りの同級生の女の子と少しおしゃべり。私が白いマスクの隅にピンクの水性ペンで小さい花を付け足しで描いているのを見つけ、少し驚いた様子のあと、「かわいいね」、とほめてくれた。白いマスクだけだとさみしいので、ずっとそうしている。ときどき今日みたいに小さいお友達が見つけて、ほめてくれたりする。

          今年の4月/dessin

          言葉の力

          力を前に無力を感じる言葉、 言葉以上の力を与えるもの、 言葉の力を値踏みしそれを弱めようとするもの 言葉にそれ以上の力を与えるもの、それは連帯と友愛、愛である 誰しもにその持ち場があり、多くの場合、そこから離れることはできない 出来ることとできないことがある 出来ることを行うことが責任である 戦いが起こったときにしなければならないことは 戦いを終わらせること それ以外にあるだろうか 私は彼らではない。 だからこそ連帯しなければならない そして次に大事なこと、 それは

          言葉の力

          穏やかな風に

          穏やかな風に 穏やかならぬ風交じる 来る春に憂いがまたひとつ増え 穏やかな風に 穏やかならぬ心あり 世界が平和でありますように その方向を間違えないように 祈るように 願い その祈りを 輪のように繋げていくしかない 戦火を終わらすには 戦火を 終わらせるしかない 武器ではない 力を合わせることが 戦禍の中にいない我々に 出来ること いつも どこかで戦いに血と涙を流す人々がいる限り

          穏やかな風に

          日記 2022.2.25

          国際社会は過去の過ちを、同じ轍を踏まぬ、越えられる所作を、作法を持ち合わせているだろうか。きっと持っているのだと信じたい。 2022.2.25 もともとパソコン好きな息子はオンライン出席がすっかり性に合ってしまい、今週まで続けた。 学年主任で力のある先生は少人数のオンラインの子たちにもよく配慮、工夫をしてくれたので嫌な思いをすることもなく授業に参加できていた。そろそろ登校させたい‥と思う今週だったがまた隣のクラスで学級閉鎖が出たりしていた。 そんな今年度ももうじき終わ

          日記 2022.2.25

          ドライブ・マイ・カー

          2022/1/23 見ていたほうがいいかな‥と見たドライブ・マイ・カー。しんどい映画ではあった。これだけ手触り感の少ない映画も珍しいのではないか、とも思った。それはある種、見かけではそう見えないSFなのかもしれない、と、村上作品を思い出しながらそう思う。 鏡合わせの大人たちのLabyrinth、喪失の痛み。 けれど我慢強い現代人というのはもう次のステップに開かれていかないと、というメッセージもその裏地から強く発されていると受け取った。あるいはそれは自分の希望的補足的解釈

          ドライブ・マイ・カー

          アダミアニ・祈りの谷

          岩波ホールジョージア映画祭、'アダミアニ〜祈りの谷'。チェチェン紛争の地に暮らす人々、美しい谷の平和と分断の歴史、世界の争いを写す小さな谷の最小単位の'歴史'を、祈りの谷に暮らす人間'アダミアニ'として撮す視点のすばらしい、さまざまな細部を伝え届けてくれるフィルムだった。 闘いへと駆り立てられる男たちの複雑に絡み合った愚かさと、それに痛み、涙し、立ち向かう母たち・女たちの対比を静かに映し出すフィルムでもあった。 監督である撮影者がそこで撮っていることで彼らに与える、また与

          アダミアニ・祈りの谷

          命の値段

          例えば子育てにおける家庭内労働っていうのは贈与に次ぐ贈与で、それが行き過ぎたときにストレスになる、っていうわけだ。 労働というものには常に贈与というものがどこか付随するだろう。ある仕事を完遂するには、ここまでということで成らないものはある。だがそこに過重に期待することは、不当な関係性、搾取を強い、またはストレスを与え個人の尊厳、人権をそこなうということにつながる。 無論すべてを賃金や報酬という対価で量るということは無理なのであって、どこまでそれによって等しくすることができ

          命の値段

          ピロスマニ

          昨日は岩波ホール、ジョージア映画祭。ピロスマニ。観ておきたくて観に行った。多分殆ど、変わっていなかった岩波ホール。 sur reelの技法について。現実を表面からなぞり、視えてくるもの。絵だけを残して、流れるように生きていった画家。ドラマティックとは真逆の画面に、うとうととしそうになると、画面ではいつも、ピロスマニが土埃の乾いた町並みをただその人独特の歩き方、その人のペースで歩いているのだった。 人はどこまで内面というものを、知ることができるだろうか。誰かの人生というもの

          ピロスマニ