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プミポン国王と私

世界で最も在位の長い国王として知られたタイのプミポン国王が亡くなったそうだ。若い頃からタイの農村を巡っては貧しい農民たちを助ける「ロイヤルプロジェクト」という制度を作って生活を助けたり、数百人が死ぬクーデターが起こった際には両方のリーダーを王室に呼びつけて「お前らのやっていることが国民のためになるのか」と叱って一晩で鎮圧させたりと立派な行いをされてきたので、タイでは絶大な人気を誇っていたそうだ。

そういう私もプミポン国王に助けられたことがある。あれは3年前のことで、タイに行く用事があった。観光じゃなかったので、8人分のビザを取らなくてはならなかったのだが、そのビザの取得が難航を極めた。私はビザを取るのは初めてで、タイとのたどたどしい英語でのやりとりの上に送られてくる書類が遅れ、ギリギリに届いた書類は不備があり、結局再送されたのがギリギリすぎて豊洲のDHLまで取りに行かなくてはならなかったりした。

そうやってようやく集めた書類を目黒のタイ大使館に持っていくと「やり直し」と言われて提出しなおしで「もうだめだーーーーーー!!!!!無理ーーーー!!!!!」と半ば諦めかけていた。

最後の最後、これで受け取ってもらえたら全渡航者のフライトギリギリにビザがもらえるというギリギリの日に、再度タイ大使館に出向いた。すると、大使館のビザ受付窓口の脇に、知らないおじさんの祭壇ができていた。

このおじさんは誰なんだろう。一文字も読めないのでまったくわからない。よくわからないけど記帳があってみんなおめでとうかなにかと書いていたので「おめでとうございます」と書いてひととおり拝み、書類を提出して大使館を出た。

出発前日にまた大使館を尋ねると、祭壇は跡形もなく消えていたのだけど、全員分のビザが何事もなかったかのように発行された。あの祭壇は一体何だったのか?狐につままれた気分でとりあえずタイに向かった。

ビザを取って誇らしげな人

現地に着いてわかったのは、その日がちょうどプミポン国王の誕生日だったということだ。とにかく国を挙げて、国民全員が国王様の誕生日を祝っていた。それであのおじさんは国王様だったのだとわかった。

その後もタイの国内線ではプミポン国王のイメージカラーである黄色のバースデーケーキが出たし、

飛行機から見た夕焼けはこの世のものとは思えないくらいキレイだったし、

バンコクについて、タクシーに乗って高速道路からバンコクのまちを見おろしたら、夜になった市街地のあちこちから花火があがっていた。それらはすごく遠いところで上がっているのでミニチュアみたいで、まるでゲームのCGみたいで素敵だった。お誕生日というだけで、こんなに人を幸せにさせる国王はすごい。※そのタクシーのものすごく愛想のいい運転手からはこの世のものとは思えないくらいボラれました

まあそんなこんなで、タイに来るためのことも、来てからのことも、起こったすべての素晴らしいことは、突然祭壇が現れそして消えたプミポン国王によるお助けによるものだったんじゃないか。我々を素晴らしい国であるタイにつれてくるために、そして歓迎してくれるために、導いてくださったんじゃないかと思った。いまタイでは全国民が泣いているらしい。国王様は、ほんとうに偉大な方だった。極東に住むわたしにさえもその力を授けてくれた。

ということで、プミポン国王のご冥福をお祈りいたします。


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