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床の汚れを拭く雑巾

床の汚れを拭くための雑巾ってあるでしょう。わたしってそういう存在なんだろうなあって思いますね。床に何かが落ちて汚れる。アイスクリームとかカレーライスとかペンキとか、そういうものが床に落ちてて取り除きたい。わたしってそういうものを拭くための道具で、それって別にわたしじゃなくてもぜんぜんいいんだろうし。

あの人はわたしが悲しい気持ちになっていて何とも思わないし、そもそもわたしの存在そのものに興味がないから、極端な話生きてても死んでてもどうでもいいんでしょうね。床の汚れを取り除く人がいなくなることは困るのかもしれないけど、わたしがいなくてさみしいとか、そんなこと全然考えもしないでしょう。いなくなったって、気付きもしないんじゃないでしょうか。そういうふうに思っちゃうと、ほんとうにやりきれなくなりますよね。

わたしのことが雑巾にしか見えないんだったら、それはそれでしょうがないと思います。あの人にわたしは雑巾じゃなくて人間だということを話して、脳内で「雑巾」の登録を「人間」に変えてもらうか、それが無理なのだったら、わたしがここを立ち去って、人間として認識してくれる人がいるところに移動するかのどちらか。

そもそもわたしに興味があるんだったら「人間」として認識してくれるはずなので、最初からわたしが間違った場所に居続けているのかもしれないです。わたしという存在は、あの人にとって「魅力的」なものには見えないのでしょう。だから魔法が起こらない。雑巾は雑巾のままです。カボチャは馬車にならないし、カエルも王子様にはなりません。それって相性の問題だから、しょうがないんですけど。興味が持てないものに興味を向けろといっても無理な話です。誰が悪いのでもありません。仕方がないことなんです。

わたしがそれを認めたくなくて、自分で自分を誤魔化し続けていたところもあるんですよね。いつかわたしに興味を持って、人間に見てくれるんじゃないかって。そんなの、単なる独りよがりだし、自分勝手なことなんだっていうのがだんだんわかってきました。ああ、これに気づくまでに何年かかったんでしょう。

そうやって自分に都合のいい蜃気楼を見ることを、やめる時が来たのかもしれないですね。そろそろ。

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