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カバ その9

今日は日曜の夜なので、カバがやってきた。

カバは動物園に住んでいるので、日曜の昼間は忙しい。動物園では、夜はみんなお家にかえってしまって、特に予定がないので、うちにお茶を飲みにやってくる。

こんばんは。

カバはいつも礼儀ただしい。ドアを開けると、うやうやしく帽子をとって、挨拶してくれる。

「お邪魔じゃなかったですか」

日曜の夜は、何もない。日曜の夜というのは、家庭がある人は家族と、恋人がいる人は恋人と一緒に過ごす時間であって、わたしには家族も恋人もいないので、たいてい一緒に過ごす人がいない。

わたしは東京に住む働く独身女性で、一人で暮らしている。そういう人が日曜の夜の遅い時間に行くところはほぼないと言っていいい。自分の借家に帰り、明かりをつけて、時間をやりすごすためにお酒を飲んで、ぼんやりと過ごすのが普通だ。平日のように、忙しさで気を紛らわす気も、なぜか日曜の夜には起こらない。

「今日は何をしていました?」

ソファに座ったカバがわたしに聞いた。わたしは温かいお茶をカバに出して、今日あったことをつらつらと話した。

今日は朝起きて、選挙に行って、専業主婦の妹と一緒に、池袋にちいさな姪と甥を連れていった。彼らはポケモンセンターに行きたがっていたので、連れて行って、ぬいぐるみを買った。お昼にはみんなでお寿司を食べて、夕方になると彼らは家に帰っていった。

カバはマグカップを両手で抱えて、ふんふんと私の話を聞いていた。

一人になったわたしは、すぐに家に帰るのもあまり気が進まなかったので、残っていた仕事をするために渋谷のカフェに行った。別にその仕事だって、明日になってからすればいいものだけど、なんとなく落ち着かない。カフェについたわたしは、大机にパソコンを広げて仕事をした。ある程度時間がたって、ふと周りを見まわすと、同じ大机の向かいにいる人も、隣にいる人も、いま入ってきた人も、わたしと同じ年齢くらいの女性だと気がついた。そしてみんな、パンケーキやサラダを頬張りながら、パソコンを広げて、ファイルをいじっていたり、懸命にメールを書いているのである。

ああ、ここにいるのはみんな、わたしと同じく、日曜の夜にどこにも行くところがない人たちなんだと思った。わたしのように、誰も会う人がいないので、賑やかなところに来てなんとなく「やるべきこと」をやっているのじゃないだろうか。

「そう思ったら、なんだかものすごく怖くなりました」

わたしだけが一人だと思っているのならそのほうがよかった。わたし以外のひとがみんなはじけるように幸福で、ただわたしだけが取り残されているのなら、そのほうが全然気が楽だった。だがわたしは全然特別ではなく、自分が孤独で不幸だと酔いしれることすらできないと思った。

「カフェを出て、駅に向かって歩きました。そうやって見る、渋谷の喧騒は度を越していました。まちを歩く人はみな楽しそうで、群れていて、ネオンがぎらぎらと光っていて、スピーカーからは大きな音が出ていて。さっきのカフェとは違って、ここに寂しい人なんか一人もいないみたいでした」

カバはじっとわたしを見つめた。

「その景色は砂漠みたいでした。ここにはいろんなものがあるけど、ひとつも栄養があるものがない。なにひとつ魅力があるものに見えない。こんなにたくさんのものがあるのに、わたしはそれらのうちのひとつも吸い上げることができず、栄養にすることができない。まるで一滴も水がない、からからの砂漠みたいで、ここでどうやって生きていけばいいのかわからなくなりました。地獄があるなら、きっとこんな感じなんだろうと思いました。生ぬるい地獄です。ここでは、文句を言ったり、反抗したりすることができないんです。わたしはどこにでも行くことができるし、食べ物も水もふんだんにあるし、誰かに何かを強制されることも、突然暴力を振るわれることもない。こんなに幸福だと、文句を言うことすらできないんです」

話しだすと止まらず、わたしはただうなずくカバに向かってとうとうと話した。

「それなのに、わたしはものすごく焦燥している。でもそれがなぜかわからない。明確な暴力なら、泣いてやめてほしいと訴えることもできる。でもここはあまりにも恵まれていて、飢えることも、傷めつけられることも、侮辱されることもない。自由にしてくれと言われても、その自由のやり場がわからない。どこに飛んで行けばいいのかわからなくて、焦燥するんです。この焦燥をどうしていいのか、まったく検討もつかない。そう考えると、ただ見えない炎で焼かれているようです。そういう地獄に、わたしは生きているんだと思いました」

そこまで言ったときに、ようやくカバが口を開いた。

「吉岡さん、地獄というのは何でしょうね」

「ううん何でしょう、すごく不快で、いやで、悪いところです」

「それでは天国とは何ですか?」

「天国は、なににも縛られない、自由なところじゃないでしょうか」

「あなたは既に自由だと言いましたね。天国は、既にあるものですよね。基本的に天国というのはどこにでもあって、地獄は水たまりみたいに、そのなかにぽつんと存在するものです。そして地獄というのは、人間が創りだすものです。人間がいないところには、地獄は生まれません。手付かずの大自然のジャングルでは、肉食動物が草食動物を捕まえて、命を奪い、むしゃむしゃと食べる。でもそれは、地獄ではありません」

「たしかにそれは、地獄だとは思いません」

「あなたは、自分がいるところが地獄にしか見えないと言っている。あなたは何かが目の前に現れた時に、それが地獄なのか天国なのか、そういうラベルを付けているんです」

「ラベルというのは、先入観のことですか。ある程度の年齢になった人間が、一人でいるのがかっこ悪いとか、そういう常識のことですか」

「そうです。それはいままでに作り上げられたシステムが言っていることであって、別にあなたが本当に感じていることじゃないんです」

何も言えないでいると、カバが続けた。

「さらに言うと、あなたのなかで、地獄というのは悪いもので、天国というのは良い物だということになっている。だから、その地獄のラベルを天国に張り替えればいい。もしくは、ラベルを貼ることをやめればいい。目の前で起こっていることが、良いことも悪いこともないんだと思えば、地獄というものはなくなると思いますよ」

なるほどねえ。カバの言うことはよくわかった。わたしが口をひらきかけると、カバはリモコンを握りしめて

「吉岡さん、そんなことより、BSを見ませんか。今日、『3時10分、決断のとき』をやるんですよ。ラッセル・クロウとクリスチャン・ベールのね。わたし、あれ、大好きなんです」

と言った。ああそうだ、カバはBS目当てに家に来ているのだった。彼はセラピストのワークショップに通っているそうで、こうして練習がてら人間の家に来てはテレビを見るのが楽しみなんだそうだ。カバがチャンネルをBSに変えると、ちょうど映画が始まった。カバの耳がピンと立った。興奮しているようだ。

耳を立てながら画面に釘付けになっているカバの向かいに座り、あたたかいお茶を飲みながら見る西部劇は悪くなかった。来週の日曜夜のわたしの気分も、カバの言葉によってちょっと変わるかもしれなかった。



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