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きみはほんとうに”善良”か「ズートピア」

今日、25歳女子に「昨日ズートピア見に行ったんだよ」と言ったら「誰とですか?!あれってデートムービーですよね!」と言われて驚愕した。世間ではズートピアはデートムービーということになっているそうだ。どうりでTwitterで「ズートピア」と検索したら、カップルの自撮りとプリクラ&「ズートピアかわいかった☆笑った〜そのあとハンバーガー食って帰ったおいしかったピース」みたいなツイートしか出てこないはずである。てっきり「人種のるつぼ・アメリカで描かれた、差別をテーマにした真摯な社会的寓話」な映画だと思っていたのに、いつのまにか世間はそんなことになっていたのか... そういえは六本木ヒルズの映画館もやはりカップルでぎっしり満員だった。


※以下ネタバレ含む

この世界では綿密なリサーチにもとづいて、動物たちが社会生活を営み、リアルな大きさで登場する。映画の着想は、「地球上の動物は90%の被食者と10%の捕食者によって構成されている」という生物学の見地なんだそうだ。いままでの動物アニメでは象もネズミも同じスケールで表現されるものだったので、あまりに戯画的すぎてリアリティがなかった。だが動物たちがリアルな大きさを保ち、大きなギャップのある姿で社会生活を送っていると、ひと目で「これは人間たちのことだ」とわかる。「同質なはずのものたちが、まぼろしの断絶に惑わされることを描こうとする映画である」というのがわかるのだ。まずそれで泣いた。

誰も普段「自分は偏見に満ちている」と思って生きていることはない。どんなに強烈な差別主義者でも、あくまでも「自分は完全ではないけど善良」で、「確固たる根拠にもとづいて良識に従った判断をしている」と思って生きている。


物語の中盤まで、主人公のウサギ、ジュディ・ホップスは「ウサギは警官になれない」という偏見にめげず、ウサギ初の警察官になろうとして努力を重ねる立派な人物である。「ウサギなんかに出来るわけないよ」というネガティブな意見には耳を貸さず、自分の可能性を信じ、逆境に立ち向かって、血がにじむような努力をして警官になる夢を叶える。

ようやく警官になる夢を叶えても、やはり「ウサギで女」という生まれ持っての境遇によって、交通違反の切符切りという閑職に追いやられてしまったが、そこは機転を効かせて目が覚めるような結果をあげる。そんな彼女の輝かしい姿のうしろには、男女差別や人種差別と闘ってきた、先人たちの偉大な影が見えるようである。

だが「ズートピア」がすごいのはここからで、そうやって全鑑賞者の羨望の眼差しとなる、なんの穢れもない善人であるはずのジュディが、「とんでもなく非科学的な根拠にもとづいた偏見のかたまりで、何も悪いことをしていない善良な動物たちを”自分と異種である”というだけでその存在を脅かすファシスト」だということを暴露するのである。それも、彼女の成功の絶頂で。彼女がそのとんでもない論理を展開する根拠は「なんとなくそう聞いてきたし、だってわたしはそんなことしないから」というものだった。それこそが差別の根源たる思想なのだが、彼女はまったくそれに気がついていない。

恐ろしいのは、ジュディにはまったく悪気がなかったことだ。これまでのジュディは、散々そうした偏見に苦しまされてきた。「挑戦なんかしなければ失敗もしないし、幸せに暮らせるんだよ」と教えてくれる優しい両親や、「ウサギが警官になんかなれるわけがない」と暴力をふるう、自分より身体の大きな同級生たちに。彼女はそれをはねのけてきたように「見えた」のだが、実は偏見は彼女の内側に巣食っていたのである。

これまでの映画では、善人が悪人に豹変することはあった。「あんなに優しい人が、あんなに残忍だったなんて」と手のひらを返すことはあった。

しかし「ズートピア」では、ジュディは内なる偏見を暴露されても彼女はまったき善人のままである。「善人」が「悪人」にオセロのようにひっくり返るのではなく、まるで陰陽のシンボルのように、白と黒が交じり合っている、そのままを見せた。それがすごかった。偏見は「悪」ではない。そして「悪人」は存在しない。この映画は、動物たちの他人事だとおもってゲラゲラ笑っていると、「きみはほんとうに善人か?」と、喉元に刃を突きつけてくるのである。しかもものすごく楽しく、面白く。

そして彼女は、内なる「偏見」を反省し、その偏見によって失った、大切な友人を取り戻そうとする。彼が彼女をあっさりと許したのは、誰にも善と悪が共存しているということを誰よりも知っていたからかもしれない。この複雑化する世界に平和をもたらすのは、そうした「偏見」を自覚し見つめ折り合いをつけることなのではないか。制作側もきっとそういうことを教えたかったのじゃないだろうかと思った。

とまあそういう映画だと思って泣いていたのだが、そんな映画が「可愛くて面白い」というので大ヒットしているのがまたすさまじい。なんでも「ズートピア」は5年をかけて3人の監督と7人の脚本家が何度も何度も世界観を作り直し途中まで製作していた最初の脚本を捨てて公開1年前に世界観から一新してギリギリに作り上げたという。いったいディズニーはどこまでいってしまうのだろう。

と思いながら、予告編で流れていた(しかも同じ予告編が二回も!!!!)日本の3DCG映画を思い出した。頑張っているとは思うけど、もうそのあとに「バナナマンが吹き替えやりますよ〜ヘラヘラ」みたいな予告編がちょっと流れただけの「Pets」に速攻2フレぐらいで死ぬほど負けてるし、どうしてこのインターネット時代に、同じような機材とソフトを使ってこんなプレステ2とプレステ4ぐらいの違いが出てしまうのか。しかも声もあれで、バナナマンの吹き替えのほうができが良さそうだった。これはもう絶対になにをどうやってもアメリカの3DCGには敵わないので、日本が3DCGを作るのは完全に諦めて、違う方向に頑張ったほうがいいんじゃないだろうか。と思ったけどそれも「ウサギは警察官になれない」っていう偏見と同じかな、、と思って反省した。

わたしもおそろしく偏見に満ちた人間なので、ジュディをみならって善良になれるようにがんばりたいと思います。


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