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愛想の尽き方

「女の人は突然キレる」と言われる。そうじゃないと思う。「愛想が尽きる」という言葉があるが、「愛想」、言い換えれば相手への好ましい気持ちというのは1リットルの瓶に入っている水のようなものだと思う。その水がぐんぐん減ってゼロになると、愛想が尽きる。相手の優しい気持ちに触れたり、好ましいと思う行動などを見た時などにはその水は増えるので、水はいつも増減している。

瓶の中の水が減るのは、相互関係において、当人の本意に反することがある時だ。キレるところまで行ってしまう関係性の場合、たいていありがちなのは、当人が相手のすることを「いやだなあ」「相手はそうしたいと言っているけど、自分はそうしたくないなあ」と思った時でも、それを相手に伝えないことだ。

自分の希望を何も相手に伝えないで、ただ”我慢”する。それは本人的には、「向こうの希望を叶えて、自分が譲歩している」という不満になっている。そういう不満が、瓶の中の水を減らしていくのである。でも伝えないから、相手には瓶の中の水が減っていることが全く伝わってない。だから「突然キレる」ということになる。

なかでも特に、短い恋愛関係などの場合は、相手への期待値が高いままになっているし、「遠慮」があって言い出せないというようなことがあるので、ものすごく小さなきっかけでも瓶の中の水はどんどん減る。「こういう人だと思っていたのにそうじゃなかった」「本当はこうしてほしいのに」という勝手な期待を抱いて、相手に伝えもせずに「そうじゃなかった」と勝手に落胆してはガンガン減点してしまうのだ。

信頼性のない恋愛関係は、フィギュアスケート世界大会よりもすさまじい減点制がしかれている。傷つくようなことを言われたから減点。頼まれてもいない料理を作って、美味しいって言ってくれなかったから減点。ロマンチックなところに連れて行ってくれなかったから減点。綺麗にしたつもりの部屋を「汚い」と言われたから減点。

キレない関係性の場合、「あなたはそう思っているけど、わたしはこうしたいんだ」と相手に伝えて、話し合い、相互にとって納得の行く落としどころを作り上げることができる。

ただしここで面倒なのは、「わたしの誕生日を祝って欲しい」というような願望のときだ。こういう場合、「相手がわたしを思いやって祝ってくれる」という行動を求めているので、「祝って」と言って「はいどうぞ」と祝ってもらったのでは意味がない。こういう願望が満たされなかった場合に祝ってほしかった人は怒る。でもその理由は言えない。理由を言った結果を求めているわけではないからだ。こういう時に「突然理由もなくキレる」「意味がわからない」と言われがちである。

また、単なる友人や知り合いのように期待値の低い相手だったり、親友や家族のように長い信頼性のある相手の場合は、この減点制度はゆるやかなものになる。相手に変な期待を持つことをしていないからかもしれない。とにかく”相手への期待“というのは面倒だ。自分でコントロールできないものに気を揉むのは全世界全時代いついかなる時でもトラブルのもとである。気心の知れた相手だと自分の意見をいいやすいし、「こういう人だから」と諦めたりもする。つまりそれは相手の自主性を尊重するということでもあるのだが、そういう相手だと、瓶の中の水は減りづらくなってくる。

クソUIというものがある。UI(User Interface/ユーザーインタフェース)とはユーザーが使うソフトなどの見た目や操作性の部分だ。その中身は素晴らしいものなのに、UIが悪いと誰も手にとってくれない。

わたしは全ての人類の中身は素晴らしいものだと思っている。それが、何らかの理由でUIがクソになってしまった場合に、人から遠ざけられる存在になってしまう。学校で暴れてしまうこども、非行に走る少年、バイトを一日で辞めるフリーター、一回しか会ったことない女性にやたらとSNSで絡んでくるおじさん。親に愛されなかったというトラウマがあったり、孤独だったり、自分は十分に認めらてれないという思いを抱えていたり、そんな理由からUIがクソになってしまって、人から疎まれる。すごく悲しくてもったいないことだと思う。みんな中身は素晴らしいはずなのに、それをわかってもらえない。

そういう人と対峙するたびに、「違うスマホ買うわ..」とそのクソUIを捨ててスマホを乗り換えるのか、それともスクラムを組んでブレストしてUIを改善するように務めるのが人として正しいことなのか、どちらが良いのかわからなくなってくる。すべての人にそんなことをしていたら時間が足りないから乗り換えるというのが普通だろう。そうだと思う。美しいUIは使いやすく良い気分にしてくれる。

しかし人間の中身はいずれにせよ似たり寄ったりだ。誰と対峙したとしても、いつか必ず限界が来る。瓶の中の水がゼロになる時が来る。そういう時に、瓶の中の水を増やすためにお互いを思いやる働きかけを、自主的にできるのかどうかが問題だ。人との関係性を維持するための努力というのは、そういうものだと思っている。



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