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映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見なかったらクイーンの素晴らしさを知らずに死ぬところだった

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。

クイーンは誰もが知る歴史的バンドだが、デビュー当時は誰も見向きもしなくて、日本の女の子のファンが支えたと聞いた。それは現代でも変わらなくて、同時代のストーンズやレッドツェッペリンやデヴィッドボウイが神格化されているのとは違って、クイーンは誰もがその曲を知ってるけど、イロモノだと思われている。

現代のロックバンドも、わたしの周りのロックファンも、クイーンの名を口にすることはない。クイーンの歌は何曲も口ずさめるほど知っている。ストーンズの曲もボウイの曲も誰も歌えないのに、若い世代でもクイーンの曲は知っている。でもリスペクトはされていない。

わたしのクイーンの認識は、半分に切ったマイクを持ってくねくね踊るヒゲのおっさんが暑苦しく歌ってるバンドで、ギタリストが有名らしいとかそんなものだった。一番慣れ親しんでるフレディはクロマティ高校のフレディだ。現代でもクイーンの音楽性は知名度に対して軽視されている。

そこに来たのが映画『ボヘミアンラプソディー』だった。いままで「はあ、知ってますけど」で終わらせていたクイーンの楽曲が素晴らしいものなのだと生まれて初めて思い知った。世界中でこんなに曲を知られているバンドはビートルズくらいではないのか。ビーチボーイズですらほとんどの人が歌えない。

映画では、ヒースロー空港の力仕事をして「パキ」と罵られていたゾロアスター教の一人の男の子が、自らの意思の力とその才能で、天才的な仲間とともに世界の頂点に上り詰めるさまが描かれる。しかし大成功しても彼はセクシャリティで悩み、愛する人とともにいられないということに悩み、莫大な富や名声に群がる人々との豪華絢爛な毎日も虚しいばかりで孤独だった。「家族」と呼んでいたメンバーも、愛する人も、彼のもとから去っていく。フレディはピュアな人なので、邪悪な仕事仲間のえげつない裏切りにも気づかない。このくだりは、ブライアン・ウィルソンの自伝的映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』を彷彿とさせる。

潰れかけていたフレディマーキュリー、クイーンという稀代の才能が、クライマックスでもう一度花開く。ストーリーと音楽の力だけで力強く彼らの物語を見せることで、現代の観客にも大きな感動を与えた。いま、映画を見たたくさんの人が、家に帰って、クイーンというバンドの音楽に耳を傾けている。

史実に忠実でないとか脚色されていると言われているけれど、映画がこんなに力強いものでなければ、世界中の人がクイーンという偉大なバンドを改めて知ることはなかった。私もそのうちの一人だ。クイーンの素晴らしさを知らずに死んで行っただろう。フレディならきっとこの展開を望んだと思う。

危ないところだった。ホコリを被って打ち捨てられていたクイーンが、本当は輝く財宝なんだということをこの映画が全人類に気づかせてくれた。この映画を作ってくれたことに、本当に感謝します。

この映画のクライマックスは、ライブエイドのコンサートシーンを20分にも渡って延々と写すだけである。説明も、ナレーションもない。音楽の力を信じてる映画(演奏を主役にする映画、歌ってるところを演出で邪魔しない映画)はいい。いざ映画になると、みんな、音楽の持つ力を忘れてしまう。余計な説明や解説を入れたり、言葉で語ろうとしてしまう。そうすると音楽のマジックは消えてしまう。でも『ボヘミアン・ラプソディ』はそうじゃなかった。観客に、ただ音楽のチカラだけを使って、カタルシスを与えてくれた。

『SING』の象の女の子のとこ見返したくなったのでそっちを貼っておきます。これも音楽の力を信じた映画です。


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