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うわさ話

和田アキ子が「噂を信じちゃいけないよ」と歌っていたけれど、もし誰かから、友達が間違ったことをしていると聞いたらどうする?その人はあなたの友達が、いかに間違った行動をしていたかを詳細に教えてくれる。あらいやだ、あのひと、こんなことしてたのよ、なんて。その行動がいかにひどいものであったとしても、その説明がいくら真に迫っていたとしても、わたしはいつだって、友達の味方になれる人間でありたい。

「あなたの友達、アル中でヤク中で300人レイプして痴漢常習者でいまの会社で横領していて小児性愛者で300人殺しているそうよ」

なんて言われたとしても、それでも友達の肩を持つ人間でありたい。というか、そういう話を聞いても信用し続けられる人間のことを友達と呼ぶのだと思っている。もし誰かの話のほうを信じるなら、あなたは多分その人の友達ではない。

わたしは人のうわさ話をそのまま信じるくらいばかげたことはないと思っているが、いっぽうで人のうわさ話のほうが、本人が語ることよりも信じるに足ると考える人もいる。会社のポジションとか、ご近所の目とか、”他者からの評判”という価値観の上で生きている人にとっては、うわさ話というのは評価に直結する。命を左右するくらい重要なものになるのだ。

他者からの評判を気にして生きるのはすごくつらそうだし自分では絶対やりたくないけど、きっとそういう価値観もあるのだろう。これまでそういう世界に生きてきた人はきっとこれからもそういう世界にいるんだろうし、それで良いと思う。人それぞれ、いろんな価値観があって、みんな違ってみんないい。

でもわたしはそういう価値観がよくわからないので、他人が何を言ってようがいいものはいいし、悪いものは悪いと思っている。そして常識のある人に、「おまえは常識がない」と石を投げられてしまうのだ。いやはや、地球にはいろんなことがあるんだなと思うのである。

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