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灯台

いま尾道にいる。尾道に来るのは初めてだ。尾道の対岸、船でたどり着くのに3分かからないくらいのすごく近い距離に小さな島「向島」がある。あまりにも近すぎて、海をへだてているというよりも河の向こう岸という感覚のほうがぴったりくる。

ホテルの部屋の窓からはその島がよく見える。島には小さな灯台がある。普通、灯台というのは、どこからでも見えるように、大きくそびえ立っているものだけど、この島の灯台はほとんど山に埋まっていて、てっぺん部分の前半分、180度ぶんだけの光を世界に向けて放っている。

灯台のあかりはずっと点灯しているわけではない。4秒に一回くらいの割合で一瞬強く光ってはその光を潜める。光が放たれると、さざめく海の水面にすうっと光の筋が一本入ってはすうっと消える。規則正しいリズムで浮かび上がる光は優しく暖かく、いつまで見ていても飽きることがない。

灯台が灯るのは誰のためか。それは世界中の海を航海する人たちのためだ。尾道の前に横たわる、猫の額のような狭い狭い海を行き交うのは、地元住民と観光客のためのちいさな観光船だけだ。世界一周をする豪華客船なんかが入ってくることはないだろう。

だが、だからといって、このちいさな灯台がその光を弱めるのかというとそうではない。灯台が光を放っているのは世界に向けてであるから、どこの灯台と比べても引けがないくらいの素敵な光だ。

島の街灯も造船所の明かりも消える深夜。真っ暗な海を、一隻の、ちいさく頼りなげな船が横切るとき、灯台から放たれる一筋の光が船を照らすのを見る。その光は船で海をわたる人だけでなく、島の岸辺で船を待つ人、そして島で寝ている人、漁港で魚を狙うねこ、家で飼われている犬、ホテルの窓から尾道の景色を眺める私、をも照らす。

灯台はいつ何時も光り、すべてのひとを照らしてくれる。たとえいつか遠くはなれて見えなくなることがあっても、そこにその光があって、光を放ち続けている。それを知っていることが、わたしを幸福にしてくれる。この文をある人に捧げる。

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