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騎士団長殺しの感想

村上春樹の騎士団長殺しを読んだ。

私は村上春樹のファンだ。お気に入りは短編集。なかでも「神の子どもたちはみな踊る」は棺桶に入れて欲しい一冊である。大地震を救う冴えない男の話「かえるくん、東京を救う」の出来の良さはすさまじい。他の「タイランド」「神の子どもたちはみな踊る」も。短編集だと「レキシントンの幽霊」の「緑色の獣」に「氷男」、「トニー滝谷」。「女のいない男たち」の「木野」「シェエラザード」も読後いつまでも印象に残るお話だ。長編では2つの世界を行き来する「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」、ナカタさんという全き善人が出て来る「海辺のカフカ」、あと村上作品に愛という概念が登場した「IQ84」がお気に入り。次点で「国境の南、太陽の西」も割と好き。

また、エッセイもすばらしい。妻と二人でローマやギリシャに住んだ経験をとつとつと語る海外生活エッセイの「遠い太鼓」や、スタン・ゲッツなどについて入念なリサーチと聴き込みを元にした、文学者にしか書けない音楽エッセイ「意味がなければスイングはない」。なぜ人は走るのかについて語るマラソンエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」もスゴイと思った。河合隼雄との対談本「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」は”どうして人は文章を書くのか”という話で、何度読んでも新しい学びがある。翻訳した「ロング・グッド・バイ」も、最高に読みやすい。

いっぽう、私個人の好みに合わないものもある。「ノルウェイの森」は「この世に愛なんて存在せず、目の前に若くてかわいい女が現れたらみんなそっちいっちゃうんだよ」的な印象でそんなに好きじゃない(「1Q84」はそれが全く逆だったので「ついに村上作品に愛という概念が...」と感動した)。長編だと最もげっそりしたのは「スプートニクの恋人」。下手な化粧をした下手な役者が書き割りの前で下手な演技をしているかのような作品だった。

しかし「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はそのがっかり感をやすやすと超えた。あまり日本に詳しくない(興味がない)小説家が、「えーと日本というのはこういうところなんですよね」、と頑張って、日本の社会を勉強して作り上げた生活感のある寓話という印象だった。意味ありげに出てきた伏線がまったく回収されず、意味のある結論とも思えないような終焉をぼんやりと迎える。「こ..これは..村上春樹が書いたのかな?いやでも調子悪い時もあるだろうし..」と思ったものの、あまりにも印象に残らない本なので読んだことも翌日には忘れた。

そして今回の「騎士団長殺し」。果たして私のお口に合ったのかというと後者だ。上巻ではたくさんの謎が振りまかれ、大変面白く読んだが、下巻でまた何も収束せずに慌ただしく課題を折りたたんでばたばたと終わっていっただけという印象であった。


「多崎つくる」では「新宿駅を作る人」をやってみた、そして今回は「絵を描く人」をやってみた。”毎回登場人物が同じなんだからサザエさんにしたほうがいい”という意見をネットで見かけたが、繰り返し出て来るモチーフがすりきれ、かつての魔法をなくして矮小化しているように感じた。なんともこう薄味なのである。「井戸」は、「ねじまき鳥」の時にはノモンハンまで行けたのに、もう今ではただの暗闇になってしまった。かつて時代も国も超えることができた井戸だが、いまここにある井戸は、意味があるところまでたどり着くことができない。妊娠に至るあれも「1Q84」と同じであるが、宗教というよすががない今作においては何の神秘性も、必然性もなかった。

などなどネチネチと文句を付けだすと切りがない(あとWordで作ったんかいみたいな表紙のダサさもすごい)。多分さまざまに打ち捨てられた伏線たちは、3巻までたどり着けることができたら意味を持つものとして機能してきたのかもしれない。だが物語は2巻までしか辿り着けなかった。

村上春樹はいつも「井戸をくぐり抜けるのはすごく体力がいることなんだ」と言っている。1000ページにわたる物語の終盤のクライマックスに、マラソンで鍛えてきたはずの体力の息切れが見えたというのが今作から受ける印象だ。そりゃそうだ。もう68歳ですよ。どんだけいい作品をこれまで書いたと思ってるんだ。早く新作をよこせよこせと、シャブ中のジャンキーのごとく要求し続けるのは消費者の悪いクセである。

だが村上春樹の文章の魅力は長編小説だけで発揮されるのではない。はてなとコラボしていた質問サイトのようなものもあるし、ちょっと前に見て笑ったのはヤクルト・スワローズの公式サイトに寄せていた文章だ。こちら ふとテレビで聞いた言葉をこんな風に覚えていて、こんな風に紹介出来るなんてスゴイことだと思う。とても切れのある文章で、何回読んでも笑える。村上春樹の書く文章は滋養のようにじわじわと身体にしみわたってくる。

ということで、「騎士団長殺し」は「多崎つくる」を面白く読めた人には超オススメだけど、ダメだった人は多分ダメだと思った。期待が大きかっただけに、いろいろ文句を言ってしまいましたが、わたくしはこれからも村上作品を読んでいこうと思います。




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