ピリオドを打ってくれないとダメ

母が上京したので恵比寿のお寿司屋さんに連れて行った。地元の宮城は気仙沼、石巻、塩釜というどでかい漁港があり、海の幸が豊富なのにも関わらずお寿司のシーンはあまり盛り上がっているとは言えない。あまりにも素材がいいので「そのまま食べるのが美味しいのよ〜」というメンタリティになってしまい、都会の人がわざわざ大金を支払って食べる寿司という加工モノの追求という方向には行かないのだろう。つくづく金沢を見習って欲しいと思う。

訪れたのは恵比寿の松栄。白木のカウンターで、職人さんが丁寧な仕事をしてくれる。まずはおつまみからお願いしますということでおまかせを頼むと、炭火で焼いて海苔を巻いたホタテ、柔らかいアワビ、カニの上にキャビアが乗っているもの、鯛の茶碗蒸しなど、わかりやすい高級食材がひとつづつ出てきて、職人さんが丁寧に説明してくれた。もちろんものすごくおいしい。ああこれはおかんを連れてきて本当に良かったと思った。

上機嫌になった母は、ビールに続いて焼酎を頼んだ。母が焼酎を飲むところなんて初めて見た。そして「父とケンカした」という話を始めるのだった。

両親がケンカするのはものすごく珍しい。母はいつも「パパと結婚してほんとに私は幸せものだわ」とのろけている。珍しいケンカのその原因は、父が母に放った不用意な一言だという。「違う人と結婚すればよかった」みたいなことらしい。それを聞いて母は「ひどい!結婚して42年間、あなたのことを疑ったことはなかったのに!」と激昂し、いままでに一度も出たことがなかった「離婚」というキーワードまで飛び出したそうだ。

母が怒っているのは、父が言った言葉そのものというよりも、「父が言った内容を否定しない」ことだった。人間なんだから、不用意なことを言ってしまうことは誰にでもある。でもそれが真実じゃなかったと、間違っていることだったと否定してほしかったのだそうだ。

「あなたこんなこと言ったじゃない!って言ったら、いや〜そんなこと言ったかな〜、言うはずないんだけどな〜ってずっと首をかしげているのよ。それで謝ったつもりになっているみたいなんだけど、そうじゃないのよ。そんなことは思ってないよ、何かの間違いだ、絶対そんなことは思ってないって言ってほしかった」

間違ったことを言うのはいい。でも、そんなことはありえないと否定してほしい。その否定がないと、「ほんとはそう思っているんじゃ...」とずっと疑心暗鬼になってしまう。

「ピリオドを打ってほしいのよ。女はピリオドを打ってもらわないとダメなの。そうじゃないとずっと怒り続けちゃう」

母から名言が出た。他人の心の中は絶対にわからない。だから言葉にして伝えなくてはならない。それが真実でないとしても、誰かの心を軽くするための嘘だったら罪がないんじゃないかと思う。

母の酒とお寿司は着々と進み、全く生臭さを感じさせないミルキーなウニ、口に入れた瞬間にとろけるトロ、身の厚さが1センチはありそうな分厚いほっくりとした穴子が出てきた。わたしはこんど帰省したら父に説教しなきゃなと思いながらおいしいお寿司に箸を伸ばしつづけた。


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