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今日

たまに世界が絶望のズンドコみたいに見える日があって、今日はそういう日だ。

眠い。それにしても眠い。昨日は8時間ぐらい寝ているのに全然眠い。

どうしてこんなに頑張って、毎日寝床から起きているのだろう。別に頑張らなくても良いのではないだろうか。わたしが起き上がらなくても、他の誰かがやるだろう。わたしがいなくても太陽は東から上って西に沈み、蛇口からは水が出て、その蛇口をちょっと右に倒すとお湯が出てあたたかいお風呂に入ることができる。

顔を洗って鏡の前に座る。化粧をする。化粧をしないとダメみたいになっているからだ。本当は化粧はしたくない。面倒くさいので。高い化粧水は使えばなくなり、化粧水の上に乳液を塗って日焼け止めを塗ってファンデーションを塗ってパウダーを塗って、眼のくぼみにベースのアイシャドウを入れてポイントのアイシャドウを入れてぼかしてアイライナーを上と下にそれぞれクロと茶色で入れてマスカラを塗る。眉毛を書く。ほっぺに赤い色を入れる。これはルーチンとしてやっていると顔が古くなるらしいので雑誌や書籍でトレンドや技について学び続ける事が必要だ。なるほど。

眠くて身体が重くて、それでも外に行かなくてはならない。服を選ぶ。身体はひとつしかないのに、クローゼットにはえらくたくさんの服がある。別になんでもいい。でもあんまり穴があいているとか、去年流行ったものとかを着ているとよろしくないそうなのでそういうものは着ない。色とか形とか、ブランドとか、あとは外の気候とか、そういうものを総合した正解の服を着て外に出る。

外に出てもとにかく眠い。今日はいい天気だ。小春日和だ。寒いと思ってコートを着てきたら暑い。失敗したなと思う。でももう家に戻る時間はない。

今日は日曜でオフィスは空いていないのでコワーキングスペースに行く。電車に乗って渋谷のやつに。土曜とか日曜というのは、まちにカップルや家族があふれかえるのでなんだかつらい気持ちになる。平日は見えないから気づかないふりをしている。でも幸せそうな人々を見て心が痛むとなると実は自分の中で「みんなできていることができていない」という劣等感に苛まれているのがわかる。

コワーキングスペースについたがやはり眠い。なんとも身体が重く、鈍い痛みがある。それでもたくさんのやらなければならない作業がある。やっと1本目の原稿を書いて送った。お腹が空いたので下のファミマに行ってフランクフルトを買ってコンビニの前で食べた。鳩が餌をついばんでいる。

東京にはやたらと鳩がいる。この鳩が七色の尾を持つ孔雀だったり極彩色の南国の鳥みたいなのだったら見える景色も変わるのかと思う。アスファルトがふかふかの緑の芝生になって、車がわたあめで出来ていたら、わたしは楽園に住んでいると思うだろうか。そうなったら生きる喜びを享受することができるだろうか。

多分そうなっても、依然として相変わらず眠くて重いとぼやいていると思う。外界がどう見えるのかは外界のあり方ではなくて自分がそう見たいものを見ているからだ。

どう考えたって寝たままのほうがいい。疲れないしだるくない。それは死と言われていて、たまにそっちにいられるならそっちのほうが絶対にいいじゃん、そっちに行きたいと思うのだけど、行くまでのルートはさらに面倒くさいのでやる気がしない。それで今のところ生きているという消極的な理由だ。

もし将来押しただけで生命機能がなくなるスイッチとかが出来たら押さない自信はない。だから何かの拍子にそちら側に行く人がいても納得出来ないことではないなと思う。

ということで、いまのところ消極的な理由でこの世界にとどまっているわけだが、つらいよりは楽しいほうがいいので、バラ色の楽園に見えるように頑張ろうと思っている。でもまだちょっとその扉の有りかがわからないので探し中。

とりあえず今日のところは重くて眠くてだるい。

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