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文化は人間を救う


Twitterで見かけた新聞の投書。

わたしは地方の女子大に通う地味で垢抜けない女子大生だった。しかも高校も女子高だったので男性の友人なんかいなかった。

私が入った女子大は、歴史はあるが、同じ街にある旧帝大の花嫁学校のような体裁で、学業に身を入れる学生はほとんどおらず、学府とは名ばかりのようなところだった。授業終了のチャイムが鳴ると、みな一目散に街に出てバイトやデートに励むので学内には人っ子一人いない。

ところで入学式の日、校門の前にずらりと並ぶ男子学生たちを見た。みんなインカレ(異大学)サークルの勧誘の人たちだ。

華やかなサークルは華やかな女子学生にチラシを渡す。そのほとんどが、女子大生との交流を狙った形ばかりのチャラいサークルだ。もちろん本気でやっているスポーツサークルもある。だがそういう「ちゃんとした」サークルは、わざわざ女子大に来てかわいい女子にしかチラシを配ったりしない。そもそも学内に女子が多い大学は学内の女子と男子がうまい具合にやってるので、女子大にチラシを配りに来たりしないのだ。

チャラいインカレサークルの主な活動は、申し訳程度のスポーツとバーベキュー(宮城では芋煮会)、飲み会と男女交流だ。女子のほうも、出会いが目的で入る。だからwin-winではあるのだが、そこでつらいのが、女子がルッキズムにさらされることだ。

本当に、かわいい女子にしかチラシを渡さないという男子は存在する。

これが逆だったらかなりおかしいと思う。女子が男子ばっかりの大学に行って、校門の前でイケメンにしかチラシを渡さない、なんて話は聞いたことがない。

チラシを運良く手に入れて、華やかなインカレサークルに入ったとしても、そこでもルッキズムにさらされて、地味で垢抜けない女に声をかける男はいない。

もちろん、優しくしてくれる人もいる。でもそういう男子がまず言うのが、

「かわいい子紹介してよ」

なのである。自分の尊厳など二億光年の彼方に飛び去り、「わたしはかわいい女子を紹介しないと価値がない人間なんだ」と、あっという間に女衒になってしまう。

私はチビ/デブ/ブスを兼ね備えたエリートなので、小さい頃からずっとルッキズムに晒されてきた。だから、外見で判断されるダメージがどんなにキツイかわかる。

投書のTwitterには、「人間外見じゃない」「外見で判断されるような男はその程度だから気にするな」「いつかあなたの良いところをわかってくれる人が現れる」という楽観的な励ましが多く寄せられていた。

しかし私は知っている。

ルッキズムにさらされた時、「言ってる奴らがバカ」だなんて絶対思えない。「自分は醜くて価値がない」って考えに支配されてしまう。

だからルッキズムがそもそも存在しないところに行かないと命が危ない。私は運良く、親が音楽や映画などを好きだったので、子どもの頃からゲームや音楽、映画などのカルチャーに馴染んでいて、ものすごくそれらが好きだった。だから、大学では学内の軽音部と放送部に入って楽しい仲間をたくさん作った。女子の先輩はみんな優しかった。そのうちに、女子の友人を通じて、違う大学との男子とも交流することになった。

共通の趣味を持った男子学生は優しかった。バンドを組んで、安いスタジオを取って練習して、そのあと白木屋で飲んだ。そこで思う存分趣味について語り合い、最終的には彼氏までできた。

文化とはそういったもののためにあるのである。文化は人間を救ってくれる。文化の前では人間は等しく同じであり、尊厳が守られる。ルッキズムから遠く離れたところで、人間と人間同士の会話ができる。

文化はなんの役にも立たないという人がいる。音楽なんか、本なんか、映画なんか、ゲームなんか、人生の無駄でしかないという人がいる。でもそうじゃない。悲しい時、文化はわたしを救ってくれた。小説や、映画や、ゲームの中の世界はわたしの魂を癒やしてくれた。そういう世界があると知ることによって、わたしはこのルッキズムにまみれた殘酷な世界で命をつなぐことができた。

また文化によって、知見が広がり、違う立場の人のことを知って歩み寄ることができたり、かけがえのない仲間ができたりするのも良いところだ。会ったことがない人でも、異国の人でも、あなたはその人と対等に、人間として、語り合うことができる。

文化は人間を遠くまで連れてってくれる。

テレビで見る芸能人や顔見知りの噂話しかしない人は、「遠く」を知らず、「近く」しか見えないのだ。そういう話を聞くと、すごくげっそりする。

あのアーティストの歌詞にどんな意味があるのか、あのヒーローの手からどんな色のどれくらいの強さのビームが出るのか、あのキャラクターの仕草がどれだけかわいいのか、あの展覧会がどれだけ素晴らしいコンセプトだったのか、そういった話をわたしはしたい。

近視眼的に周りの人の噂話で終わるコミュニティが好きな人はそこにいればいいし、わたしはわたしで人間がいける「遠く」まで行きたいのだ。それは考え方が違うからだし、そうしたい人はそうすればいい。

わたしは、チラシを渡されなかった女の子のショックもすごくわかるし、ルッキズムにさらされた時に自分が無価値だとしか思えない気持ちもものすごくわかる。

彼女になにか打ち込めることがあることを願う。スポーツでも音楽でもアニメでもゲームでも何でもいい。それはあなたをこのうんざりする現実世界から遠く離れて、誰にも邪魔をされない、あなただけの桃源郷まで連れて行ってくれるから。

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