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FF6

iPadでFF6を始めたら面白くて面白くて、ありとあらゆる空き時間はずっとFF6をやっていた。セーブポイントに行かなくてもやめられる「ちゅうだん」という機能が素晴らしい。いつでも初めることができて、いつでもやめられるのがモバイルにぴったりである。

FF6は言わずと知れた有名RPGシリーズ「ファイナルファンタジー」の第6弾で、1994にスーパーファミコンで発売された。魔導の力を持つミステリアスな少女ティナ。泥棒...いやトレジャーハンターのロック。双子の王子のエドガーとマッシュ。めっちゃ強いシャドウ。ござるのカイエン。ギャンブラーのセッツァーなど、魅力的なキャラクターが10人以上も登場。特定の主人公を持たず、群像劇として描かれる。

いくつもの世界をまたぐ重層的なストーリーもすごい上に、キャラクターがまたいい。みんな、何かを失った悲しみを心の中に秘めている。そしてただストーリーを進めるだけではなくて、「3つのパーティを組んで交代でダンジョンを攻略しよう」とか「オペラ歌手になりきってみよう」とか、小さなゲームが用意されているのが面白い。わたしはゲームの中のアニメーションがあまり得意じゃないので、6だと全然ムービーがないのもよかった。

「ずっとやっていた」と書いたけど、本当に仕事の時間以外はずっとやっていた。電車でも新幹線でも、1分でも空き時間があったらiPadを取り出してちまちまストーリーを進めることに勤しんだ。ケフカ!あの非道な男。幽霊だらけの魔列車に乗った。きょうりゅうのもりでドラゴンを倒し、砂漠でサボテンダーを倒した。けものがはらにガウを置いたまま忘れて、あわてて迎えに行った。ロックがかいでんのあかしで二刀流になった時はほんとうに強かった。

ところで、わたしの師匠はこの世で仕事ができる百人の中に入るくらい仕事ができる人なのだが、その人はずっと携帯を見ていろいろ返信したりしていて、オフというものがない。スゴイなあと思う。仕事ができる人というのは本当に誰よりもメールの返信が早い。なぜなら自分の仕事に失われることのない関心と興味を持ち続けられているからだ。仕事を愛しているというか、その仕事があらゆる娯楽が比べ物にならないほど面白いのだ。普通の人というのは自分のやることにそこまで興味が持てず、テレビとか友達とか焼肉のほうが面白かったりするので”仕事”のことに興味を持ち続けることができない。一流の人というのはその興味の持続ができるという点で普通の人を凌駕する。

わたしもすぐに気が散ってしまう普通の人の方なので、ずっと何かに感心を持ち続けられるというのはすごいことだと思っていた。そしてそれが、FF6だとできるのに驚いた。いつでもわたしの頭の中にはFF6のことがあって、次のパーティにはリルムとストラゴスを入れようかどうしようかと考えていて、時間があればすぐにiPadを手に取った。何時間でもぶっ続けでやった。友人に飲みに誘われても「帰ります..」と言って家に帰ってFF6をやっていた。こんなに夢中になれることがあるなんて、中学校の頃に一日12時間ドラクエをやっていた頃を思い出した。

ゲームというのはいい。現実世界はこころがすり減っていくが、ゲームをしている間はこころがすり減らない。

FF6のなかで、すごく印象に残っている思い出がある。あるキャラクターのお父さんが魔石になっているのだが、その魔石を子のキャラクターに装備させてダンジョンを進んでいた。するとセーブポイントまであと5歩、というところで子のキャラクター以外が全員全滅!!子のキャラクターのHPもMPもギリギリ、回復アイテムも持っていない。あのセーブポイントに行かないと全てがやり直しだ。ああ神様、お願いだからあと5歩だけ、魔物に遭いませんように...という願いも虚しく、3歩目くらいでモンスターにエンカウント。戦闘状態になってしまったが、生き残っているのは一人。最後の望みをかけて、「お父さん助けてえええええ」とお父さんを召喚したところ、なんとそのお父さんの攻撃で魔物が一発で全滅!!!無事セーブ出来たのであった。この魔石は誰でも装備できるし別に子どもだからといって特別なことも起こらないはずなんだけど、それでもこれは親の愛だなあと思ってじーんとしたのであった。

14人の仲間との冒険はずっと心の中にある。きっと忘れない。

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