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家族全員がうまく行ってる人なんかいない

外国から一時帰国中の友人と話した。なんだか暗い顔をしている。どうしたのかと聞くと彼は「30歳を過ぎると突然家族の問題が降り掛かってくるんだ」と言った。

「普通の人が歩んでる人生、つまり25ぐらいで結婚して、30ぐらいで子どもができて...みたいな年齢って理由があるんだと思う。20代の頃は考えることは自分のことだけでよかった。可能性しか無いって感じだった。それが30代になった途端に、突然家族に問題が起こってくる。それを乗り越えるために家庭を作っておけということかもしれない」

我々はその普通の人生をうっかり踏み外して違うレールに乗ってしまった。多分普通の人生のレールに向かうジャンクションの脇道で、他のことに気を取られてよそ見をしているうちになんとなく乗り過ごしてしまったのだと思う。

友人の悩みは母の嫁姑問題ということだった。家族の仲が悪いのはかなしい。家庭の中にも暗い空気が漂い、その空気は家の外にまで漏れ出てしまう。私の家も同居している両親と祖父母の仲が悪いので、それが子どもの頃からすごくつらいことだった。母の言うことにも祖母の言うことにもどちらにも理があった。捉え方が違うというだけだった。最悪、居を分けるという選択もあったのだが、それは田舎だからできないというフラストレーションもあった。ちいさな食い違いが長年にわたって積み重なり、いまや修復不能なところまで来ている。そしてどちらも残酷に年を取り、ひずみは更に深くなっていく。

それが悲しいことだというと、友人は

「でも、家族全員がもれなくうまく行ってる人なんていないでしょ。両親は仲が良くても親戚と仲が悪かったり、親戚は良くても両親が不仲だったり、兄弟が不仲だったり、どこかに絶対トラブルがある。ない人なんていないと思う」

と言った。それはまるで福音のようで、子どものころからずっと囚われてきた「どうしてうちの家族は不仲なのか」という悩みから解き放ってくれるようだった。わたしの中では確固たる”あるべき家族”の姿があったのだが、それは多分にドラマなどから影響されている、子熊の家族が仲睦まじく暮らすハッピー・ファミリーのようなものだった。でもそんなもの、実はどこにもなくって、わたしがその問題を改善できないという無力感や、疎外感を感じる必要はないのだった。

ちょうど季節は六本木ヒルズのイルミネーションが始まった時期で、青と白の光がきらきらと街路樹に瞬いている。通りを行く人はみな携帯電話で記念写真を取っているのだった。誰もが豊かで不自由なく、幸せそうに見えた。

「でもこの人達も、みんな家族の仲が悪いんだ」

わたしがそう言うと友人は「それはわからないけど」と笑った。世界中のあらゆる老若男女が実はなにかしら家族の悩みを抱えている。そう考えると、なんだか世界に対して優しくなれそうな気がした。

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