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トイ・ストーリー4を見てズタボロに泣かされた話(完全ネタバレ)

『トイ・ストーリー4』を見に行ったんですよ。「3」でこれ以上ないほどの大団円を迎えたトイ・ストーリー。その次作?!え?!なんで?!必要ある?!

どうせ金目当ての蛇足だろ!その無様な出来を見てやるぜ!

と映画館に出かけたんですが、

ズタボロに泣かされて帰ってきました。

ピクサーすげえや...わたしは『アーロと少年』以降、ピクサー作品であんまりピンとくるものがなくて、「セクハラで追放されたジョン・ラセター、、しかし彼不在のピクサーは...」と不信感を持っていたんですが、それがきっぱりと払拭されましたね。

まあ、開始3秒でもう泣いてました。

↓ここからネタバレなので見てない人は読まないように!

最初のシーン、「使わなくなったおもちゃを親が友人に譲る話」から始まるんですよ。ウッディの妹は、成長してそれまで使っていたおもちゃに興味がなくなった。だから、小さいこどもがいる家庭にボー・ピープたちがもらわれていった。

それを見たウッディは、ボー・ピープを助けようとする。「今なら逃げられる、一緒に部屋に戻ろう」。するとボー・ピープは、「もう彼女には私達は必要ないの。だから必要としてくれる人がいるところに行くのよ」と言う。ここでもう大号泣でしたね。はなから。昔子供の頃に毎日一緒にいたぬいぐるみのことを思い出した。ご飯を食べるときも寝るときも一緒だった。でもいつの間にか、そのぬいぐるみにはまったく興味がなくなって、今ではどこにいったかもわからない。そうやって、たくさんのぬいぐるみを葬ってきたんだ...ごめんね...と胸がつまりました。

で、舞台は大学生になったアンディから譲られた小さい女の子、ボニーのもとに移ったウッディたちの話へ。ウッディはボニーに「どうしてもこの子が欲しいの」と言われてアンディからボニーに譲られたのですが、ボニーはもう飽きてしまったらしく、アンディはクローゼットの中でホコリをかぶる日々。

それでもウッディはおもちゃたちのリーダーだし、大変責任感が強いので、ボニーが幼稚園の体験会に行くのにこっそりついていく。最初は馴染めず泣きそうなボニーだったが、ウッディのヘルプによって、ボニーは初めて「自分でおもちゃを作った」んですね。

ウッディがゴミ箱の中から拾った先割れスプーンとアイスの棒で作ったおもちゃ。ボニーは彼に「フォーキー」と名付けます。

ですが、フォーキーはゴミから出来ているので「おもちゃって何?!僕はゴミだよ!!ゴミ箱に帰りたい」とすぐに逃走するので、ウッディはリーダーとしてボニーのためにフォーキーをゴミ箱から連れ戻すという使命のためにがんばる。これまではおもちゃとして雇い主(こども)のために滅私奉公をしてきたウッディに与えられた新たな使命は、「自分は必要とされていないけど、いま雇い主が最も必要としているものを絶対に提供する」ということでした。

そして舞台はキャンピングカーでの家族旅行へ。ボニーはフォーキーが大好きで、寝る時も一緒。フォーキーをボニーのもとにおいておくために必死になるウッディ。

ですが、キャンピングカーで訪れた地にあったアンティークストアで、ウッディは売られた後に逃走して「野生のおもちゃになった」ボー・ピープに再会します。ボー・ピープには雇主である特定のこどもはおらず、流浪の旅を続ける流しのおもちゃ。自活しています。フリーランスです。「雇い主のために喜びを提供する」のがおもちゃの使命だと思っていたウッディは「そんな生き方もあるのか」と衝撃を受けます。

ここで出てくるのが、今作のヴィラン「ギャビー・ギャビー」。このヴィランはすごいですよ。深みがあります。これまでのヴィランの中でもかなりの複雑性を抱えたヴィランです。

ギャビー・ギャビーはウッディと同じく、50年代製のお人形。喋れる機能がついているのですが、初期不良でボイスボックスが壊れていておしゃべりができない「不良品」。そのためかアンティークショップに売り飛ばされ、こどもにも見向きもされず、いまではアンティークショップを牛耳る女帝になっています。

ギャビー・ギャビーの唯ひとつの願いは、「いちどでいいから、こどもにおもちゃとして愛されたい」ということ。でも壊れているから誰にも愛されない。そこでウッディに入っているボイスボックスを強奪して自分に埋め込めば、「きっとわたしのことをこどもが愛してくれるはず」というサイコパスな発想に行き着きます。

そして後半。いろいろなドタバタを経た後に、ギャビー・ギャビーはウッディに懇願します。

「あなたのボイスボックスをわたしにくれない?あなたは今まで、こどもたちに愛されてきた。でもわたしは、いちども愛されたことがないの。いちどでいいから、こどもたちに愛されてみたいの」

すごいですね。人魚姫が声をくれと言っているようなすごいシーンでした。ウッディは逡巡し、ギャビー・ギャビーにボイスボックスを渡します。もちろんそうすると、ウッディは声が出せなくなってしまう。でもいいんです。

もうボニーはウッディを必要としてないから。

で、ギャビー・ギャビーは念願の声を手に入れ、ずっと「この女の子なら私を愛してくれるはず」と思っていた女の子のもとに行く。でもその女の子は、ギャビー・ギャビーの声を聞いて「フーン。こんな古いおもちゃいらないわ」と言ってギャビー・ギャビーを放り捨ててしまうんです。

泣くわ〜〜〜

ヴィランとしてすごい展開でしたよ。自分の利益のために他人から奪った力を使っても、それは何の役にも立たなかった。

つらい。

「これを手に入れれば誰かが私を愛してくれるはず」ずっとギャビー・ギャビーが願っていた思いは届かなかった。ラスト、ギャビー・ギャビーは自分を愛してくれるこどもを別に見つけたのでちゃんとハッピーエンドになってました。

で、ラストシーン

ウッディは、もう自分を必要としていないボニーのもとを離れ、ボー・ビープとともに生きていく決断をします。仲間のおもちゃたちと離れ、

自分が咲く事ができる場所で生きていく

そういう決断をしたんです。その決断の場所に現れたウッディの盟友、バズ・ライトイヤー。彼は何も言わなくても、ウッディの決断のことがわかっていました。

ウッディ「バズ、あのな..」
バズ「彼女なら大丈夫だ」
ウッディ「いや、そうじゃなくて...」
バズ「ボニーのことなら大丈夫だ、と言ったんだ」

このやり取り!!しびれましたね。「彼女」とだけ言って、観客には「僕たちのもとにおかえり」といっているのかと思いきや、ウッディの選択を認めて祝福している...さすがの友情ですよ。これは泣く。

で、もう「これって..あれやん?キャップがやろうとして出来なかったことやん...?」ってなってエンドゲームロスまで始まる始末です。エンドゲームのラスト、「うーんそういうこともあるのかな?」と思っていたけど、なんか「トイ・ストーリー4」を見たら彼の選択がなんかすんなり受け入れられた気もしました。

■ものすごい賛否両論

ところで、この「トイ・ストーリー4」 、日本と海外でものすごく賛否両論が別れているんです。

アメリカではこの高評価。ぶっちぎりです。

日本ではそこまで評価が高くない。

日本では「脚本の都合でトイ・ストーリーの仲間たちを離れ離れにして許せない。トイ・ストーリーはこんな話じゃない」と、古くからのファンから否定的な意見がすごく多い印象でした。

で、思ったのが、否定派の方は「変わらない物語世界」を求めていたのに裏切られた気持ちになっているような気がしたんですね。

日本のアニメはサザエさんもドラえもんも何十年も変わらぬ日常を過ごしている。大いなるマンネリを楽しんでいる。いきなりカツオが「俺MBA取るわ」って家を出て留学したら破綻するでしょう。

寅さんとかもそうだけど、日本にはファンタジーに「絶対に変わらない物語」を期待し、それを絶対に壊して欲しくないという気持ちがあるのかもしれない。

それに対して、アメリカのエンタメはどんどん状況が変わっていきます。アメリカのエンタメは時間経過とともに登場人物の心境がガンガン変化してそれを視聴者も楽しんでいる。アメリカのドラマなどのエンタメは、最高の瞬間は限られた瞬間しかありません。最高のメンツが、最高の状況になって、この瞬間が永遠に続けばいいと思う。でも時間の流れとともに、全員の状況が変わっていく。時間の経過とともに登場人物が変化に晒されていく。

gleeもOCもゴシップガールもハリーポッターもみんなが幸せな瞬間は一瞬しかなかった。その後は抗えない波に飲み込まれていく。そりゃ幸せな瞬間が永遠につづいたらいいと思いますよ。

フィクションだからこそありえない幸せな瞬間を永続させるのか?現実に即していくのか?

どちらが正しいという話じゃない。これは方向性の違いだと思います。わたしは海外のやつのほうがリアルだなと思って好きで見ていますが、「フィクションだからこそ永続できる世界を見せてほしい」と思っていたらこれは宗教戦争が起きてしまう。

なので結論としては、日本のトイストーリー作るしかない。キングダムハーツみたいなやつ。リカちゃんとか仮面ライダーとか、全IP使っていきましょう。日本のIPならかなりのものが出来ると思います。誰か作って!!!期待してます!!

個人的には「トイ・ストーリー4」は大満足でした。すげえ泣いた。新キャラのダッキー&バニーも超最高。

ハンカチが休まる暇がなかった。

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