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怒りが消えるとき

昨日わたしは怒っていた。どうにも理解できない件があった。わたし以外の関係者は全員同意しているらしいのでずっと黙っていたのだが、やっぱりどうにも、これはおかしいんじゃないかと思う。

そうやって怒っていることを関係者のひとりに伝えたら、その人は”わたしが怒っていること”について大変気を使ってくれるのだった。普通は頭ごなしに「君の考えは間違っている」と言ったり、「これこれこういう理由でこうなっているんだよ」と長々と説明したり、「そんなこと言うならもうやめろ」と言ったりする。だがその人は「君はいま怒っているのか」ということだけを聞き、「一人が納得できないことはやらないようにしよう」と言うのだった。

そもそものわたしの希望は、他の人が言っていることを覆して、変更を加えてほしいということだった。だがわたしの希望を通すとまた他の人が納得できなくなってしまう。このダブルバインドをどうやって切り抜ければいいのかと思った。こちらの要求を通せばあちらの要求が通らない。

どうすればいいのかとしばらく悩んでいたのだが答えは見つからなかった。そうやってああでもないこうでもないと考えている間じゅうも、その人はあまりにも「わたしの怒りを鎮める方法」しか考えていなかった。そんな様子を見ていると、いつの間にか怒りが消えて、もう変更しようがしまいが、どちらでもいいや、大丈夫ですという気持ちになってくるのだった。

すごいと思ったのは、誰もが納得する理屈的に正しい方法を編み出すよりも、実はそのほうが話が早いことだ。なにかごたごたが起こったときに、問題そのものの仕組みを解決するよりも、怒っている人を鎮めるだけで問題が存在しなくなったりする。

わたしは生まれてはじめて、自分の中の怒りが消えるんだということを知った。それは目の前にある巨大な黒い塊が、本当にシュワシュワと音を立てて消えていくような不思議な感じがした。怒りが消えたあとの世界はとても優しく見えて、自分も世界に対して優しくなれそうな気がした。これが人間の心の暖かさかと思った。そんな風景を見せてくれたその人にはとても感謝している。


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