見出し画像

リンキン・パーク、チェスター・ベニントンを偲ぶ

アメリカのロックバンド、「リンキン・パーク」のボーカル、チェスター・ベニントンが死んだ。自殺だった。自宅で首を吊って死んでいるのを発見されたという。一週間たった今も、アメリカだけでなく日本のメディアにも、彼の死についてのニュースが溢れている。

リンキン・パークって誰?という方のために説明すると、2000年にデビューし、世界中でアルバム通算7000万枚以上を売り上げるビッグ・アーティストだ。『トランスフォーマー』の主題歌なんかも歌っている。ちなみにオアシス、カイリー・ミノーグのCD売上枚数も7000万枚(wikipediaより)。知らない方はそれぐらいビッグな存在だと認識してほしい。日本ではワンオクロックさんが彼らの絶大な影響を受けている。ミュージシャンの自殺でここまで凄まじい反響を巻き起こしているのはそれこそニルヴァーナのカート・コバーンが死んだ時以来じゃないかと思う。


チェスターが死んで、なぜ世界中の人が騒いでいるのか。リンキン・パークは「ラウド系」「ミクスチャー系」と呼ばれる、ハードコアとメタルとヒップホップの融合のバンドだったのだが、同じ系統のKornやLimp Bizkitなどは見るからに不良で悪そうだったのに対し、リンキン・パークは優等生でマッチョではなかった。2ndアルバムまで、fuckなどのいわゆるFワードが含まれていなかったのが特徴的だ。まるで怒涛のようなラウドなサウンドながらも美しいメロディと軽やかで現代的な音楽性を備え、歌詞が鬱っぽくてゴス的な親和性もあり、ハードコアな人からは「あの売れ線のやつね」と下に見られることも多かった。その結果、ラウド系の枠をやすやすと超えて全世界で受け入れられ、絶大なセールスを記録し、いつしかその存在はU2に例えられるまでになっていった。

しかし実のところ、チェスター自身は子どもの頃から性的虐待を受けるようなひどい生い立ちで、生前からアルコール依存症や薬物中毒、メンタルヘルスの問題を抱えていると公言していた。私は3rdの「ミニッツ・トゥ・ミッドナイト」(2007)まではすごく熱心に聴いていたファンだったけど、マイク・シノダを認識するくらいで、チェスターが発言しているところは見たことがなかった。というか名前すら知らなかった。東日本大震災のチャリティを企画して、被災地に5000個のランドセルを贈ってくれる優しい人だったのにも関わらず。きっとみんなそうなんじゃないだろうか。楽曲は、すごく流行ったし有名だから知っている。でも、それを歌っている人が、どんな思いだったのかなんて全然知らないし、知ろうとも思わなかった。

今回彼が死んで、ようやくわたしはチェスターの名前を知った。ひどい話だと思う。死んで突然騒ぐことくらいダサいことはない。彼らがファーストアルバム『ハイブリッド・セオリー』を出した2000年、私はレコード屋で働いていた。すさまじい完成度を誇る、その輝かしいアルバムは、どこの馬の骨からわからない、新人メタルバンドのアルバムとして入荷されてきた。最初、彼らの音楽を褒める人は誰もいなかった。ロック担当も、オルタナ担当も、パンク担当も、ヒップホップ担当も、声を揃えて「ダサい」と言った。何よりジャケットがダサかった。2ndアルバムくらいのデザインだったら、評価も変わっていたかもしれないが、私も「あのうるさいやつの仲間のやつか。よくわかんないな〜」は思っていた。

今見てもやっぱりダサい1st。暴力的な内容が含まれる「ペアレンタリー・アドバイザリー」のマークがないのに注目

だが何度か聴くうちに、計算しつくされたギターとラップの絡み合いの複雑さや、メロディの美しさなどのすごさが段々理解できてきた。一度気づくと中毒性が高い音楽だった。次第にパンク担当もヒップホップ担当も「あれが聴きたい」と言うようになって、一日中レコード屋でかかるようになった。最初はダサいと言われていたのに、いつしかみんな虜になっていた。

リンキン・パークはあまりにもバランスが画期的だったのだと思う。デビューの時、彼らは42社のレコード会社に断られ、やっとの思いでデビューをした。7000万枚のアーティストを断ったレコード会社はどんな気持ちで彼らの躍進を見ていたのだろう。「レコード会社って見る目がないね〜」と笑い話になっているが、そうじゃなくって、彼らの音楽のバランスはあまりにも新しくて、最初は誰も理解できなかったんだと思う。

そしてそのサウンドの中心にあったのが、チェスターの声だった。まるで宝石のような声だった。声の中に怒りが含まれている。本気で怒鳴っている人の声のまま、凄まじく美しいメロディを歌う。まさに天使と悪魔が同居しているような声だ。


パンクやロックなどの反抗の音楽は、社会や世界に苛立つ人々のためにあり、そうした人々がチェスターの怒りと悲しみのこもった声を聴いて深く癒やされてきた。その声は間違いなく天性のものでもあるし、彼の辛い生い立ちと心の傷によって磨き抜かれたものだった。

リンキン・パークが彼の死に対して発表したメッセージにもそのことが書かれている。

君を連れ去った悪魔が、いつだって僕らの取引に存在していたことを忘れないようにしたいと思っている。結局のところ、君がその悪魔について歌うことこそが、君の声を聞いた誰もがいっぺんで恋に落ちる方法だった。君は恐れることなく、それを人前に出せる勇気がある人だった。その姿が僕らをひとつに結びつけてくれたし、もっと人間らしく生きるようにとも教えてくれた。君は誰よりも大きいハートを持っていたから、それを人前に出す能力があったんだと思う。


そんな風にして、自分の苦しみによって人々を癒やしてくれていたチェスターだが、リスナーという勝手な立場の自分が、もう10年くらい聴いてもないし、その苦しみを全然わかろうともしてこなかったことにすごく打ちのめされた。彼の死以来一週間、ずっとこのことを考えている。だが彼の死がなかったら、こうやって考えることもなかったのだろう。のんきな話だ。その凄さを知っているのに、まったく気にも止めておらず、なくなってから突然騒ぐのだ。もしその才能の凄さをみんながもっと語っていたら、チェスターはもしかしたら、死ななかったかもしれない。そう考えると、本当にやりきれないものがある。もう完全にこれである↓

「チェスターが死んだのは、彼の親友でバンド「サウンド・ガーデン」「オーディオスレイヴ」のボーカルであり、5月に自殺したクリス・コーネルの誕生日だった。サウンド・ガーデンはグランジというチェスターが出て来る一つ前の世代のジャンルのバンドで、クリス・コーネルも高名なボーカリストとして知られていた。クリス・コーネルの死以降、チェスターは「人が変わったようになった」と言われている。

リンキン・パークは、アルバムを出したばかりで、来週から全米ツアーが始まるはずだった。1stは2000万枚を売上たが、新しいアルバムは全米チャート1位を記録したものの、13万枚の売上だった。目まぐるしく移り変わり、激動する音楽シーン。民衆は常に「もっとくれ」とねだり、一人の人間を搾り取る。その対価として莫大なお金をもらうショービズの世界に、何の価値も見いだせず、疲れ果てていたのかもしれない。先日ジャスティン・ビーバーが「バイクとか乗りたい」みたいな理由で世界ツアーをキャンセルしたように、ゆっくり休んで貰えばよかったのかもしれない。今となっては、もうわからない。

本当に、死んでから惜しいと嘆くことぐらいバカみたいなことはないのだ。今もたらされている恵みにきちんと眼を向けて、ありがたいと思って眼と耳を開いていきたい。それがわたしたちに出来ることだと思う。

チェスター・ベニントンさんのご冥福をお祈りします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?