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巨匠の退屈な絵

以前地方に行った際に、取材の合間に時間が空いたので、地元出身の画家の作品を収蔵する美術館に行った。その画家は泣く子も黙る日本画の大家で、生前から高い評価を受け、財を成し、長者番付の常連。政治や文化事業もこなし、美大の学長にもなってたくさんの勲章をもらったものすごく偉い人だが、その名声は国内にとどまり、またいわゆる美術ファンからもあまり評価されていない。

彼の絵は、もちろん美しいとは思うのだが、どこにも破綻がなくて、あまりにもきちんとしている。なんだかとりつくしまがなくて、興味を持つことができないのである。そうすると「退屈」というレッテルが貼られてしまって、その作品に向き合うことはなくなってしまう。

美術館には彼の名作と言われる作品がたくさん展示されていた。実物を前にしても、わたしが感じたのはやはり「退屈」で、興味を持つことができなかった。

そうやってつらつら見ているうちに、彼が5歳の時に描いた絵に目を奪われた。5歳にして描いたその絵はひと目ですさまじかった。戦時中の当時、女学生たちが縄跳びをしている後ろに戦闘機が飛んでいる様子を描いている。構図はシンプルで、まったく無駄がなく、登場人物がいきいきとしていて、いまにも動き出しそうだ。5歳の時にこんな絵を描ける能力があるなんてものすごいことだと驚いた。

その後小学校に上がって描いた絵も、まるで編集者がイラストレーターに依頼して描かれたような完成度の高いものだった。

絵というのは目の前に見えているものから必要なものを取り出して描きつけるものだ。幼い子の絵がカオスなのは、クローズアップする対象を掴みきれないので、描き込みが足らず何のことなのかわからなかったり、逆になにもかも描き込んでしまったりする。

だが幼い巨匠の絵は、何を必要とされているのかが完全にわかっていて、それをできうる限り魅力的に描いていた。いわゆる「こどもの絵」というものを具現化したような完成度だ。稚拙ささえ計算のように見える。まるで大人が「こどもが描く絵」を模倣したかのようだ。だから編集者の依頼を受けてイラストレーターが描いた絵のように見えるのである。恐ろしい才能だと思う。後に政治手腕として発揮された、空気が読めるとかそういうものが天賦のものとして与えられているのだろう。幼いうちからこんな才能を手にしていたら、いったい人は何が描けるのだろうと思った。

わたしは巨匠が大人になって描き上げた、「退屈」な絵を見て、巨匠の可能性について考えた。彼がこの「能力」を違う方向に使っていたら、日本だけで評価される巨匠でなく、世界じゅうの人を感動させて、世界各地の美術館に作品が収蔵され、その名声を永久に残す画家になれたのかもしれなかった。でもそれは彼の望むところではなかったのかもしれない。日本で財を成し、勲章をもらう道が彼の望むところだったのかもしれない。

天からもらう能力をどう使うのかはその人の自由だ。巨匠は自分の人生に満足していたのだろうか、わたしは初めてその巨匠からレッテルを剥がし、その人生に思いを馳せた。

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