見出し画像

すこやかな人

尊敬する友人がいる。

その人の何がすごいのかといえば、まあ、まずはなんといっても素直だ。思ったことをそのまま言う。赤だと思えば赤と言うし、白だと思えば白と言うし、うれしかったらうれしい、悲しかったら悲しい、好きだったら好き、嫌いだったら嫌い。

みんな大人になるにしたがって、「こう言ったらカッコ悪い」とか「あの人が嫌いだって言ってるから嫌いだって言っておこう」なんて考えたりして、思ったことをそのまま言えなくなってしまう。”素直さ”というのはカンタンそうに思えて、なかなかできないことなのだ。

素直になるには強くなければならないが、強さというものを身につけると、その代償として素直さに気づけないほどに鈍感になってしまうことが多い。素直さというものはいくらお金を出しても買えない。この複雑な現代社会で、本当の気持ちを自覚するまっすぐさと、本音を言い続けるだけの強さを両立させるはほんとうに難しい。まずはそれがスゴイと思う。

それに加えて、さらにスゴイなと思うのが「人を憎んだり恨んだりしない」ということだ。

例えば誰かに殴られたら、普通は自分を殴った人のことを悪い人間だと判断する。「その人が他で何をしているにしろ、自分のことを殴るような人間である」とみなすからだ。

憎しみや恨みは、その人まるごとを悪い人間とみなすことから始まる。その人が自分以外のおばあさんに席を譲ったり、飢えた子供にたくさん寄付していたりしても、関係ない。

そういう強い要因だけじゃなくて、世間的には間接的に「悪い人間だとみなす」ことが頻繁に起こっている。自分は直接的な危害が加えられていないのに、「あの人、あんなことしてるんですって」「あらやだ、いい人そうなのにねえ」みたいに、誰かの噂話だけで「何かをしたからだめな人」という烙印を押すことも世の中ではたくさんある。

だがその友人は、「あの人は自分にこういうことをしたけれど、たぶん◯◯と思ってたからみたいだから、別にいいし、関係ない」と思っているから、烙印を押して取り除くということはしない。人間なので合わない人もいるけれど、そういう人とは単純になるべく関わらない。

きっと友人は、人間と出来事を切り離して考えているのだろう。いつもそういう風に考えられれば、世の中で起こる複雑なものごとがすっきりして、うまくいきそうに思えるのでうらやましい。そんなことができるのは、哲学に傾倒したとか?悟りを開いたとか?なんか宗教とかに入ってるとか?って一般には思われそうだけど、そういうことでもない。世界の受け入れ方が、ものすごくすこやかなのだ。

その人がすこやかに世界を受け入れられるのは、絶対的に確立された自己というものがあるからである。柔軟というよりもむしろ、絶対に自分を曲げない。自分を曲げないために、他人の些末な動きに翻弄されることがない。それはすごく健康的なことだと思う。「殴られるのを避けるために、こうしよう」と迎合することは決してなくて、「まあ殴られとけばいいや」ぐらいに考えている。その世界との対峙の仕方は、見ていてとてもすがすがしい。

だからその人の周りにはいつも、たくさんの人が集まって、みんな楽しそうに笑っている。リーダーシップがある人の周りにはそうやって自然にたくさんの人が集まってくるものだが、風通しが良いから、いつもいい風が吹いている。風水とかで言う、”気がいい”というやつに近い。

そしていいものを作る人というのは、そういう気持ち良い考え方を持っている人なんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?