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小学生の私とお金の苦い思い出

子供の頃のお金に関する苦い思い出って何ですか? と聞かれると、なんだかボロボロとたくさん出てきて、良い思い出はどうですか?と聞かれると、あんまり思い出せない。これって悔しい思いや辛い思いの方を強く思えているってことなんだろうか。

ボロボロたくさんあるうちの一つとして、うちのお金を盗んだ、ということがある。それも一度でなく何度も。

盗んだ、というと大層なことに聞こえそうだけど、いや、実際大層なことで誤魔化しちゃいかん、と思うので改めて振り返ってみる。

小学校に上がってから、確か1週間に100円のお小遣いをもらっていた。低学年の頃はそれで充分だったと思う。というか、自分でお金を持ってお店に行ってお菓子を買う、とかなんか大それたことで、大人についてきてもらわないと一人でやったらアカンこと、という風にとらえていた。

それが3年生ぐらいで漫画の面白さを発見し、漫画を買う、ということを知った。その頃読んでたのはドラえもんとかで、一冊360円だった。そうすると1カ月のお小遣いはあっちゅう間に消えてしまうのだ。

小学生の頃、学校が終わった後は学童保育に行ったり友達と遊んだりで、私が家に帰ってくるのは夕方の5時過ぎだった。それから母が帰ってくるまでの間、妹と弟と3人で過ごす時間があった。そんな時に小腹が空いて、お菓子が食べたくなるのだ。近所のパン屋さんや駄菓子屋さんではタケノコの里、とかカールおじさんとかそういった駄菓子があった。お小遣いなんてもうとっくの昔に使い切っていたので、お菓子を買うお金なんてない。そこで、母が引き出しに置いていた小銭入れから小銭を失敬してお菓子を買っていた。

そんなことを続けていたら、小銭入れの帳尻が合わないことに気が付いた母からある日、「小銭入れのお金使ってない?」と聞かれた。子供ながらに、「盗んでない?」と聞かれたような気がして、実際母がそう質問したかどうかは覚えてないけど、知らん、としらを切った。

今から思うと、というかもうずっと以前から、母は私がお金を持ち出してお菓子を買っていたことをわかっていたはず。子供の浅知恵で嘘をついてみても、丸わかり、というのは自分が親になって、息子ちゃんの行動と言動を観察してるとわかる。子供にしてみれば上手く嘘をついてるつもりでも、まるでザルの目のような嘘なのだ。バレバレである。

そんなわけで、浅知恵の私は、お金を盗んでることなんてばれていないと思い、お菓子は買うわ、漫画は買うわ、とエスカレートしていった。そしてついに私の盗み癖は家族問題になり、父からもお金とは、とかお金を盗むとは、というお説教を受けた。

しかし! 私はなかなか学習しない子供で。。。 ペースは落ちたけどそれでもたまに小銭を失敬していた。そして素知らぬフリ(バレバレじゃ!)、という図々しくもアホ丸出しやな、と今更ながら思う。

そのうちに、ある日父方の祖母がうちに遊びに来てくれた。その時に祖母からもお金を盗むことについてお説教を受けた。内容はもう覚えていないけど、おばあちゃんも子供の頃になにかどうしても欲しいものがあったけど、自分にはお金が無いから、親戚のおじさんだかだれかが、机の上に置いていたお金を手にして、欲しかったものを買いに行った。そしたらすぐそれがばれて。。。という流れだったような。

その時、小学生の私を驚愕させたのは(というとちょっと大げさだけど)、お金を盗むのがいかに悪いことであるか、ではなく、なんと!私がお金を盗んでるってこと親戚のみんなが知ってるの?!?!?という恥ずかしさだった。おばあちゃんまで出てきちゃったよ。大好きなおばあちゃんからお説教を聞く羽目になるなんて、もう私なんていないほうがいいかもしれない、とまで思った。

その後、お金を盗むことはなくなったんだけど、時々机の上に父が小銭を置いたままにしていると、もらっていこうかな、と思うことがあった。けれど思いとどまって犯行未遂に終わっている。その理由が、見つかると恥ずかしいから、だった。要するに、じゃあ見つからんかったらいいんか?と聞かれると、そうだ、と言ってるようなものだ。腐ってるな、と自分でも思うけど、結局犯行未遂に終わる理由が、恥ずかしいからでも、他人に迷惑をかけるからでも、未遂は未遂だから良しとしてもいいんじゃないかしら、と都合のいいことを思う今。

小学生の頃のお金に関する苦い思い出はボロボロたくさんある、と書いたけど、これだけじゃぁないのだ。他の人も苦い思い、というか、恥ずかしい思いをしたりすることたくさんあったんだろうか? 小学生のくせにお金で友達と揉めたこともあった。つくづくだけど子供の頃にお金のことで苦い思いをする、というか、人生の教訓を知るっていうのは、よくあることなんだろうか?

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