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コロナが終わると、みんな集まりたいと思ってるんじゃないかしら。

ワクチンが徐々に一般でも受けれるようになり、そして感染者の数も徐々に減り、レストランやネイルサロンなんかもオープンするようになってきた。もちろんソーシャルディスタンスは守らなきゃならないんで、レストランもテーブルを外に出して、お客さんはレストランの中でなく、外の歩道だったり駐車場を一部改造した「とりあえず」なテーブル席についている。

私たちの生活のスタイルが以前のスタイルに戻りつつある、というか、以前のスタイルに似た感じに移行するにあたって、この先どうなるの?という疑問はみんなが考えていることだと思う。改めて、”Back to normal”というフレーズを耳にすることが増えてきた。去年後半は自粛生活一色の状態を指して ”New normal”というフレーズが流行っていた。(と覚えている)

私が今まで耳にしてきた都市計画に携わる人たちの意見としては、これが新しい生活様式であり、そんな状況の中で私たちは都市計画を進めていくのだ、というものだった。その意見は楽観的なものから、シニカルなものまで多様。そんな意見を(どちらよりでも)聞くたびに、なんか腑に落ちない、と思う気持ちがあった。

コロナの猛威のおかげで自粛生活をせざるを得なくなり、仕事もリモート、お買い物は大概オンライン、レストランはソーシャルディスタンスの為お店の外にテーブルを出してお客様を呼ぶようになり、そのために街の自治体は急遽歩道側の普段なら駐車スペースに使われている道路のレーンを歩道の延長としてレストランがテーブルを出せるようにした。こんな感じ

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車をアーバンライフの諸悪とみなす私の同僚たちからは、この歩道の延長は道路を車用ではなく、人を中心とした街づくりの原点に向かうものだとして賞賛された。

そしてコロナのおかげで今までコンセプトとしては可能だけど、みんながそこまでやる気にならないから乗り出せなかったことが実際に可能になった、やろうと思えばできるのだ!というメッセージに作り上げられていった。
どういうことかと言うと、例えば社会レベルでリモートワークになり、そのおかげで通勤の渋滞が減った。道路の目的が車の通り道、から人がソーシャライズする為へと移り変わった。私たちの街を車社会から取り返すぞ!という意気込みのメッセージをいくつも聞いた。

そんな意見を聞きながら、何かがしっくりこない、と思っていた。でも何がしっくりこないのかよくわからんなぁ。。。という状態だった。

そこへ来てちょうど先月の話。

仕事がらみで聞き入っていたウェビナーで、最近ありがちな質問がパネルスピーカーに質問された。
「今のオンラインでのお買い物の比率や、道路の交通量など、このまま傾向として続くと思いますか?」

その質問に答えた二人のスピーカーの回答はこんなだった。

「まず、人がどれほどソーシャルな生き物かっていうのを忘れちゃいかんよ。僕らは大概にして人と集まりたい性質なんだ。だから何かにつけて休日には裏庭でBBQしたり、サンクスギビングには家族と集まってターキーを食べたりするでしょう。それに何かはっきりした目的が無くても週末の夜には外に行きたくなる。飲み屋に行ったり、映画に行ったり、ウィンドーショッピングだったり。そうやって外に出て、知らない他人も外を歩いて自分らで楽しんでいる、という状況が大好きでしょう。友達の家に集まるのも好きでしょ?どうでもいい話をして、ゲームしたり、おいしいもの食べたり。今はパンデミックでそれら諸々できないからおとなしくしてるけど、みんなまたそうやって人に会ったり集まったりできるのを心待ちにしてない?
誰だって風邪をひいてゴホゴホ言ってる人にハグしようなんて思わないよね。でも健康な相手だったらハグもするし、一緒にでかけるでしょ。そういうもんなんだよ。基本的に僕らはみんなソーシャルな生き物だってことを忘れちゃだめだよ。忘れて今の状態が続く、なんて思いこんで物事を進めちゃうとそれこそ取り返しのつかないことになるよ。特に渋滞とかね。」

「それに加えて、今の私たちの生活状況って、仕方なくやっていることだってことを認識しないと。こうやって自粛生活をしないとコロナの感染者数が収集つかなくなって、病院や医療機関がパンクしてしまうからね。
ということは、今の状況っていうのは経済的な力が作り上げたものではないってことなんだよ。経済の理にかなったうえで派生した状況でないから、改めてまた経済の力によって物事が流れるようになると、人は動き出すということ。今の状況が非常に特殊な状況で、たやすくまた繰り返せれる状況だと勘違いして都市計画を進めるのは非常に無責任である。」

そうなのよ! まさに、そうなの。私の違和感。同僚が、この自粛生活中のスタイルはこのまま続くだろう、そして今回のパンデミックは私たちがやろうと思えば渋滞を減らせることができるかの証明になった、この先もみんなで意を決すれば渋滞を解決することができるって証明できたんだよ。そしてその代わりに新たに道路をどういう風に配分するか、とか考える機会になったんだよ。な~んて話に没頭しているのを横目に私が白けていた理由が。

この状況がNew normal として続く、と仮定することは人としての本質を無視してる上に、今現在ある経済の力を無視することでもあるよね。経済を回そうと思うえば、人が外を出歩き、買い物をし、食事をし、人と集って消費するのが前提なんだもん。何か腑に落ちない、と思っていたのはこのことだったんだ。人の本質と経済の在り方を抜きに、渋滞が減りました。街の使い方が人中心になりました。なんて言われても納得できないのだ。

その辺肝に銘じてこの先も行かないと、とんでもないことになるよね、と思う。特に常に車の数と走行距離と大気汚染で窒息状態のロサンゼルスとか。。。





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