自分で作ってみること

 
 苦手だったモノ作り、修繕、部品交換などなど。
それで息子からよく怒られていた。考えたらわかる、調べたらわかる、自分でやってみろ、と。そのあとにやる?できる?できない? できないならそう言ってくれって
やろうとしないことで詰め寄られていたんだよなー

 確かにやってみようという構えで物事を見ていなかったのは事実。調べてみるその作業が億劫だったのと興味がなかったので面倒だから回避だったのね。根源にはそこに便利で快適なものを置くとか、使い勝手を良くするとかいう意識が自分の意識圏外にあったということがある。

 でも今回の小屋経験で、自分でものを運ぶ、手作業で作るということが日常だった影響で、少し変わったように思う。
なんせやったことのないことも知恵を出して構造を理解し、トラブルを乗り越えないといけない環境。これは自分がそれをやるというよりも、先人が苦労して身に着けてこられた素養。本当に尊敬するよ。
だからその考えが浸透しているのだろうな。実際にほとんど何もできるようにならなかった私だが、生活インフラの重要アイテムである「水」については構造を理解しようとした。
どこのタンクに汲み上げ、保管タンクまでどのパイプでつなぎ、ホースをジョイントし、天水はこっち、汲み上げ湧き水はこっちと複数のタンクの役割や、配管の構造などを知った。よろこびもあるし、知っていないと「夜更けにトイレの水が出ない」トラブルにも対処できないしね。

 そんな経験やらみんなが雨の中でもカッパを着て釘打ちをしたりする姿、ガスの交換をしている様子を見るにつけ、それが当たり前意識が定着した。
だから今度はその意識で自宅の設備にも気が向くようになり、今までこれは誰かにやってもらお と意識外に置いていた作業も「やろうよね」という気が自然に湧いてきた。いいじゃん、これ!
そうなると、ここにあるこのモノは本当に役に立っているのか?要らないのでは?もっとやりようがあるのでは? とキョロキョロしてしまう。
自分の変化にほんのり嬉しくなったものだからここに書かせていただいた。
長文お付き合いありがとうございます。

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