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卒業後。ゴルフ業界から美容業界へ。

バブルの終わる頃、卒業前に青田刈りは当たり前を見ていて、売り手市場の終わりかけ。企業からの企業説明会兼ねた旅行へ参加できたりと、日本はそんな時代で調子がよかった。商社、金融、航空会社、広告、マスコミなど大手一流企業の数々…その頃名の知れた大手企業へ次々と就職先が決まっていく。一般的にその頃「すごいね!」と就職できたことを賞賛される企業のどれもに、自分が通勤することの魅力を感じることができなくて想像さえ出来なくて、人と違うことを

したいと思うのは子供の頃からずっとそう。

変わらなかった。

それは親が会社勤めをしていなかった。そのライフスタイルを身近に見ていたことも大きかったと思う。好きな仕事で忙しいとしても、誰かにこうしなさいと決められるのが苦手な気がしていた。

「まずは企業へ就職して2年以上在籍して世の中をみるべき」

というアドバイスがあり

一般的な就職活動を始めるものの

金融、鉄道、メーカーどの説明会へ行っても、そこへ参加してる方々との違いも感じたのもある。

しっくりこなくて、好きなこともできない場所へ毎日出勤することが想像できなかった。

「どれも違うなーダメだなー。これならゴルフ場で研修生になりたいなぁー。」などと、夢のようなことを思っていた。

学生時代の四年間は(何故か家系では、祖父しかやっていないスポーツ)体育会ゴルフ部に入った。
関東学生連盟の最後の試合では、部にプロゴルファーを目指してる友達がいたことなどの幸運が重なり、1番上のAブロックへ、部を昇格させて学生ゴルフを終える事ができた。わたしはどんなに筋トレしようが飛距離が全然出せなくて、マインドが直結して影響してくるゴルフのプレーをカバーしてくれたのは学校教育で身につけた精神統一のマインドのセルフコントロールだった。
気持ちを沈めるコントロールすることは得意だったので、飛距離が出せない分は、グリーンまわりの小技とパターを極めてスコアを縮めてカバーすることに専念した。
素振りや練習用のパターマットで、できる日は身体が忘れないようにと、ほぼ毎日に近く練習したと思う。ゴルフを始めて4年目でやっとハーフ40の壁まで見えてきたことを憶えている。

ゴルフ部に入部したことで、スポーツ関係(好きなことを仕事にする)へ行くなら許容範囲かなぁ…という結論に自分の中で納得するに至り、

ミズノ、ブリジストン、ダンロップ、その他、人気の高かった狭き門の大手を色々とみながら選んだり就職試験を受けたりした。その中で、たまたまご縁もあり、プロゴルフトーナメントの公式や協賛企業との主催をして、当時はプロテストから選手の育成や管理を取りまとめている「日本プロゴルフ協会」という組織を知り、採用枠の少ない募集が出たために応募した。
ロサンゼルスへ渡米を決めるまでの2年数ヶ月の間、採用をしてもらえることになり仕事として、上野まで、Door too doorで片道90分の通勤生活だったが、時にゴルフ練習場やゴルフ場への出張生活が始まっていった…

22歳の頃の話。ここから2年半のOL生活の後、

日本にはまだ少なかったネイリストになる為に、ネイルの技術習得目指して渡米。





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