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南東欧旅行記_Day 15 モスタルからブラガイ、ポチテリ、クラビカへ

📝前の旅行記

モスタル近郊の観光スポットへ行く1日ツアーに行きました。

ツアー出発

最初は公共交通機関を利用して自力で行くことを前提にバスの時刻を調べていたのですが、バスの本数が少なくて1日で全部行くのは無理そうだったので、6,100円のViatorのツアーを申し込みました。

ホテルで朝ごはんを食べてから、ツアーの集合場所である旧市街にある催行会社Balkan Travel Servicesのオフィスへ歩いて行きました。
前日は結膜炎で目が見えず辛かったのですが、この日は起きたら涙が止まっていて、視界がかなりクリアになりました。
この日は天気がよくて、歩きながら山や川の写真を撮って、前日はちゃんと見えていなかった景色を楽しめました。

朝のスタリモストは人が少ないです
山の上に十字架がありました

集合時間前にBalkan Travel Servicesへ着いたのですが、ツアー参加者っぽい人は他にいないし、ドアは閉まっているうえに窓には全部フィルムが貼ってあって中が見えないようになっています。

無性に嫌な予感がしました。

数年前、クロアチアからモスタルへ行くツアーに申し込んだのに、置いてけぼりにされた時もViatorのツアーでした。
===海外旅行先でのハプニングnoteはこちら

嫌な予感通り、9時になっても誰も迎えに来ないしBalkan Travel Servicesは閉店したままです。

ふとWhatsAppをみたら、知らない電話番号からメッセージが来ていました。
iHouse Travelのリンクと「9:00」というメッセージ
リアクションしてみたら、
ツアースタート場所はiHouse Travelだというメッセージ。
ひどい😢

リンクと「9:00」というメッセージでスタート場所が変更になったと理解するとでも思ったのでしょうか。せめて場所が変更になったとちゃんと文章で書いてくれればいいのに😢😢😢 

ViatorのカスタマーサービスとiHouse Travelの方とそれぞれWhatsAppでのやり取りを何度か繰り返し、私がいる場所まで迎えに来ていただけることになりました。
もし私がWhatsAppを使っていなかったら、どうなっていたんでしょう。

しばらく待っていると乗用車が停まって
Are you waiting tour guide?と声をかけられました。
あきらかに私の名前を把握していない人が自分の車に乗れと言ってきます。恐ろしかったです。
WhatsAppの画面を見せて、この会社(iHouse Travel)の人ですかと確認してから助手席に乗り込みました。
さらにびっくりだったのが、私のことを誰だか分かっていないその方がその日のツアーガイドさんでした。

ツアー参加者はプラハから旅行に来ていたカップルと私の3人だけで、運転手兼ガイドさんとセダンタイプの乗用車で一日ツアーとなりました。


ボスニア・ヘルツェゴビナについて

ボスニア・ヘルツェゴビナという国名は聞いたことがあっても、よく知らなかったので、ちょっとだけ勉強しました。
詳しい解説はWikiページなどをご覧いただければと思いますが、かいつまむと
イスラム教のボシュニャク人
カトリックのクロアチア人
正教会のセルビア人
の3つの民族が主要民族です。

ボシュニャク人とクロアチア人が主体となっているボスニア・ヘルツェゴビナ連邦
セルビア人のスルプスカ共和国
二つを合わせてボスニア・ヘルツェゴビナ共和国といいます。
私が旅行したサラエボとモスタルはどちらもボスニア・ヘルツェゴビナ連邦にあります。

Wikipediaより引用
黄色がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦でグレー部分がスルプスカ共和国

ネレトバ川に架かるスタリ・モスト(古い橋)は16世紀、オスマン・トルコによって建造されました。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争中、ネレトバ川東岸及び西岸の一部を勢力圏としたムスリム系住民と、西岸の大半を勢力圏としたクロアチア系住民が激しい戦闘を起こし、市街の相当部分が激しい被害を受け、1993年11月にスタリ・モストは全壊しました。紛争後、世界銀行、ユネスコ、イタリア、オランダ及びトルコ等の援助により再建工事が行われ、2004年7月に再建が完了しています。
再建されたスタリ・モストとモスタル旧市街は、和解、国際協力、そして多様な文化、民族、宗教コミュニティの共存の象徴となっています。

現在は三民族で協力し合ってNATOやEUへの加盟を目指しています。
IMF発表のボスニア・ヘルツェゴヴィナの2023年GDPは28,488百万USDで、和歌山県や秋田県と同じくらいです。
旧ユーゴスラビア諸国の中では経済的に豊かではなく、失業率が高くて、若い世代はEU諸国へ流出しているそうです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Bosna i Hercegovina

お名前を失念してしまったのですが、モスタル出身のガイドさんがボスニア・ヘルツェゴビナについて興味深いお話をたくさんしてくれました。
ガイドさんはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(Wiki)後に生まれている若い方で、ツアーの自由時間はTikTok撮っているイマドキな方でした。
独特な英語だったので、私の聞き間違いもあると思います。その点を含みおいてお読みください。
*BiHはボスニア・ヘルツェゴビナの省略です

大統領が5人いる:BiH共和国は3つの主要民族から1名ずつ選ばれた代表者によって構成される大統領評議会による集団指導体制で、大統領評議会の議長は8ヶ月ごとに交代し、議長が事実上の国家元首となります。
これに加えてBiH連邦の大統領とスルプスカ共和国の大統領がいるので、全部で5人の大統領がいる珍しい国だと国民は受け止めているそうです。

情報統制:ロシアのウクライナ攻勢については現在はニュースで放送されないそうです。最初の1か月は頻繁に放送されていたけどある日を境に全く報道されなくなったとおっしゃっていました。

中国が高速道路を建設:BiHには高速道路がないのですが、ツアー道中は遠くまで建設途中の高速道路の橋げたがたくさん見えました。中国がバルカン諸国の道路インフラ投資を積極的に行っているそうです。
実際に私も中国語が書かれたビブスを付けた道路工事作業員の方を何度もツアー道中でみかけました。

契約は3か国語:BiHでは公的書類はボシュニャク語、クロアチア語、セルビア語の3か国語の書類を用意する必要があるそうです。この3つの言語はほぼ同じで、BiHの人ならばほとんどの人がこの3言語を理解するのに、わざわざそれぞれの言語で書類を用意するのが手間だし、何度も書類にサインしないといけない。BiHで新規に会社を設立するよりも海外に会社を作る方が簡単なんじゃないかな、と言っていました。

チトー時代に戻りたい:チトーが統治していたユーゴスラビア時代は10年間国営工場で働けば住宅がもらえたので、いまでも「チトー時代がよかった。あの頃に戻りたい」と考えている方が少なからずいるそうです。
チトー時代に建設されたタバコ工場や工場労働者用病院の前をツアー中に車で通りました。病院は車がたくさん停まっていたので、今も病院として機能していそうでした。

祝日がない:主要三民族の宗教に関連する祝日が異なるので、国としての祝日がないそうです。

笑って済ます:ほとんどのことは笑って済ますそうです。
コロナ禍でもマスクをしている人はあまりいなくて、PCR検査で陽性になっても「陽性だったよ」と笑って周囲の人達に報告しあっていたそうです。
朝のツアースタート時点で急に催行会社が変更になり、集合場所も変更するという連絡があって、私は不信感でいっぱいでした。
ガイドさんも急に会社からツアーに行くように指示されたそうですが「ちゃんと会えて、いまこうしてツアーに行ってるんだから、何も問題ないじゃん。今日は天気もいいし、楽しもうね!」と笑いながら言っていました。


ブラガイ

ツアーは最初にブラガイ(Blagaj)のTekija Blagajへ行きました。
16世紀にイスラム教修道院として建設されていて、何度も再建されていますが現在も同じ場所にあります。
崖とブナ川に囲まれているので、昔は他を寄せ付けなかったのだろうなと思います。現在はレストランやお土産物店、数件の民家などが周囲にありました。

第二次世界大戦後は一時期利用が禁止されていましたが、1974年にイスラム教徒の管理に戻り、現在は週に3日はコーラン朗誦の信仰の場として使用されているそうです。
修道院はキリスト教のように修道士が寝食する場所ではなく、イスラム教の場合は住居が別にあってお祈りのために通う場所だそうです。
修道院再建の経緯は様々で、山賊に襲撃されたり、崖が崩落したりしていました。直近では2011年に崖が崩落して2013年に再建されました。

修道院2階にあるthe musafir chamber

修道院への入場料は季節によって変動しますが、10マルク以下です。
女性は髪や肩を覆う必要があり、男性は膝を隠す必要があります。入口でスカーフや巻きスカートを貸してもらえます。

私たちが修道院を見学している時に、地元の小学生らしき子どもたちもクラス単位で見学に来ていました。

修道院の内部よりもブナ川の方が観光客には人気でした。水量が多くて流れが早いブナ川はエメラルドグリーンでとてもきれいでした。
夏場は小型ボートで洞窟に連れて行ってくれる業者さんが現れるそうです。

ブナ

ツアーは次にBunaへ行きました。
Crkva Buna教会に立ち寄りましたが、トイレ休憩目的だったような気がします。
Googleマップにはカトリック教会と書いてありますが、正教会と思います。

周囲の庭も建物もとてもきれいに手入れされていました
色鮮やかなイコンでした

ポチテリ

ツアーは次にPociteljへ行きました。
ポチテリはイスラム教のボシュニャク人の小さな街で、紛争の際にクロアチアによって破壊され、住民は強制収容所に入れられた過去があります。
紛争後に街が再建され、見事なイスラム建築の街並みが復活しています。
川と山に挟まれた丘陵地にすべてが石でできた街が現れ、絵になります。多くの観光客が訪れていました。

Kulinaからの眺め
家々に現在も人が住んでいます
Gornja kapija付近
正面はザクロの木 小さな赤い実がなっています
左側の壁に展望台への案内があります
小さな集落なので、適当に歩いて迷っても下って行けば必ず駐車場にたどりつけるそうです
Pašina tabijaからの眺め
モスクの前はお土産売場になっていました

土壌が適しているらしく、ザクロがたくさん植えられています。6月はまだ小さな実でしたが夏の収穫時期になると美味しいだろうなと思います。
ザクロジュースの製造も盛んで、家の前でペットボトルに入れたお手製ザクロジュースを売っているおばさまもたくさんいました。
ガイドさんいわく、丘のてっぺんの農家さんが売っているのは本物のザクロジュースだけど、丘の下にあるお土産物店のザクロジュースは砂糖や他のモノが混ざっているので買わない方がいいそうです。
フルーツやはちみつなども売られていました。
はちみつも混ぜ物が入っているので買わない方がいいとガイドさんが言っていました。

あちこちに亀がたくさんいました
ナッツとドライフルーツ 1ユーロ
農家さんがフルーツを売っていました

クラビカ

ツアーは次にクラビカの滝(Kravice Falls)へいきました。

https://kravica.ba/en/kravica-waterfall/

モスタルのネレトバ川の支流、トレビジャト川にある落差25メートルの滝です。滝の下は湖になっていて、湖水浴が楽しめます。
入場料は年間通して20マルクです。

滝の下までボートでいくアトラクションが人気でした
キャンプを楽しんでいる方もいました
撮影スポット

クラビカはクロアチアからの観光客に人気の避暑地だそうです。
私が行った時はアジアの方もいらっしゃいました。

この日の日中は暖かかったので、泳いでいる方もたくさんいらっしゃいました。公衆トイレが更衣室になっているのですが、きれいに清掃されているし、数が多いので快適に利用できました。日本から旅行で行っても気軽に泳げると思います。
私は風で飛んでくる水しぶきを浴びるだけで満足でした。

レストランやアイスクリームショップもあり、ランチは湖の横にあるカフェでハンバーガーをいただきました。

写真撮り忘れましたがパンに挟んで自分でハンバーガーにするスタイルでした
スプライトとハンバーガーで16BAM=1,200円


Viatorのツアー詳細ページにはユーゴスラビア軍基地、ヒル フォルティカ アバブ、モスタルシティセンターの遺跡にも行くと書かれていたのですが、なぜか行かなかったです。
Viatorになぜ説明もせずに行かなかったのかをメールで問い合わせていますが、今のところ返答はありません。
後から気づいたのですが、他の人も同じ口コミを書いていました。ツアー詳細に書いているスポットに説明もせずに行かないうえに、どうして行かなかったのかという質問に返答しないそうです。不誠実ですね。
Viatorがツアーを催行しているわけではないですが、何度も嫌な経験をしたので、今後はViatorではツアーは申し込まないようにしようと思います。

ツアーは17時に終了する予定でしたが、3カ所もスキップしたので16時前にはガイドさんたちとお別れしました。
目の調子が悪くなってきたので、少しだけモスタルの旧市街を散策してホテルに戻りました。

モスタル旧市街

スタリ・モストを下から眺めるビュースポットBeach below Stari Mostはネレトバ川の西側にあります。レストランの脇の細い階段を降りて行くのですが、たくさんの人が行き来しているので簡単に分かると思います。
ネレトバ川をエンジン付きゴムボートで5分間爆走するアトラクションのボート乗り場もここにあります。

スタリ・モスト(古い橋)のミニチュアと言われている「曲がった橋」は詳細不明の橋ですが、一説によるとスタリ・モストを建設する前にテストのために作られたと言われています。曲がった橋もモスタル旧市街地世界遺産の構成要素の一つです。

曲がった橋 Kriva ćuprija

旧市街を抜けてホテルへ帰る途中、ショックなことがありました。
中学生くらいのロマの女の子が道端で赤ちゃんに授乳していました。子どもが子どもを育てているのを目の当たりにするのは初めてで衝撃でした。
持っていた小銭は全部渡して、買ったばかりのペットボトルの飲み物も差し出したらニコニコ笑顔で受け取ってくれました。
ベルギー旅行に行った時にダミーの赤ちゃん人形をあやしながら物乞いしている人がいたのを思い出したのですが、本当の赤ちゃんは頭が締め付けられるような、辛い気分になりました。


ガイドさんがボスニア土産としておすすめしてくれたチョコレートクッキーをホテルへ戻る途中のスーパーで購入しました。
コロナ禍では工場を閉鎖していた国民的製菓会社Lastaが最近工場を再稼働して、ボスニアの皆さんが喜んでこのクッキーを買っているそうです。

ホテルの近くにあったショッピングモールにポケットティッシュやのど飴など買いに行って、ボスニアで何度か見かけたチェーン店Mlinarで夕飯と翌日の朝ごはんを買って、ホテルでのんびりしました。

検索してみたらMlinarはクロアチアで創業したパン会社で、ベオグラードで朝ごはんを買ったパン屋さんも同じ系列のお店でした。
クロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナで店舗展開しており、全体で138Mユーロの売上なので日本のパスコと同じくらいです。大規模ですね。


焼きたてアツアツのブレクはとっても美味しいかったです
ザクロ味のシュウェップスもいただきました
正直、ザクロ味が分かりませんでした

ボスニア・ヘルツェゴビナに行ってわかったこと

サラエボに2泊、モスタルに2泊して知ったことをまとめると
・現金必須です。クレジットカードで支払えないお店が圧倒的に多いです。
・ユーロは固定レートとなっていて、マルクだけでなくユーロで支払えるお店もありました。
・チップ文化はなく、ベッドサイドにチップを置いて出かけても、部屋に戻るとそのままになっていました。
・中国からのインフラ投資が盛んにおこなわれている。
・サラエボもモスタルも旧市街エリアがコンパクトで、観光客がたくさんいるので、密集度が高くなり観光スポットは混雑していました。
・ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の弾痕が至る所に残っています。
・Googleマップの経路検索とストリートビューが使えません。Moovitで経路検索ができます。
・公共交通機関は観光客に優しくないです。
・隣国クロアチアのリテールがいくつもありました。
・2022年12月にEUの潜在的加盟候補国から加盟候補国へステップが一つ進んだけど、私が話した人たちは関心が薄そうでした。
・私がちょっと勉強したところでは到底理解できない民族間の複雑な問題があって、複雑な社会しか知らない世代がどうやってこれからの社会を創っていくのか気になりました。

👇ホテルの部屋から見えたマンションです。写真右側の棟は銃弾の後がたくさん残っていますが、左側の棟は修復して塗装しなおしているのでキレイです。

ボスニア・ヘルツェゴビナで行ったところ

Tripcoin

6月12日 1マルク(BAM)=75円 約10,650円

トップ画像はクラビカの滝です。
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