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【京都観光】妙心寺

2024年2月19日妙心寺へ行ってきました。

大徳寺の次は妙心寺に行きたいなぁと思っていました。
同じ臨済宗で、どちらも宗派の大本山。
広い寺地に塔頭がたくさんあるところや、お寺が近隣住民の生活路になっているところが共通しています。

妙心寺はアクセス手段が複数あって、行きやすいお寺です。
私は京都駅からJR嵯峨野線に乗って行きました。花園駅から歩いて6分で妙心寺の南総門に到着できます。

妙心寺は京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派の大本山。
広い境内と近隣境外も含めると50ケ寺ほどの塔頭があります。

学問に優れ、信心深いことで有名な花園法皇の禅師は大徳寺の宗峰妙超しゅうほうみょうちょうでした。
花園法皇が臨終の宗峰妙超に「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰が高弟の関山慧玄かんざんえげんを推挙したそうです。
1337年に関山慧玄を開山とし、花園法皇の離宮を妙心寺とされました。
妙心寺という名前は宗峰妙超が命名しています。

宗峰妙超亡き後、花園法皇は関山慧玄に参禅するために妙心寺に玉鳳院ぎょくほういんを建てられています。
こちらは非公開ですが、路地に面しているので外観だけは見学することができます。
玉鳳院には花園法皇の木造が祀られています。
玉鳳院の東側にある開山堂(非公開)には関山慧玄が祀られています。
この2つのお堂が妙心寺で最も聖なる場所とされています。

玉鳳院

1399年に応永の乱(Wikipedia)がおこり、足利義満が妙心寺を没収し、南禅寺の塔頭に妙心寺の寺地も建物も与えてしまいます。
妙心寺は龍雲寺と改名されて、一時中断。

1432年に南禅寺の根外宗利が妙心寺開山の関山慧玄の塔所を受領しました。根外宗利は、関山慧玄の流れをくむ僧であったため、妙心寺に返還されました。
住持七世の日峰宗舜にっぽうそうしゅんが細川持之・勝元父子の支援をうけて中興
細川勝元は日峰宗舜の後継となる義天玄詔ぎてんげんしょうを開山に龍安寺を創建します。

1467年応仁の乱で妙心寺・龍安寺ともに焼失

1477年に応仁の乱が終わり、後土御門天皇から妙心寺を再興するよう雪江宗深せっこうそうしんが諭旨を得て再興

「禅は景川宗隆けいせんそうりゅう、徳は悟渓宗頓ごけいそうとん、寿は特芳禅傑とくほうぜんけつ、才は東陽英朝とうようえいちょう」と雪江宗深が評す優れた四弟子はそれぞれが宗派の祖となりました。

三門と仏殿の間に四本の松が植えてあり「四派の松」と呼ばれます。

龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派という妙心寺四派を象徴しています。
すべての松が二又に分かれていることから、「末広がり」を意味し、妙心寺派の教えが広く行き渡り、さらに発展するようにという願いが込められています。

妙心寺公式X

景川宗隆:龍泉派 
悟渓宗頓:東海派
特芳禅傑:霊雲派
東陽英朝:聖澤派

四派の松 (南側)
四派の松 (北側)

妙心寺に入寺するには、まず大徳寺に入寺することになっていましたが、16世紀初頭にこの慣例が破られ、大徳寺の末寺という位置づけから脱しました。
1509年に後柏原天皇から紫衣勅許があり、この勅許状には妙心寺は大徳寺と位が等しいとされていました。
これをもって正式に大徳寺から独立したと考えられています。


1509年12月に利貞尼が仁和寺から土地を購入して妙心寺に寄進したことにより現在のような七つの伽藍が建てられています。

七つの伽藍はいずれも重要文化財です。
勅使門
三門
仏殿
法堂
大方丈
大庫裏
浴室

三門

通常非公開で中に入ることはできませんが、外観は見学できます。
二階部分に観世音菩薩と十六羅漢像が安置されています。

年に一度だけ、6月18日の山門懺法会の時だけ特別拝観できます。
*「三門」と「山門」の表記が混在していますが、妙心寺拝観時にいただけるパンフレットの表記通りです

三門

仏殿

ご本尊の釈迦如来が安置されています。
中に入ることはできず、お賽銭箱も金網の向こう側にあります。
七伽藍の中では新しい建物で、1827年に建て替えられています。

手前が仏殿 奥が法堂

法堂

拝観券で中に入ることができます。
残念ながら撮影不可ですが、妙心寺の見どころは法堂と思います。

天井には狩野探幽「雲龍図」があります。どこから見ても目があう八方睨みの龍です。
龍は空想上の生き物のため、口はワニ、ひげはナマズ、角は鹿、胴体は蛇、うろこは鯉、爪は鷲か鷹、目は牛を参考に描かれたと堂内に説明書きがありました。
大徳寺の雲龍図は狩野探幽が35歳の時、妙心寺は55歳の時の作品です。

妙心寺大庫裏にかけてある雲龍図 複製

国宝の梵鐘も法堂にあります。
698年の銘文がある、日本最古の鐘
平安遷都が(鳴くよウグイス)794年ですから、その100年前に作られたとは、びっくりします。
見た目にはわかりませんでしたが、劣化が進んでいるそうです。鐘を撞いたときの音が録音されていて、参拝者がボタンを押せば音が鳴ります。録音とはいえなかなか迫力のある音が聞けます。

法堂の柱木は富士山麓の大きなケヤキが使われています。
ケヤキの丸太は富士山から海路で運ばれ、大阪湾から淀川を上り伏見で陸揚げ。伏見からは牛が丸太をひいて運んだそう。
そのことが妙心寺の南側を東西に走っている丸太町通の名前の由来と説明がありました。

大方丈

1654年に建てられています。
かつては勅使や賓客の応対の場所であった建物で、一部分が公開されています。
ご本尊の阿弥陀三尊像は石清水八幡宮にあったもので、明治維新の神仏分離の際に妙心寺でお祀りするようになったそうです。
襖絵は狩野探幽・益信の筆。
無料で拝観できる場所に狩野派の襖絵があって、しかも撮影OKとは。ありがたいかぎりです。
前庭には円錐形の盛砂がありました。神社で見ることはあっても、お寺で円錐形の盛砂は珍しいように思います。
この日は雨のせいか本当に参拝者が少なく、お寺の方もほとんどお見かけしませんでした。また今度行ったときに盛砂のことをお尋ねしてみようと思います。
上賀茂神社の円錐形の盛砂には松の葉がさしてありますが、妙心寺にはなかったです。(見えなかっただけかも)

大方丈
大方丈 襖絵
坐禅はこの襖の奥で体験できるようでした

大庫裏

一度に数百人の食事を用意できるほどの大きなお台所です。
薪をくべる場所と調理を行う場所が壁で仕切られていたり、大きな鍋を窯から出さずに洗えるように傾斜がついていたり、工夫満載のお台所でおもしろいです。
高い天井に2つある排気口が路地から見ることができます。
調理準備も修行の一環だったようで、火の番をする人のための小部屋も大庫裏にありました。

大庫裏の大廊下は映画の撮影に使われたそうです。
パネルで説明がありました。
本能寺ホテル
駆け込み女と駆け出し男
超高速!参勤交代リターンズ
決算!忠臣蔵 他多数

大廊下と大庫裏

通年公開している塔頭

大心院

枯山水のお庭が方丈を取り囲むようにあるとっても静かなお寺です。
本堂内部の様式が独特です。
いわゆる仏壇のようにお厨子があるのではなく、金地に松や桜が描かれた板の一部分が花頭窓の形で抜かれていて、一段奥に仏像が安置されています。


桂春院

こちらも方丈を取り囲むように4つのお庭があります。
つつじの生垣やもみじが有名です。

撮影不可エリアには狩野山雪の襖絵が複数あります。
狩野派は江戸狩野派と京都狩野派に大別されますが、京都狩野派の祖が狩野山楽でその弟子が狩野山雪です。
山楽と山雪は妙心寺と塔頭に多くの作品があります。


退蔵院

国宝の如拙「瓢鮎図」を所有する塔頭です。
原本は京都国立博物館にありますが、複製が方丈にかけてあります。

狩野元信が作庭した「元信の庭」はいつ行っても見惚れるお庭です。

池泉回遊式庭園の余香苑は季節のお花がきれいなお庭です。中根金作の設計。
高低差があるお庭で、一番低いところにある藤棚付近からひょうたん池ごしに見上げるお庭はとってもきれいです。


特別公開等がある塔頭

大法院 だいほういん 春と秋に特別公開

長興院 ちょうこういん X(Twitter)で月に2日ある拝観日が発表されます

春光院 しゅんこういん 一般公開はなく、宿坊宿泊者、英語での坐禅・文化体験申込者は中に入ることができます

長慶院 ちょうけいいん 坐禅会、文化イベント、ヨガレッスンなどに参加することで寺中に入ることができます

大雄院 だいおういん 春と秋に特別公開

東林院 とうりんいん 6月の沙羅双樹の花が咲くころに2週間程度の特別公開。拝観券は花園会館での食事とのセット販売。10月には夜間特別拝観。料理教室も開催される。詳細は電話問合。

衡梅院 こうばいいん 数年に一度のペースで特別公開があります

金台寺 こんたいじ 秋の特別公開、写経会などで拝観可能。詳細はX(Twitter)で要確認。

慧照院 えしょういん 4月後半、椿が散るころに特別公開。3日以前電話で許可を得られた場合のみ拝観可能。

養徳院 ようとくいん 一般公開はなく、坐禅等を予約した場合に参拝できます


臨済宗のお寺のMy Maps

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