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宿町287号

宿町287号というのは、昔のここの番地だ。 正確にいうと、杉並区宿町287番
宿町という地名は、青梅街道の起点新宿から約10キロの場所にあり、最初のおやすみどころといったところから、「宿町」と名付けられたのだろう。
wikipedia で青梅街道調べてみると、「1606年(慶長11年)、江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下に整備されたらしい。 すごい昔からとおっているみちだったのですね。 昭和39年に宿町から、現在の町名の善福寺に変更されたらしい。

昔は、桃井四丁目の交差点付近には結構お店があって、覚えているだけでも、お米屋さんや、お肉屋さん、本屋さん、薬屋さん、たばこ屋さん、酒屋さん、新聞屋さん、お蕎麦屋さんは二軒あった。

「西荻」「西荻窪」「善福寺」の方が自分にとっては、親しみがあるけれど、昔ながらの地名を忘れたくなくて、「宿町287号」という昔の住所を使うことにした。

インスタグラムのプロフィールにもあるように、この町の「お茶の間」でありたいなと、願っている。

小さい頃、垣根を潜って、お隣さんの縁側に上がり込んで、そこでお洋服を仕立てているのをのぞいていた。お隣さんは、「旭屋洋服店」という仕立て屋さんだった。おじさんは、いつもぴしっと七三分けに髪の毛をしていて、車を鳥の羽のはたきで埃をとっていて、ピカピカにみがいていた。息子さんや、従業員のお兄さんが3.4人ではたらいていて、アイロンの蒸気が上がる様子をはっきりと覚えている。きっと隣の小さい子供がはいりこんだら迷惑だったろうけど、片隅から眺めさせてもらって、すごく面白かった。

そのお隣のお家は、おばさんが、バロックの布を臈纈染で、布を作っているお家で、姉がその型紙をつくるお手伝いをさせてもらっていた。ファブリックの作家さんだったのかな。素敵な椰子の実のくり抜いたのとか、今思うとアジアンテイストな家具やインテリアがいっぱいおいてあった。いまから50年も前にそんなインテリアをつかっていたなんて、相当芸術的な感覚をおもちだったのだろう。息子さんは、有名な演劇の脚本家演出家だった。建て替えた今もとっても素敵なお家だ。

ときどき、こんなことを、ここに書きたいとおもっているけれど、今回は、そんな近所との関わり方が、宿町287号でできたらいいなとおもっている。

私は、家の前の道で、四つん這いで走り回っている時(なぜか歩くよりも四つん這いで走り回るのがすきだった)も、塀によじ登っている時も、近所の空き家に忍び込んでいる時も、ドッチボールしている時も、前のお家の壁でテニスの練習をしている時も、近所の方々に静かにあたたかく支えられてきたとおもうから、そんな少しの関わりができる場所になればいいなとおもっている。

近所のお茶の間として、居間として、親戚やおばあちゃんのお家のかわり使ってもらえたらいいなとおもっています。

もしよかったら、遊びにきてください。
そしてもしよかったら、自分のしたいこと、実現しにきてください。

というわけで、夏休み、お茶の間開放してみます。



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