朝顔の結実

 色とりどりの朝顔が咲き乱れる庭。朝露に濡れた花弁(かべん)は、しっとりと鮮やかに、その色を際立たせる。青はさらに海のように深く、紫は夕暮れ時のより妖しく。夜が明ける前に密やかに咲き、日が昇りきるまでにはしぼむ花。美しく咲き誇る様を知るは、暁(あかつき)の住人のみ。
 見なければ、その美しさを知らなければ、その美しさはこの世に存在しないのと同じだったのに。まだ男女の隔(へだ)ても辛うじて曖昧(あいまい)だった、大人になる少し前。幼いからこそ許された真似事のような戯(たわむ)れ。あの時差し出された、青々とした朝顔の花と和歌。それに返した無垢な白い花。そのすべてを今も鮮明に覚えている。
 父の桃園式部卿の宮(ももぞのしきぶきょうのみや)が亡くなり斎院(さいいん)の任を解かれ、数年ぶりにおとずれた只人(ただびと)としての生活。仏事と不浄を避け、ひたすらに神に仕えてきた日々。これからは仏事から離れてしまっていた分、勤行(ごんぎょう)に励んで余生を静かに過ごそう、そう思っていた。そうはならないだろうと、何処かで感じていながらも。
 私の美しい従弟殿。その執心、真心の深さを忘れたことはなかったけれども。よもやこの歳になった私をもとは。自分は一人だけ時の流れが違うかのように、歳を重ねるごとに美しくおなりとか。一切の不浄が許されない斎院時代であっても、折々には文を送ってこられていたのだから、任を解かれた今、再び求婚されるのも無理もないのかもしれない。昔から、つれなくされるとかえって執心する困った人。困った幼馴染。長い付き合いなのだから、向こうも私の性質のことなどわかり切っているだろうに。それでもなお、懲(こ)りずに求めるのは、ご自分へのうぬぼれか。あなたが昔からそうなように、私も昔からこうなのです、源氏の君。父宮も叔母の女五宮も、女房たちも、私の周りの者は皆、源氏の君にお味方している。今も昔も。誰もが望むような素晴らしい方を拒み続ける私は、さぞかし可笑(おか)しく思われていることだろう。私がまだほんの若い頃、葵の上様がご存命の時。並みの者でさえこうも熱心に言い寄られると、ふと心が揺れることもあるだろうに、まして源氏の君はどうしてこうも美しいのかと思ったものだ。けれどやはり、美しさで私の人生や幸せは、決まりはしないのも確かで。天人が舞い降りたような光輝く魅力は人々を幸せにすることは確かだし、惹かれるのは言うまでもない。源氏の君は誰が見ても美しい。情け深さも持ち合わせている。幸せ、にはなれるのだと思う。類(たぐ)いまれなる人に愛される幸福もあるにはある。けれど私には、それは甘美な劇薬のようにもうつる。どうして女は一人の夫を待たなくてはならないのだろう。多くの妻たちと。正妻になっても、どんなに寵(ちょう)が深くとも。それは等しく平等に降りかかる。何人(なんびと)たりとも逃れられない、無慈悲な死のように。想いが深ければ深いほど、きっとその毒は甘く、良く効くことだろう。その毒を甘んじて飲み続ける女たちも、飲ませ続ける男たちも私は愚(おろ)かだとは思わない。そのような資格もない。ただそうではない、ただそれだけ。そのようにできない人間だというだけ。
 あの美しい従弟を愛さずにいられる人など、ついに見たこともないけれど。私が拒んだところで、それは愛さなかったということにはきっとならない。それは私が決めることで、誰にもこの心を決める権利はない。だから相変わらずな幼馴染に免じて、私のことも貴方のことも許してくれないかしら。相変わらず美しい私の幼馴染。私も許して差し上げますから。いつまでもあの時の白い朝顔のように。
 いつか宮中でお見かけした、こちらが気後れするほど気高く優美で貴い方。東宮様に何よりも大切にされて、この世の春を集めたように微笑まれていた幸せな方。どのような人の中にもきっと、恐ろしい物の怪は潜んでいる。誰よりもあの方に愛されている紫の上も、心映え(こころばえ)素晴らしくお優しい花散る里の君にも、勿論あの方にだって。そして、私の中にもきっと。それは例外なく。
 その日はことさら強く風が吹きつける日だった。僅(わず)かに残っていた夏の、生命力の熱をすべて吹き飛ばしていくように。夕暮れは妖しいほど赤々と燃え、龍田姫(たつたひめ)が染めたような唐紅(からくれない)。赤々としているのに、風が吹きすさんで肌寒い、不思議な空模様。明け方に、あの人は亡くなった。源氏の院に誰よりも永く深く愛された人。幼馴染の長い長い春が、とうとう終わったのだろう。いつまでも散らない樺桜(かばざくら)などないはずなのに。幾度(いくど)となく雨にうたれてもなお咲き誇っていた優美な桜。私もその冷たい雨の一粒であったことだろう。常春を失ったあの人はきっともう、どなたも心に招き入れはしない。今回ばかりは私の手紙も不要だろう。
 私も源氏の院も十分過ぎるほど、この世を生きた。私には縁がなかったけれども、孫たちの時代がすぐそこまで来ている。私たちの残された時間はきっと、吹けば飛んで行くほど。数えきれない人に愛され、同じくらい深く苦しめたであろう幼馴染。近づけば近づくほどに、愛も苦しみも深く。一人くらい、苦しみも不幸せにもならなかった人がいたってきっといい。一人分減ったくらいでは、そんなに軽くならないかもしれないけれど。人は愛という目には見えないものをどうにかして量ったり、背負ったりしようとするけれど、それはきっと本当に比べられない。冷淡だといわれていたって、私はこの想いが軽いとは決して思わないのだから。結局のところ、愛の深さも重さも、愛されるかどうかにはそれほど関係ないのだろう。だからこそ、それが響き合い重なり合うときに、心震える。
「見しをりの露忘られぬ朝顔の、花の盛りは過ぎやしぬらむ。(昔お目にかかった時のその朝顔の花の美しさ。今も瞼に残り忘れられない。あの花の盛りはもはや過ぎ去ったであろうか)」
そう言っていつかあなたが私に贈った二度目の朝顔。色艶(いろつや)がすっかりあせたそれは、確かに私によく似ていて。それでいいのだと、心ひそかに今も思う。花は咲き、そしていつか散って、実を結ぶ。散らなければ実を結ばないものもきっとある。だから私はいつだって、美しかったあなたに咲き誇っている白い朝顔を送る。私の困った幼馴染に、愛をこめて。

                 <完>

参考文献・一部引用

源氏物語一巻~六巻 瀬戸内寂聴 訳

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