花が散って染まるのは

トントン、ざばあ、ぽたたた、ぴちゃん。様々な水の音たち。ところどころ立ち上る湯気。染殿は水と植物たちの音や匂いで満ち溢れている。美しく色鮮やかな花も、硬い木の皮も、皆すべて何かの色を身に宿している。まさかそうとは思わないような色が、滲みでることの面白さ、興味深さ。織りなす色が幾重にも重なる美しさ。彩りはそこかしこに潜む。
「あなたはまるで橘の花の香りのようだ。」
あの人は私にそうおっしゃった。
 夏の御殿は夏こそが盛りであるけれども、そのほかの季節もさっぱりとした涼しげな美しさをたたえている。私のような人には、このくらいの穏やかさが落ち着いて心安らぎます。桜の蕾が柔らかにほころび、匂いたつようで。風すらも今に、薄桃色に染まるのではないかしら。季節はもうすぐ春の盛りを迎えようかという頃。あの美しい春の人、紫の上が亡くなってから、早数年。春の主のいない春の御殿は、儚い春を繰り返している。殿もご出家されてからはお籠(こも)りになられることが多く、この六条院も寂しくなってしまった。折々の便りや品はお贈りしているけれども、やはりあのお二人がいらっしゃらないのは、もの悲しく寂しいことです。手慰みに、夏の衣の支度を進めてしまいましょう。
夏の重ねには常緑の青色が多い。春の花々の儚く淡い艶(つや)やかさから、青々と生い茂る生命力豊かな色となる。濃い色合いが多いにもかかわらず、爽やかで目にも柔らかな色合いを私は好んでいます。私が夏の御殿と呼ばれる東北の町に暮らすようになったのも、その縁なのかもしれません。思えば殿と初めてお会いしたのも夏のことでした。つくづく夏は私と縁が深いらしいのです。
桐壷帝がまだご在位中で、姉が麗景殿(れいけいでん)に住まわれていた頃。それは本当に思いもしなかったことで。殿の困った癖がどうして私に発揮されたのか、私には思いもつかないのですけれど。姉は桐壷帝の御寵愛がとりわけ深いというわけではなかったのですけれども、生来の御性質がよく、帝に心休まるお相手として、信頼されておりました。妹の私にもお優しく、自慢の私の姉君。思えばもしかしたら、源氏の君もそのようなお相手を探していらっしゃったのでしょうか。姉に頼まれていた染め物や織物をすべて引きならべて、お渡しするものを吟味していた時のこと。
「おや、そこにどなたかいらっしゃるのだろうか。」
姉のところにお尋ねになっているとはお聞きしていたけれども、まさかこちらの方までいらっしゃるとは思いもせず。つい夢中になって布を選んでいた時に、源氏の君はいらっしゃいました。御簾(みす)と几帳(きちょう)で隔(へだ)ててはいるものの、引き出してあった数多(あまた)の布をしまいきることはできず。
「まさかこちらにいらっしゃるとは思わず、何ともお見苦しい所をお見せいたしました。」
と女房伝いに申し上げます。
「いえこちらこそ、急にお尋ねした不躾(ぶしつけ)さをお許しください。姉君の麗景殿(れいけいでん)の女御(にょうご)様が、『妹の三の君は染め物や織物が誠に上手で、この召し物も三の君が染めたのです。』とおっしゃられてついご覧になりたくなりまして。」
そんなことを姉君がと、うれしくも気恥ずかしくも思って
「数々の貴重な品や名品をご覧になっていらっしゃる源氏の君には、とりたてて珍しくも思われなかったでしょうが、身内の贔屓目(ひいきめ)としてどうかお見逃しくださいませ。」
と申し上げます。
「いえ、確かに三の君様が染められた布は又とない趣があり、不思議と心安らぐようでした。女御様がご自慢なさるお気持ちがよくわかります。姉君のことをよくお分かりになり、丁寧に染めや織りをしているからなのでしょうね。」
「なんと、勿体ないお言葉でしょう。そのようなことを源氏の君からおっしゃっていただけるとは。好きでやっていることとはいえ、報われる思いがいたします。」
「貴方は本当に慎ましく謙虚な方だ。あのように素晴らしい色合いも、その御性質の稀な美しさからでしょうか。」
この世に比べられるものがない程お美しく、見たものは寿命が延びるとまで言われているお方に、この様におっしゃられて舞い上がらない人がいらっしゃるでしょうか。
それから何度か文を交わし、逢瀬も重ねましたけれども、数々のお通い所がある方が、私のようにとりたてて器量が良い訳でもない者に途切れがちになるのも道理というもの。源氏の君と契りを交わしたこと自体が、私には身に余る幸運と思っておりました。
 その後も途切れがちではありますが長く気にかけてくださり、ついにはこのような素晴らしい御殿に住まわせていただきました。その年月の間に、桐壷院が亡くなってしまわれたり、あの方が須磨と明石に自らゆかれてしまったり、この様な悲しみはもう他にはないと思ったり。
今ではこうも長く生き長らえて、殿の大切なご子息をお世話させていただき、その子供までもお育てするほど長い時間が過ぎ去りました。長く生きるということは、それだけ悲しみも多く苦しみも多いものです。しかしそれにもまして、何もかもが深くなるのではないかと思うのです。それはその方にとって良いのか悪いのか、私には決めかねることだけれども。それでも、私にはその方が確かに生きてこられたという感じがして、愛おしく思わずにはいられません。
 いつかの新春。玉鬘(たまかずら)の君を私の御殿で預かっていた時のこと。殿が六条院の女君の方々に、新春のお召し物をお選びになって贈られたことがありました。薄藍色(うすあいいろ)の布地に、海辺の風物を図案化して織り出した織り方は、いかにも優美で、それに大層濃い紅の搔練(かいねり)の下襲(したがさね)を合わせたものです。一見地味でも、よく見ますと海辺の風物が実に生き生きと見えてまいりまして、殿がいらしゃった須磨や明石に思いを巡らせたものです。濃い紅も大層深く染められて、また丁寧に砧で打たれた結構なものでした。私の容姿や性質を、よくお分かりになっているからこそのお見立て。濃い紅の色は一見地味に見えるけれども、その分深く色に染められています。思えば殿は私に濃色のものをよく御贈りになられました。はっきりとした器量ではないから、淡い色ではぼやけた印象になってしまうのでしょう。私自身は淡い色もとても好きだけれど、濃色もとても好ましく思います。深く想いに染まることはできると感じられる。どんな人でも。どんなにありふれていても。誰も誰かとの思いの深さや濃さは比べられようもなく、その人だけが宿している色に染まるのでしょう。そう私は思っています。殿も他の女君も、またとない色を重ね、深め、時にはぼかし、その人生を織りなしておいでです。それが私には、この上なく比べようもないほど素晴らしく思えるのです。
 父が大臣であったといっても、器量が良い訳でも和歌や管弦(かんげん)に殊更(ことさら)優れているわけでもない私が、まさかこのように煌(きら)びやかで艶(あで)やかな人達に関わりますとは。まことに私の人生は大いに美しく彩られたことです。いつか殿が橘の香りのようだと、私を例えておっしゃった橘の花。その花のように白い布のようなありふれた私は、この方たちと関わることで何色にも染まり染められ、また他の方々の良い重ねになったことでしょう。明石の君の洒脱でこちらが気後れしてしまいそうになる高貴な色も、秋好む中宮のたしなみ深く奥ゆかしい趣深い色も。春の花の盛りをすべて集めたような華やかさと儚さのある優美な紫の上の色も。そう思うとたまらなくどの色も、愛おしく思われるのです。
 その中でもとりわけ色濃く残る親しみ深い方。紫の上がなされた最後の法会(ほうえ)で、最後に私に言われた言葉を、このような春の日には思い返します。
 「絶えぬべき、御法ながらぞ頼まるる。世々にとぞ結ぶ中の契りを。(やがて命絶えるわたしの営む最後の法会こそ、その功徳によって結ばれるあなたとの永久の御縁のその頼もしさよ)」
痛々しいほどの最期の時が感じられ、震えるように私は
「結びおく契りは絶えじおほかたの。のころ少なき御法なりとも。(あなたと結ばれた御縁の絶えることがあるものですか。もはや余命少ない私はどんな法会でも有難いのに、こんな盛大な法会に結ばれて)」
そう返したけれども。紫の上はこの上なく美しく穏やかに微笑まれて。これこそ散る間際の桜の盛りの色であると、思われてなりませんでした。散るように儚くなられたその方の煙が、他の方と何が違うのか私には、無数の薄い桜色の花びらが立上っていくように見えたのです。きっとそれは私の一番親しみのある色で殿の一番好きな色。
 つい手慰みのついでに、懐かしいことを思い出したものです。春の盛りとはいえ、また夕暮れは肌寒い。強く風が吹こうものならなおのこと。遅い春一番が春の御殿から桜の花びらを巻き上げて、まるで白く上る煙のよう。
「花散里様、殿が─」
巻き上げられた花びらは大地を染め上げ、後には新緑の季節がやってくる。青く若々しい夏という季節が。
                 <完>

参考文献・和歌引用 源氏物語 瀬戸内寂聴訳 巻二~七

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