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【雑談レポ】「会社、恋人、友だち、家族との関わり方について考えることが働くモノサシになっている」働くについてただ語る時間Vol.2-後半

皆さん、こんにちわ。


昨日は朝から大粒の雨。
ジメジメした少し早めの梅雨到来というところでしょうか。

ちなみに昨日、5月13日は母の日。普段伝えられない気持ちや贈り物は渡せましたか。母の日に限らずあまり会えない人からよく会う人まで、人との関係性は多種多様です。それは会社の同僚や上司、恋人なのか、友だちなのか、家族なのか。


その中でなんだか、見ず知らずの誰かさんと「働く」って面倒なこと。
でもみんな経験して、失敗して、挫折して、嬉しくなって見つかる答えもある。


今回も世代の違う3人から見える働く観について考えてみることにしました。ちなみに雑談をしていた場所は「太陽の塔」。

中崎町にある古民家を改装した素敵なカフェでした。1階はテーブル席、2階はお座敷です。隠れ家的な場所ですのでぜひ。


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■前回のあらすじ
GWロスを感じる皆さまに心と体が「整う」様な働く人、働こうとしている人の雑談レポートをお届けしました。【雑談レポ】「働くことはやりたいこと、自分の役割を往き来しながら選択していくこと」働くについてただ語る時間Vol.2- 前半に引き続き、緩やかに話をまとめていきたいと思います。


「#イベントレポート」というカテゴリで投稿していますが、5月5日にお会いした素敵なお二人との雑談記録です。雑談記録なのに、2時間近く話していたので、前半と後半に分けてレポートしたいと思います。今回はその後半です。

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「人との関わり方」や「人とのコミュニケーションの仕方」が確立できている人は自分のモノサシを持っている。

(坂)もし仮に企業が新卒採用や中途採用でも「人を採用する」にあたって、学生から応募があって「私は複数の会社で働きたいです。そのため複業を考えていますがこの会社では可能ですか?」と質問されたらびっくりしますよね。私は個人的にもう一歩知りたくなります。どんな価値観から、そういう働き方がしたいのかなど。


会社員と独立の両方を行き来して生きてきた、私の老婆心から発言させてもらうと「世の中そんなに甘くないよ」と思います。もちろん、相手の方と面談や面接でコミュニケーションを重ねて「仕事を円滑に進められる社会人経験を積んできた人」か「社会人経験をもう少し積むべき人」かどう思うかは正直分かりません。


(橋野さん・タガワさん)ああ、なるほど。そうなんですね。


(タガワさん)どういったところに感じますか?


(坂)うーん、話を提案しておいてどう答えたらいいのか難しいのですが…。
私は「人との関わり方」や「人とのコミュニケーションの仕方」が確立できている人は「仕事を円滑に進められる社会人経験を積んできた人」なんだなと肌感でなんとなく感じることが多いです。これは暗黙知なのでどんな大企業や中小企業、スタートアップベンチャー等の社員だとしても定義づけて言語化するのがすごく難しいことなんだと思うんです。


例えばタガワさんって今、何かアルバイトって何かしてますか?


(タガワさん)コンビニのアルバイトをしていますね。


(坂)そのアルバイトをしている時に新しいアルバイトさんが入ってきますよね。その時に業務のことを説明していくと「この人経験者かな」とか「この人アルバイト始めてなのかな」とかって感覚を感じることはありませんか。


(タガワさん)ああ!確かにあります。


(坂)イチのことを言って、それ以上のことまでやってくれたり。お客様への細かい配慮があったり。逆に同じように(新しいアルバイトさんに)説明をしたはずなのに、全然出来ていない方などもいたり。プライベートで友だちと遊びに行くにしても同じような場面もありませんか。


(タガワさん)はい。確かに、そうですね。


(坂)それが会社員になった時、上司、取引先など新しい環境を取り巻いている周りの人たちとうまく関わっていく事ができる人なんじゃないかなと思います。その状態が一般的に私が感じる「仕事を円滑に進められる社会人経験を積んできた人」なんだと思います。


逆にできていない人は「社会人経験をもう少し積むべき人」という風に周りから見られるのかなと私の経験の中で感じる事なんですよね。


(橋野さん・タガワさん)あぁーなるほど。


(橋野さん)それでいうと「できる」「できない」の感覚は確かに、ありますね。


何というかしっかりとそれを言葉にできないんですよね。自戒を込めてなのかもしれませんが、私もどこまで自分が果たして、できているのかが分からない部分もあります。私は今の会社に勤めて2年目になるのですが、後輩を育てたりという経験がないので分からないことですね。


(坂)それでいうと「ディレクター」という仕事はあまり上司・部下という関係性で仕事をすることはないんですよね。もちろん誰か別のディレクターのアシスタント業務をしたりすることはあっても基本的に責任窓口に立つ事が多かった様に感じます。


だから私も今まで「普通」っていうのが分からなくて悩んできました。どこまでできていればOKでNGなのか。ただ「ディレクター」という仕事の特性上、一般的な「答え」や「モノサシ」のない仕事だからなのかもしれませんが。というよりどんな仕事でも「答え」のある仕事なんてないですね。


22歳で会社を数人で立ち上げてやっていた時も上もいない下もいない中で独学で仕事をしていて言えなかったですが内心ずっと「怖かった」です。そして25歳からサラリーマンとして働き始めた時もずっとディレクターとして何が正解なのかと暗闇を走る様で「怖かった」ですね。


(橋野さん)怖いですよね。上司がいたらこれくらい1年勤めてきたら「できて当たり前」ラインがどれほどできる様になるのかっていう指標が体感で上司から見て分かったりしますもんね。


(坂)言うと「他者から見たモノサシ」ですよね。


(橋野さん・タガワさん)うんうん。


他人から認められるって、社会から認められたと思える幸せなこと。

(タガワさん)仕事をしている人は常に評価して・されているんですかね?


(坂)され、ますね。


(橋野さん)僕はあまりされている感覚はないですね。
評価するもの、評価基準みたいなものはもちろんあります。それこそ「社会人の常識」みたいなものは考え方としてはあります。ただ人によってこの価値基準がバラバラなので全員が全員できているかは分からないんですよね。本当に「人次第」なのかなと思います。


(タガワさん)そう思うと評価されるって、働くって不安ですね。


(坂)僕も同じ様に評価されるのは不安ですし、怖いです。
でも社会人になって評価されるのって、最近いいなって思う様になりましたよ。それは「他人から認められるって、社会から認められること」と同義だと思うからなんですよね。それは自分がやった仕事が社会から認められるってすごい嬉しいんです。


偉そうなことを言える人でもないのですが、そう思える様になってきました。


でもそれまでにたくさん失敗してきましたし、すごく怒られましたけど。お客さんから怒られたこともあります。でも裏を返せば「何とか頑張れよ」って言って教えてくれていたんだなと今は思えます。


(橋野さん)怒られなければ、見放しているのと同義ですからね。


(タガワさん)ああ、そうなんですね。


(坂)怒る・怒らないって働く上で大事なことなのかもしれませんね。
働く上で怒ってくれる人は大事なんですよね。


(タガワさん)それでいうとアルバイトしていてもあまり怒られた経験がないですね。


(坂・橋野さん)へぇー。そうなんですね。


(坂)話が繋がるかは分かりませんが会社で働くとよく「報・連・相」が大事だっていうじゃないですか。あれできているってすげーことだと思えるようになってきましたね。


(橋野さん)確かに。ただ「報・連・相」のレベルもありますよね。丁寧に連絡するとプラスになる場合もありますし、できている中でも仕事の丁寧さや粗さがあるような気がします。


「働く」って人間関係の中でたまたま発生していることなのかなって。

(坂)それでいうとフリーランスの方でも同じだなと思いますね。僕個人の見解なんですけど、頼んでいた仕事が上手くできていたらまた同じ人に違う案件で「頼んでみたいな」と思いますね。人間なんで「伝えていた仕事が全然できていない」ということがあったら、次は止めておこうかなとかあります。人とのつきあい方と一緒かなと思います。


(橋野さん・タガワさん)ああ、なるほど。


(坂)もちろん、それは男女間でも同じかと思います。


(橋野さん・タガワさん)ふふふ、そうなんですね。


(坂)はい、会社、恋人、友だち、家族との関わり方も全て同じなんだと思うんですよね。


例えば会社だったら、面接や面談で企業側との初見のコミュニケーションが「いい感じ」だったからクリアして、その関係性が続く中で就職したりする。男女間でもお互いの合意があったから「付き合う」様になる。


でも付き合ってみたらお互い全然波長合えへんやん。みたいな感覚。会社でも就職してから全然仕事を他の人と上手くやってくれへんやんこの人。思ってたのと違うぞ。など。


(橋野さん・タガワさん)うん、そうですね。


(橋野さん)今のを聞いていて思ったのが人づきあいでも、信頼とか評価というわけではないですが、良いと思うからお願いする、会おうと思うんですよね。客観的評価というわけではないですけど、実は人は評価してるのかもしれませんね。


そう思うと人間関係の上に「働く」ということが成り立っているのかもしれませんね。


「働く」となると利害関係上で成り立っているように思いますが、仕事じゃなくても友だち同士の約束事でもあるような気がするんですよね。


それで思い出したんですけど、SUSONOの以前関西で開催されたイベントで「ゆるい繋がりの中で仕事がたまたま発生する」と言っていたんですね。だから「働く」っていうのも人間関係の中でたまたま発生しているのかなって思うんです。


(坂・タガワさん)確かにそうですね。


(坂)そう考えると「人間関係の延長線上に仕事が発生する」状態が非常に興味深いなって思うんですよね。


(橋野さん)そうですね。


友だちと働くなら違う所からボールを投げたくなる相手で、野球のバッテリーみたいな関係性。

(タガワさん)友だちでも一緒に働きたいなって思う人と、そうじゃない人はいますか?


(坂)僕はいますね。ある程度の価値観が一致している上で、同じ時間を共有(相手もですが)したいかどうか、一緒にいたいかどうかかなと思いますね。


(橋野さん)いますね。一緒に遊びに行ってもいいかなっていう人もいればいない人もいます。ただ遊ぶのは嫌ではないんですけど、本当に価値観が合う中で、こういうことを「一緒にやってみたら面白そうだよね」となれていたらそれはもう「働く」ことに繋がっているのかもしれません。


(タガワさん)「遊びの延長に働く」っていう感覚ですかね。
私は大好きな友だちがいて一緒に働いているわけではないんですが、よく二人で旅行するんです。遊ぶ中でお互いが楽しいと思える遊びがあって「京都に行って俳句を作る」という遊びを。すごく楽しくって、その子とだったら一緒に働きたいなと思えますね。


(坂)いいですね!発想するのが楽しくなりそうですね。きっとその子とだから発想がしやすい状態になるのかなと思いました。


(タガワさん)そうなんです!今は遊びなんですけど、発想すること、遊んでいることが仕事になったらいいなって思います。発想や視点、生い立ちも違う二人だからこそ面白いですね。周りと合わせていない感覚を持っているんでしょうね。


違う所からボールを投げたくなる相手、野球のバッテリーみたいな関係性があるんです。相手を驚かせたいとその子に対して思えるので、一緒に働きたいと思えますね。


そういう意味でいうと遊びと仕事の境界線みたいなものってありますか?


(坂)そういう意味でいうと私はない方ですね。
「遊ぶように旅するように働く」って言葉があるんですけど、学生の頃に私はよく日本中を旅をしていたんです。それで自分が行った軌跡を残すためにブログをやっていました。後からログとして残るように毎日書いて。当時facebookもTwitterもなかったんですけど、旅をする中で出会った人とつながったりしました。


場所が全然違う所にいるのにブログにコメントをくれたりして、今じゃ当たり前だと思うんですけど、SNSでコメントをくれる。他にも写真に対してコメントをくれるなど。だからあの人とこの人がここでつながっているっていうのが、ブログを介して出会えるって素敵だなって。出会った人と今でも関係性があるというか。


あと年齢が上がっていくと考え方もどんどん大人になっていくじゃないですか。そうなると関係性の再構築ができるなって思えるようになってきたんですよね。子どもが生まれたり、結婚したっていうのもそうだし。たまに文通で連絡をくれたりする人もいると新しい内容が書き加えられていたり。


(タガワさん)いいですね。手書きで自分宛の想いのこもった贈り物が貰えるっていいですよね。


(坂)そうなんですよ。橋野さんは「遊ぶと働く」を切り分けたりする方ですか。


(橋野さん)私も分けないタイプだと思います。
NPOに所属していますが、やりたいからやっているという感覚ですし。もちろんメインでやって行きたいけど、収入のこともあるので会社員をやっているんです。


でも結果的に好きな事がお金になっていくかもしれないじゃないですか。なんというかNPOで開催する「イベントに来てくれる人のため」にやっていて、たまたま好きな事が仕事になっていったということですね。


NPOで開催したイベントに来てくれた人同士が「それ面白そう」と話し合う内に仕事になることもあるかもしれませんし。


(坂)そうですね。仕事、というとなんだか宿題というかタスク的なものに感じちゃうじゃないですか。それがあまり私は好きじゃなくて、「やらされ感」を感じてしまうんです。


だから「やらされ感」あることは良くないものが生まれるんじゃないかって、やらない方が本当は良いと私は思います。でもやらないといけないというあまのじゃくな意見です。結果的に好きなことに結びつくのがベストですが。


(タガワさん)やらなくてはいけない嫌な仕事でも自分なりに楽しめるようにアレンジしてできれば良いなって思います。やることは同じなんだけど、自分なりに楽しめっるようにできれば良いなって思いますね。


(坂・橋野さん)ああー!そうですよね。


(坂)やらなければいけない嫌な仕事でも、相手が喜びそうなことをちょっとプラスアルファしてみるって大事ですね。相手にとっても嬉しいですし、自分にとっても嬉しいですもんね。その結果相手に喜んでもらえて、またこの人に仕事をお願いしたいなってことにつながるかもしれませんしね。


(橋野さん)やらされ感でやっていたら届くものも届かなくなってしまいそうですし。


働く人たちの日常の中にある非日常がドラマなんだと思う。

(タガワさん)今まで働くってことを漠然と考えすぎていて、淡々と過ぎていく毎日が想像できないんですよね。


(坂)うん…。なんか仕事って日常のほとんどになって行きませんか。でも「日常の中の非日常がその人にしかないドラマ」になるんじゃないかって思うんですよね。


(橋野さん・タガワさん)ああ、すっごくそれ良いですね。


(坂)そんなに賞賛されると恥ずかしいです。

最近「働きマン」というマンガ(安野モヨコ著)を見まして、その中のセリフを読んで思った感覚なんですよね。


オレは「仕事しかない人生だった」そんな風に思うのはごめんですね。それもある、それも多分あって、確かにそのとおりでも!!!私は仕事したなーって思って死にたい


日常的にきっとみんな言ってる言葉の端々なんじゃないかなって私は思います。それを大学の研究室のメンバーや会社の同期メンバー間の飲み会などで言っているのかは分かりません。でも「きっとみんなどこかのワンシーンで言っていることってマンガのワンシーンのような非日常の連続なんじゃないのかなって思って。


(橋野さん)あー、それが一人ひとりの日常の中にもあるなってことなんですね。


(坂)きっと一つとして同じ物語はないんじゃないかなって思います。


(タガワさん)そう言われてみるとそうですね。


(タガワさん)すみません話が変わるんですけど、良いですか?


(坂・橋野さん)もちろん、大丈夫ですよ。


(タガワさん)実はドラマみたいなストーリーってあるなって思ったんです。普段一日が終わる寝る前にその日の行動やポジティブなことを3つ考えてから寝るんです。それがなんだってわけではないんですが、いいんですよねってだけです。振り返ってないだけで、意外とあるなって思ったんです。


(坂)いいですね!どんなに落ち込んでいる時でもそうやって自分への約束としてやるだけで心がポジティブになるおまじないだなって思うんですよね。そう言えば、お二人は家族に会いに行ったりしてますか?


(タガワさん)私は家が遠いのでお正月くらいですかね。


(橋野さん)私は実家なのでいつも顔を合わせてますね。


(坂)ちょうどもうすぐ母の日なので、何かするのかなと思いまして。例えば家族へ何も言わずさらっとプレゼントを用意して置いたり日常の中にサプライズを用意するって実は仕事においても同じことかなと、相手を喜ばせるってことには変わりはないかなと思います。


(橋野さん・タガワさん)あー、そうですね!なかなかできない、やらないからこそですもんね。


3人から見えた「働く」モノサシの長さが違っても、価値観を受け止められる人って本当に素敵だなと思いました。


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■雑談レポを振り返って...

「人との関わり方、働き方は定期的に見直すこと」が他者とのニュートラルな関係性を保ち、人が働く上で重要なモノサシになっているのかもしれません。その中で働く時間の多くを占める現代。日常にある非日常感を小さくともサプライズの様に作っていくことって大切な視点。

この投稿が誰かの人生を豊かにしていくヒントになれば幸いです。

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※noteで自分がシェアした興味・関心を振り返ります。まずは試しに月に3回くらい。※Twitterの呟きをネタ元にしてnoteへ月3回まとめていきます。呟きは「自分の興味・関心(50%)ぼやき(50%)」ツイート&リンクRT。ツイートをネタ元にnoteへまとめるって方法です。主にWebメディアやSNSの活用を月初・中頃。月末はミレニアルズ世代の新しい働き方をまとめます。今のところ一番よき活用方法だなと思ってやってみます。

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