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作品のためにコミュニティ作りを辞めます

こんにちは。VeryLongAnimals(ベリロン)ファウンダーのAkimです。

今日はベリロン2周年記念です!いつも沢山の応援ありがとうございます!

ベリロンと言えば、そういったファンのコミュニティが素晴らしいというイメージがあると思います。実際、これまでも国内外、オンライン、オフラインで広く大規模な催しを沢山やって来ました。僕自身も注力して来たと思います。

本題ですが、今年はこのコミュニティを作るという活動をファウンダーかつアーティストの僕自身は、辞めようと思っています。勝手ですいません!

これまでコミュニティについて語ることも多かったので、手のひら返しのように思われるかもしれません。

ただ、決してネガティブな意味ではありません。また、コミュニティの人達の応援や活動はこの上なく有り難く思っています。最後まで読んで貰えたら伝わるかと思います。

以前の発言と違う点がめっちゃありますが、成長の賜物として大目に見てください。

一応、ひとことでまとめて言っておくと「コミュニティは、作品を作るプロセスのただの1パターンであって、目的でも成果でもない。」ということです。

あるいは、「コミュニティにこだわってると長くならない」とも言えます。

ふたこと言ってしまいました。すいません。

コミュニティって何なの

まず、ベリロンの目的でいうと、僕自身がアートプロジェクトだと決めています。「長いことを大事にする」という表現の作品を作ってます。

また、僕自身は色んな作品を世の中に出すという活動を、これからも続けたいと思っています。(ベリロンもですが、それに限らず。NFTにも縛られず)

ベリロンはコミュニティを作るプロジェクトでは無いし、自分のやりたいことでも無い。(目的や成果では無い)ということです。

なのでコミュニティは手段ということになりますが、コミュニティを作ると何が起きるか、良い点と悪い点を書きます。

良い点
・クラファンやトークンなどで資金を集めやすくなる
・初期マーケティングが楽になる
・ファンにとってコミュニティが楽しい

悪い点
・盛り上げに多大なエネルギーやお金がかかる
・「盛り上がり」は残らない
・コミュニティを作ってると勘違いされる
・作品が局所最適になる

という感じなのですが、僕は良い点と悪い点を比較して、コミュニティは注力では無いかな。と考えました。

まず良い点ですが

資金集め→普通に自分で事業を作って稼いだ方がファンから集めるより確度が高いと考えました。今のところ、2〜3年で年商数億円くらいの事業を、制作の時間を確保しながら立ち上げられていて既に売上もあり、自分も事業は好きなのでこっちも楽しめています。(ロングに頑張ろうという社訓を掲げています)

初期マーケティング→Xのフォロワーや拡散してくれる人達が有難いことにそれなりに居るので、既に間に合っていそうです。

ファンの楽しみ→自分に合ったコミュニティにいることはとても楽しいことです。しかし、別に大学や社会人のサークルなども無数にある中で、ベリロンというアートのプロジェクトで、作品の面白さよりもコミュニティの面白さを優先するのは変だと思いました。

悪い点ですが

盛り上げのエネルギー→これが結構凄くて、特にNFTだとコミュニティをちゃんとやるためにはファウンダーがめちゃくちゃ発信したり、Discordをずっと追ったり、沢山来る連絡を返す必要があるんですが、ちょっと僕には向いてませんでした。これをやると制作ができなくなります。

「盛り上がり」は残らない→面白い話を聞いたのですが風の谷のナウシカは制作時にクラファンの原型のようなコミュニティがあって、多くの人が参加したらしいです。でも誰もそのことを覚えていません。結局、コミュニティは人と反応の集合なのですが、その熱量は作品自体と比べて残りにくいものです。コミュニティは作品を作るためのものであり、それ自体は残らないのです。僕は残るものを優先したいと思ってます。

コミュニティを作ってると勘違いされる→コミュニティを頑張ると「最近はベリロンコミュニティどうですか?」とばかり、周りから聞かれてしまいます。何度も言うように、制作を優先してるので、自分の中でコミュニティの成果を問われるのはちょっと期待感がズレてしまいます。また、そういう評価ばかり受けると、コミュニティの人数が時期的に減ったりしたとき、ファンの人も不安になってしまいます。でも本当に大事なのは作品が好きかどうかだけです。

作品が局所最適になる→コミュニティに参加してくれる方は、一番のロイヤルファンで、本当にその方達のおかげなので、有り難く思っています。しかし、やはり新しい人にも見てもらいたいので、「コミュニティにウケる」を目指し過ぎることで作品の幅が狭くなることもあります。

というわけで、コミュニティを運営しすぎると自分にとってはデメリットの方が大きく、巡り巡ってファンの人にも楽しい作品を出せないという結論になりました。

NFT業界の価値観の問題

NFT業界の中で、クリエイターとしての表現にNFTを取り入れてる方にこのnoteが届けば良いなと思っています。

NFT業界には、「Discordの人数が多いと偉い」「トークンやNFTを出しまくって盛り上げてるプロジェクトが凄い」という価値観があります。

凄いのは凄いのですが、あくまでマーケティングの1つの手段が上手いだけであり、それは作品の魅力との関係はないと思います。例えば、SEOに強いアニメ会社があっても「へー」くらいの感じだと思ってて、それに近いと感じます。

クリエイターにとって、後世に残る作品を1人で作れるなら、コミュニティ作りは極論不要です。(勝手に出来ます)

NFT業界には、まるでオンラインサロンを作るのが上手い人と、アートが上手い人が一つの価値観の中で比べられたりするような側面があり、悩んでる人もいそうなので、そういう人がいたら胸を張って制作に注力して欲しいなと思っています。

周りの人も、コミュニティどうこうでジャッジしないというのを大切にすると健全化すると思います。

そして伝説へ

というわけで、作品を作るためにコミュニティ作りへの注力を終わらせます。

ベリロンのポテトの仕組みやNFT、二次創作カルチャーはそれ自体が作品のコンセプトなので、もちろん継続されます。ご安心ください🙏

僕が作りたいのはコミュニティとか繋がりとかではなく、作品なので、理解いただけると幸いです。

伝説の作品を作らせてください。お願いします。

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