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天才は落下している

天才とは、自分より「上」の人間である。というのがコモンセンスかもしれない。

みんな憧れの天才には、「天」という字が使われているし、格上とか、上昇志向とか、何かと人は上を見上げたり、目指したりしたがる。

だから、滝登りする鯉みたいに重力に逆らって必死にもがき「上」を目指すのが良い生き様であり、天才達もそうしてきたのだと、僕らは信じている。

ただ、実際はどうなのだろうか。

天才性を感じる人とはたまに会うことがあるが、「必死にここまで登ってきた」感じの人はあまりいない。

むしろ、天才には、自然の摂理でそこにいるような、何の力にも逆らって来なかったような、妙な納得感がある。

なので、上昇とはむしろ逆なのだろう。天才は落下しているのだ。

重力に逆らわないことが、天才の本質だ。大谷翔平は、野球に向かって最速で落下し続けているのだ。

頑張っているのではなくて、自然の力で新しい地点に進んでいるのだ。

つまり天才は、天にいるのではなくて、天から位置エネルギーを使って落ちてくる。だから重力に逆らって登って勝つなど大抵不可能だ。

だとすると、自分の才能は意外にも簡単に見つかる。努力を一度辞めてみればいい。

努力というのは重力に逆らう行為だから、重力に従うために、一度ニュートラルに戻ってしまえば良いはずだ。

そのとき、絵を描き始めたら描き続けてみればよくて、絵の天才なのだとしたらアイデアも手も止まらなくなっていくと思う。

ただ、こういう風にやったところで、上手く全員が天才と呼ばれるわけでは無い。

ひたすら落下した先が薬物、下手したら殺人なんて場合もあり得る。そして落下先は自分では選べない。天才であることが、必ずしも承認や富をもたらすわけではない。

むしろ、ほとんどがいわゆる廃人コースなのではないか。

これが落下の恐ろしさであり、生きづらさの正体だ。天才だけ育てればいいなら、例えば学校とかも必要ないはずなのだけど、社会を作るにはそれでは不可能なのだ。

つまり、シャブ中と野球の天才には意外にも大差が無いのかもしれない。実際シャブ中になってしまうスポーツ選手が多いのもこのためだろう。

だから、落下は命懸けだ。命懸けだから、天才は美しく見えるのだ。

でも、危ないので無理はしなくて良い。これは身投げを奨励する文章ではない。

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ちなみにこの動画が元ネタで、このnoteはメモ書きだ。呂布カルマ、病的なまでに思慮深い奴の思考さえ遠く及ばない。。

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