中村安希

(作家/旅人) 著書に『インパラの朝』『リオとタケル』『N女の研究』『もてなしとごち…

中村安希

(作家/旅人) 著書に『インパラの朝』『リオとタケル』『N女の研究』『もてなしとごちそう』ほか。

マガジン

  • らくがき帳(定期購読マガジン)

    身の回りの出来事や思いついたこと、読み終えた本の感想などを書いていきます。毎月最低1回、できれば数回更新します。購読期間中はマガジン内のすべての記事をご覧いただけます。

  • ジビエ連絡帳

    近所で駆除された鹿や猪139頭を解体し、お肉を食べる(食べてもらう)活動を続けてきました。ジビエ肉をささっと調理し、おいしく食べるために挑戦したレシピなど、肉の取扱いに関する情報共有を目的としたマガジンです。

  • 日記

最近の記事

大学院のこと(7) (進学・留学体験談)

大学院での実体験を紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)(5)(6)」の続き。 大学院の先生たちは、ある意味で「タイパ教」または「コスパ教」の信者のような人々であり、極力自分の時間や労力を使わずに「授業をやった」ことにしてサラリーを得ることに長けていた。掛け持ちしている仕事先からテレワークでちょろっと教えてみたり、同じ教材を繰り返し使って時間稼ぎをしてみたり。なんやかやと言い訳をして(嘘までついて)授業にさっぱり来ないくらいならカワイイもので、学期早々に国外

    • 【森の家④】〜古家をひとつ買いました〜

      3年半続いた物件探しは、気がつくと限界集落を中心に最終段階へと向かっていた。別荘地ではなく、置き去りになったニュータウンでもなく、ゆっくりと衰退に向かう昔ながらの里山の集落。まだ重機も何もなかった時代に、手作業で切り拓かれた段々畑があり、自然本来の地形に抗わない謙虚な佇まいが心地よかった。 過疎地の集落を見ていくと、集落(区)にもそれぞれに色があり、どんな集落のどこに住むかで、その後の暮らしのあり方は随分と違うものになりそうだった。たとえば集落内の民家10軒のうち、人が住ん

      • 【森の家③】〜物件探しの長い道のり〜

        和歌山の友人宅で目にした「あの日の風景」を追いかけて、私はこの3年半、物件探しを続けてきた。とは言え、初めから「何をどう探せばいいか」が分かっていたわけでは全然なく、遠回りもたくさんしたし、行き詰まったことも何度かあった。 またそれ以前のこととして、私は自分自身が「何を求めているのか」を実は分かっていなかった。当たり前のことではあるが、どんな選択肢があるのかも分からないうちに何かを正しく選び取ることはできないからだ。 過疎地、空き家、地方、田舎、自然豊か、森の暮らし、中山

        • 大学院のこと(6) (留学・進学体験談)

          大学院での実体験を紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)(5)」の続き。 不正入学したものの、大学院の授業についていけず悩む学生。自分が学部生なのか院生なのかも答えられず、講堂から追い出されてしまったクラスメイト。学位取得を秘書に堂々と代行させている企業経営者。そうした数々の歪みを「金さえ積めばなんでもOK!」というアカデミックな解釈で黙認し続ける先生たち。大学院とは何か、学位とは何かについて考えざるを得なくなる現実を書き記したのが前編(5)である。 本編

        大学院のこと(7) (進学・留学体験談)

        マガジン

        • らくがき帳(定期購読マガジン)
          中村安希
          ¥1,000 / 月
        • ジビエ連絡帳
          中村安希
          ¥1,000
        • 日記
          中村安希

        記事

          【森の家②】〜限界集落に住を求めて〜

          八月の昼下がり、古い民家の玄関先に雑種犬が腰をおろしている。犬はくつろいでいるが、その鼻は家の前の森から漂う複雑な匂いを嗅ぎ取っている。その耳は辺りに広がる山々から雑多な音を拾い続ける。日に数回だけ、集落の人や郵便屋さんが近くを通りがかったりすると、首を伸ばし、耳を立て、そちらの様子をじっとうかがう。 犬は時々、どこかへ出かける。近所の森の腐葉土の下に小さな獲物を見つけに行ったか、裏の藪のミツバチの巣箱を巡回ついでに嗅ぎに行ったか、何をしてきたかは本人にしか分からない。犬は

          【森の家②】〜限界集落に住を求めて〜

          大学は鍋をする場所ではないし、自由を学ぶ場所でもない。(「大学院のこと」番外編)

          アカデミアに疑問を投げかけるシリーズ『大学院のこと』の第6話目を書いている最中に、奇妙なニュースを目にした。「大学の授業中に鍋をする学生が現れた」というものである。 事の詳細や背景は正確には分からないが、ネットを読む限りでは、以下のようなことらしい。 誰がどこで鍋をやろうと構わないが、鍋が行われた場所が大学の教室(授業中)であったこと、また許可した教授がSNSでその一件を取り上げて称賛しているということから、『大学院のこと』の番外編として本件について書くことにした。 私

          大学は鍋をする場所ではないし、自由を学ぶ場所でもない。(「大学院のこと」番外編)

          【森の家①】〜観察から実践へ〜

          大学院でジャーナリズムを学んでいた頃、あるクラスメイトが質問をした。 「紛争地を取材中に目の前に瀕死の地元民がいたとして、僕たちは取材を続行すべきなのか。それとも取材を止めて、その人を助けるべきなのか」 質問をしたのは、これからジャーナリストを目指そうという取材未経験の学生だった。ベテランジャーナリストの先生は、苦笑いをしてこう言った。 「それはまた古典的な問いだな」 ジャーナリストの仕事は取材・報道であって人道支援ではない。取材対象にいちいち心を奪われて、自らが問題

          【森の家①】〜観察から実践へ〜

          大学院のこと(5)  (留学・進学体験談)

          久しぶりに「アカデミア」の世界に戻り、違和感だらけの中でスタートした大学院生活。香港大学の修士課程での体験をご紹介するシリーズ「大学院のこと(1)(2)(3)(4)」の続き。 先生たちのほとんどは「ベテラン」と呼ばれる元ジャーナリストだったが、言い換えればそれは、引退後のじいちゃんばあちゃんたちの再就職先と化した大学院の現状を表していた。取材も編集も配信も、それ以上に報道の意味や概念そのものがデジタル化によって一変しつつあったその最中に、20世紀型のアナログな手法を変えよう

          大学院のこと(5)  (留学・進学体験談)

          思考は未来を必要とする(雑感)

          この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

          思考は未来を必要とする(雑感)

          マガジン限定

          Ice Age Generation(最終回)〜現世からの離脱〜

          * 本編は、就職氷河期世代を考察するシリーズ『Ice Age Generation』(1)(2)(3)(4)の最終回です。 日本経済の長い低迷に10代〜30代を奪われた就職氷河期世代。とりわけ1975〜83年ごろに生まれた「どん底」と言われる世代は、2023年現在40代となり不安定な中年期を迎えている。もう若くはなく、人生を挽回するには、気力、体力、能力などが不足し、これからもそれらの力は低下していくことから手遅れを実感し始める年齢である。 社会はかつての「人余り」から「

          Ice Age Generation(最終回)〜現世からの離脱〜

          大学院のこと(4) (留学・進学体験談)

          香港の大学院でジャーナリズムを学ぶことになった私の個人的な体験談「大学院のこと(1)(2)(3)」の続き。 アジアの名門大学で、欧米人の先生からアジア人の学生が教えを乞うという構図。世界はアメリカを中心に回っており、ジャーナリストとはすなわち欧米リベラリストである、という前提で授業が進められたことに、入学早々にして違和感を覚えた。 というのが前回(3)の話である。 本編では、実際の授業内容や課題への疑問、また大学院において「ベテラン」が意味することなど、入学前には予想で

          大学院のこと(4) (留学・進学体験談)

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(後編)

          * 本編は『遊園地化する世界と失われる旅の余白(前編)(中編)』の続きです。 観光と旅、二つの旅行スタイルについて、それぞれ中国での観光とジブチでの旅を実例として取り上げ考察してきた。観光とは客が価格に見合うサービス、提供された愉しみを享受する行為であり、一方で旅は、人が自分の責任において体験したことを、自分なりの解釈をして、自ら変化していく行為と書いた。 日本の観光産業には大きなポテンシャルがあり、インバンドはこれから柱となっていく産業の一つとされている。そうした中で、

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(後編)

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(中編)

          * 本編は『遊園地化する世界と失われる旅の余白(前編)』の続きです。 前編では、観光とはどんなものか、観光地はどのようにして観光地となったのかについて書いた。本編では、「客として観光地を訪れる」という旅行スタイルとは真逆の行為としての「人として旅をする」ことについて、アフリカ旅行中の実例を用いて考えてみたいと思う。 旅的要素と観光的要素 私自身は20代の半ばになるまで、旅らしい旅をしたことはなく、観光地に行くことがすなわち旅行だと思っていた。それが旅をするようになって、

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(中編)

          鹿背ロースの漬け込み竜田揚げ

          今回は、背ロースを使った竜田揚げのレシピです。先にUPした「モンゴリアンヴェニソン」と途中まで作り方は同じです。料理中につまみ食いをしたら、あまりにも美味しかったので、別料理として作り方を掲載することにしました。

          鹿背ロースの漬け込み竜田揚げ

          モンゴリアンヴェニソン

          今回は鹿の背ロースを使ってモンゴリアンヴェニソンを作りました。モンゴリアンヴェニソンと聞いて、何それ?と思われた方、普通の感覚をお持ちだと思います。

          モンゴリアンヴェニソン

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(前編)

          日本が儲ける道の一つは、「インバウンド」すなわち観光業であるらしい。確かに日本には、文化にせよ自然にせよ観光資源となりうるものが実にたくさん存在している。インフラもそこそこ整っているし、衛生的で治安もいい。製造と輸出で外貨を稼いだ時代が終わり、相対的に経済が縮小していく国として、外から人を呼び込んできてサービスを提供し生き延びていくという考えは、ごく自然な成り行きと言えるだろう。 観光産業を強化することには、経済的合理性が十分にある。より快適に、より便利に、安心安全な体験を

          遊園地化する世界と失われる旅の余白(前編)