4. 咬んで、暴れて、破壊して、、、

  壁に沿って最後まで見ていくと、端のケージだけ2段ではなく、なぜか3段になっていて、一つだけ飛び出した最上段のケージの中に白茶色の犬が入れられていた。あまり人気がないのだろうか、ケージの前には誰にもおらず、おかげで私はじっくりとその犬を見ることができた。子犬とは言え、体つきはがっしりしていて、性格はやんちゃそのものだった。あどけなさが売りの他の子犬とは違い、1匹だけガツガツ動きっぱなしで、まるで落ち着きがない。
 雑種。メス。誕生日は8月半ば、ということは……、ん?! 私はぎょっと驚いて、犬の体をまじまじと見た。2ヶ月弱の子犬にはとても見えない体格だった。最初に見た生後3ヶ月の黒茶のオスと比べても、ほとんど大きさが変わらないばかりか、見るからに態度がでかく、月齢にそぐわない堂々とした風格を漂わせている。もしかしたら誕生日をひと月間違えて表記しているとか? あるいはわざと……? 
 ただ、そうした疑問や憶測とは別に、白茶色の被毛は豊かに生え揃い、目も大きくて力強かった。成長すれば凛とした美しい犬になるかもしれない。だからまた、惜しいな……と思う。あと2週間早ければ、状況は違っていたかもしれない。なぜなら現時点でのこの子には、里親に「守ってあげたい」と思わせる弱々しさ、「抱きしめたい」と思わせるふにゃふにゃ感が欠けてしまっていたから。

 「ああ、その子ね。あんた好みの顔やもんね」
近づいてきた姉がニヤっと笑って言った。ネットでのチェックを欠かさなかった姉は、私の好みの犬を私以上に熟知していた。大きな目。茶色の被毛。それに、「へ」の字型の眉毛がついた「困ったちゃん系」の顔つき。確かに姉の言う通りだ。
「でも、こんな子おったかな? ネットでは見てないよなぁ」
「う〜ん、私も覚えてないわ。おったんかなぁ」
姉は首を傾げたが、たぶんいたのだろう。どちらも覚えていないのは、きっとマークするほどドンピシャの「タイプ」ではなかったためだろう。私は、それで? と姉に言った。
「そっちはどうやった? 目が合った子おった?」
「う〜ん。あっちの端に耳垂れのがおったんやけど」
「あっ、そうそう! あの子ネットで見てた子じゃない? よく残ってたなと思って。お姉のタイプやし、顔もかわいいし」
「そうそう、確かに顔はかわいかった。でもあの子さぁ、呼んでも全然来てくれへんの。ケージの奥の方にうずくまってるだけで、なんか愛想がないっていうか、いまいちピンとこやんだわ。それにオスやし……。その点で言うとこの子は、」
姉はおかしそうに笑いながら、ケージの金網の隙間に「ほれほれ」と言って指を入れた。白茶の子犬は、金網をガリガリ噛んでいたかと思うと、パッと飛んできて姉の指に咬みついた。
「痛っ!」
姉が手を引っ込めて「これ!」と叱った。
「えらい咬み癖や。ストレス溜まってんのかいかな」
「どれどれ」
私も指を入れると、犬は飛びかかってきてガブっとやった。
「イタタタタッ! こら、ガブガブしたらあかんのっ」
「あかんなぁ、咬むなぁ」
と言いつつも、また姉が手を突っ込む。
「痛っ! こらこら、咬んだらあかんってば。それにしても横着な子や」
「ほんまに、全然じっとしとらんなぁ。この犬、まだ2ヶ月経ってないようなこと書いてあるけど、なんか、やたらデカない?」
 デカい、と姉は言った。
「2ヶ月ってことはないやろ。3ヶ月ぐらいは経ってるやろ」
「でも、そう書いてある」
 私はまた、隙間から指を入れた。叱られてもめげずに向かってくる犬がおかしくて、私たちはしばらく犬と遊んだ。
「元気なのはええけど、ちょっと咬み過ぎや」

  それから私たちは、姉の好みの耳垂れ犬をもう一度確認しにいった。相変わらず、犬は丸まっているだけで近寄ってくることはなかった。さっきの薄茶に比べると体の線がずいぶんと細く、だから愛想がいまいちなのは、性格それ自体に問題があるのではなく、体力がなくてただ疲れているだけのようにも見えた。現在の人気は今ひとつでも、これから体ができてきてコロコロと元気に遊ぶようになれば、欲しいという人も出てくるかもしれない。
「この子も、顔はめっちゃかわいいんやけど」
姉の声で目線を下げると、斜め下のケージに、同じように耳の垂れたピンクのブチ柄の子犬が分厚い服を着て寝転んでいた。さっきの犬にもまして体つきは華奢だったものの、そこそこ愛嬌もあったし、何より眉毛の困り具合が絶妙な犬だった。見覚えはあった。一度目に見たときも、確かに、おっ、と思った。とは言え、候補から外した理由があったはずで、
「尻尾がちょっとな……。後ろ足のところも」
 私が理由を思い出す前に、姉が先回りして言った。
「皮膚がただれちゃってるんやわ……かわいそうやけど」
そうだ。それでさっきも諦めたのだ。服から出ている後ろ足は、痛々しいほど細い上にまったく毛がなく、むき出しになった皮膚が少しただれてしまっていた。服を着ている胴体部分も、毛が生えている様子はない。子犬は、首から上を除くほぼ全身に重い皮膚病を患っていた。単に皮膚が荒れているだけなのか、あるいは、もっと重い病気の一症状として皮膚が炎症を起こしているのか……。
  私たちはそこにしゃがんで、しばらく無言で犬を見ていた。病気を抱えた犬であっても、引き取る人はいるだろうか。このまま病気が治らなかったら、この子はどうなってしまうのだろう。
 耳垂れ犬が好きなのは、姉だけでなく私も同じだったし、ひどい皮膚病を抱えた犬を好きになれる自信もあった。ただ、目の前に置かれた両脚はあまりにも脆く、弱々しく、愛せるかどうかとは別のところで、私は自信を失ってしまった。病気の治療にはお金がかかる。通院生活が長く続けば、自家用車だって要るだろう。
「無理やな」
そう言って立ち上がり、私は可能性を断ち切った。そこでずっと見ていたら、そのうちに情が移ってしまいそうだったから。
 
  屋外へ成犬を見に行く前に、私たちはもう一度だけ、あの面白い白茶を見にいった。その犬のケージの前には、今度も誰もいなかった。白茶はさっきと変わることなく、金網をガリガリやっている。さっきまで見ていた虚弱な犬たちのせいだろうか、この犬のガサツさがかけがえのない健康状態の良さに、利かん気はある種のひょうきんさに、そして気性の荒さまでが、唯一無二の頼もしさに思えてくるのだから分からない。そのうちに白茶のじゃじゃ馬は、金網の隙間に口先を押し付け、自分の名札の留め金を猛烈にかじり始めた。
「これこれ、それは噛んだらアカンのっ」
「ほら、やめときや。口の中切ってしまうで」
「あっ!」
クリップが壊れて飛んでいき、名札がガサッと床に落ちた。
「あーあ」
呆れた。なんだかもう、笑うしかなかった。すぐにスタッフを呼んできて、拾った名札を返却してから、私たちは成犬を見るために、ようやく小屋から外へ出た。

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中村安希

ひばりの家

子犬を1匹引き取りました。ひばり、という名の雑種犬です。犬のいる暮らしについて、少しずつ書き進めていきます。どうぞよろしくお願いします。インスタ:https://www.instagram.com/hibari_nakamura/
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