2、 捨て犬にレベルがあったなら

 「抱っこしたら最後、連れて帰ってくることになるから」
 動物愛護施設に犬を見に行こう、と姉が提案するたびに、私はそう言って拒み続けた。
「ただ見るだけや。お散歩がてらに行ってみて、見るだけ見て帰って来たらいいんやから。それだけでも、めっちゃ癒されると思うで」
「いやいや、そんな上手いこといかへんって。こっちは見るだけのつもりでも、わんこが『私も一緒に帰るわ』って言うてきたらどうすんの? 置いて帰ってくるなんて、そんなことできる?」
 それでも結論から言えば、私たちは施設に犬を見に行き、ひばりは家にやってきた。特別な理由があったわけでも、急に心変わりしたのでもなく、なんと言うかその時は、うやむやのうちにそうなって、気づいたらひばりが家にいた。それでももし、その日ひばりが来たことに、何かしらのきっかけのようなものがあったのだとしたら、それはお天気のせいだったかもしれない。その十月最初の日曜日は、じっとしているには惜しすぎるほどの完璧な秋晴れだったから。

   正午過ぎに家を出て、私たちは滋賀県高島市にある動物愛護施設に向かった。その日は月に2度開かれる滋賀シェルターでの譲渡会の日で、14時から17時までに施設に行けば犬に会えると聞いていた。同じく月に2度開かれる大阪シェルターの会に比べて、滋賀の会場は駅から遠く、本気で犬をもらってくるなら車で行くべき立地にあった。そういう場所と知りつつも、私たちは電車に乗って湖西線を北へと走った。車も持っていなければ、犬を飼う気もなかったのだから当然といえば当然だろう。近江今津で電車を降りて、そこから5キロ先にあるシェルターの方へと歩き始めた。
 真っ青な空を背景にして、比良山系の山々が南北に向かって延びていた。春に登った武奈ヶ岳、その前に登った釈迦岳も、その山の並びにあるはずだった。山裾には田畑が広がり、小川の水はしぶきを上げて秋の日差しを照り返していた。
 出てきてよかった。こんなに気持ちのいい午後にマンションでじっとしていたら、とても後悔しただろう。私はリュックから水筒を出して、数口飲んで姉に渡した。会場で犬と遊んだら、すぐに歩いて引き返せばいい。復路を入れて全部で10キロ。よいリフレッシュになりそうだ。JAの脇を通り過ぎ、田んぼの一本道を進むと、目的地と思われる辺りから犬たちの吠え声が聞こえてきた。

  会場の門の前には、すでにたくさんの人が集まっていた。そのほとんどは家族連れで、7台ほどの乗用車が周辺に路駐してあった。14時開始のずっと前から待っている人たちもいるらしい。私たちは整理番号を受け取り、アンケート用紙に目を通した。名前、住所、電話番号から、里親になる心構えや飼育環境を具体的に問う質問が続く。
 現在の住いの形態は? 【マンション(ペット可)】。
 ワンちゃんの生活場所は? 【屋内】。
 家族構成は? 【姉と二人暮らし】。
 質問に答えるうちに、なんだかドキドキしてきた。飼い主としての適性を問われているのだと思うと、とりあえず失格の烙印だけは押されたくないとか、できれば優れた里親として認められたいという変な欲が出てきてしまう。マンションは減点対象だろうか? 中年の姉妹の二人暮らしを怪しまれたりはしないだろうか? 私たちは多少前のめりになって残りの回答を埋めていった。
 狂犬病の予防注射と畜犬登録をきちんとできるか? 【はい】
できます! 
 不妊手術を約束できるか? 【はい】 もちろんです! 
 ワンちゃんは通常どれくらい一人で留守番することになるか? 
 よくぞ聞いてくれたと思った。フリーランスの絵描きの姉は自宅を作業場にしているし、フリーライターの私自身もたいていは自宅で仕事をしている。犬がひとりぼっちになることは日常的には起こりえない。だからここは自信を持って【留守番なし】に丸をした。これまでに動物を飼ったことはあるか? この答えにも躊躇はなかった。子どもの頃、周りにはいつも生き物がいた。魚、カメ、ザリガニ、ハムスター、うさぎ、猫、そして、犬。
 
  アンケートを一通り書き終えると、何もやることがなくなって、入り口付近の犬を眺めた。金網の向こうの木の陰に、10匹くらいの犬が繋がれていた。被毛の長さも色も違うが、どの犬も中型の成犬で、どこにでもいそうな雑種だった。犬たちの毛は、充てがわれた犬小屋と同じように、ほどほどに汚れて傷んでいた。おそらくほとんどの犬たちは、ここに長くいるのだろう。そしてこの先も、長くいることになるのではないか……。
「うちら、成犬でも全然いいんやけどな」
 同じことを思っていたのか、姉がポツリと呟いた。うん、と私はうなづいた。
「うちに来たら、どの子でもかわいがったげるんやけど……」
 ただ不思議だったのは、自分の率直な感想として、そこにいるどの犬に対しても特別な感情が湧かなかったことだ。言い方は悪いが、そこにいる犬たちは、十把一絡げで「雑種の中型の成犬の、それでいて身寄りのない犬」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなかった。とことん平凡で特徴のない、どこにでもいる捨て犬……、そんな風にしか思えなかった。ただ、そうだったにもかかわらず、あるいは、だからと言うべきなのか、どの犬をもらい受けたとしても分け隔てなく好きになれる自信はあった。この子でも、あの子でも、どの子でも大した違いはないのだ。うちに来た犬、来てしまった子を、きっと私は好きになる。そんな気がした。

  続いて、中庭の辺りに視線を向けると、ケージで仕切られた個室の中に一頭ずつ犬が入れられていた。それぞれ、水桶と犬小屋(またはクレート)をもらっていて、コンクリートの床面もきれいに掃除されていた。15頭ばかりいただろうか、そこにいる犬たちも中型の成犬ばかりだったが、木の陰にいる雑種犬とは少し様子が違っていた。
「あれ、ボーダーじゃない?」
 私はケージの真ん中あたりを凝視して言った。
「そうそう、私も思ってた。ボーダーがおる! って。捨てる人、おるんやなぁ……」 
 ボーダーコリーは買えば15万円以上する人気犬種だ。
「でもすぐにでももらい手がつきそうやけど」
「うん、つくやろ。欲しい人なんかいっぱいいそうやもん」
 ただしそれを言うなら、他にも「欲しい人がいっぱいいそうな犬たち」が、それこそいっぱい捨てられていた。ボーダーコリーの両隣には、柴犬やビーグル犬がいた。それも一頭だけではない。隣も、その隣も、そういう犬は何頭もいた。成犬とはいえ、いずれの犬種も人気があって、血統がよければ20万円の値が付く犬ばかりだ。
「なんかさ、あそこのエリアだけレベル高くない?」
 その言い方がおかしくて、私はふっと笑ってしまった。中庭にいるブランド犬が、レベルの高い捨て犬なら、木陰にまとめて繋がれているこっちの雑種犬たちは、いかほどのレベルというのだろう。
「可能性のある子から順番に、よく見える場所に置いてるんやろね」
 どんな理由であってもいい、とにかく一頭でも多く、一刻も早く、里親の元に送り出してやりたい。犬たちの配置からは、そうした施設側の切実な思いが伝わってくるようだった。そして、そんな思いに応えるかのように、ボーダコリーを見たいというひと組の家族が現れた。あらかじめ予約していたのだろう、その家族はスタッフに案内されてまっすぐ中庭のケージに向かった。これから相性のチェックを兼ねて「お試し散歩」に出かけるのだ。犬にリードが付けられると、それを見た周りのエリート犬たちが「おい、お前だけずるいぞ」と盛んに吠えた。それを聞きつけた雑種犬が「おーい、こっちも頼む。こっちにもいるんだ、連れてってくれ!」と一斉に吠えだし、その波紋はさらに広がって、施設のさらに奥の方でもあちらこちらで悲鳴が上がった。いったん連鎖反応を起こしたら、犬たちは気の済むまで鳴くのを止めない。やれやれ・・・。それは、やかましくて、どうしようもない、わんこたちの懐かしい声だった。それにしても、と思う。この施設の敷地は、どこまで続いているのだろう? 一体ここには、どれだけの犬がいるのだろう? 

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

17

中村安希

ひばりの家

子犬を1匹引き取りました。ひばり、という名の雑種犬です。犬のいる暮らしについて、少しずつ書き進めていきます。どうぞよろしくお願いします。インスタ:https://www.instagram.com/hibari_nakamura/
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。