3. 旬を過ぎた子犬たちは・・・

  ボーダーコリーが散歩に出ていったあと、今度は子犬を抱きかかえた二組の家族が、立て続けに門から出てきた。子犬はどちらも、まだ随分と幼なかった。体はふにゃふにゃで、毛はもふもふしていた。サクラ色の小さな肉球は見るからにぷにょぷにょしていて、そんなものばかり眺めていたら、手の中がうずうずしてきてしまった。順番を待つ人たちからの羨望の眼差しを一身に受けて、子犬の新しい里親は、照れくさそうに何度も何度も頭を下げつつ、車の方へと引き上げていった。するとそこへ、「あの〜、すみません」と、順番待ちをしていた後方の家族から不安げな声が上がった。
「まだ子犬は残っていますか?」
 いい質問だった。スタッフからの返答には、私だけでなく、待っていた誰もが耳をそばだてたことだろう。
「はい、まだまだいますよ。今日は子犬もたくさん来てますから」
 そこにいる一同がホッと息をついた。もちろん私も同じだった。門の向こうの敷地の奥を首を伸ばして覗き込んでみたが、子犬たちがどこにいるかは、この角度からはわからない。私は姉にささやいた。
「うちらの順番になる頃には、かわいいのはもういないかもね。ほら、また出てきたよ。さっきの子たちとそっくりや。あの子たち、たぶん兄弟犬やと思うけど、何匹くらいで来てるのかなぁ、さっきから見てたらさ、やっぱりかわいい子から順にはけていく」

  兄弟犬のグループが2組ほどいるらしく、よく似たタイプの子犬ばかり次から次へともらわれていった。捨て犬とはいえ、かわいさ絶頂期にある人気の子犬をめぐっては争奪戦が起きるのだろう。譲渡会が始まるずっと前に整理券を取りに来ていた人たちは、最初から気合の入り方が違っていたのだ、とこの時になって理解した。私たちは明らかに出遅れた。しかし姉は、そうかもね、と落ち着いた声を出しただけだった。
「それならそれで、おっきい子だけ見せてもらって帰ってきたらええんやし」
「そうやけど……」
 姉はそれでいいのだろうか? せっかくここまで来たのに、一番かわいい子犬たちを見られなくてもいいのだろうか? だいたい、犬を見たいと言っていたのはいつだって姉の方だった。サイトにアップされる犬たちの写真を毎週必ずチェックして、出張先の私のメールに次から次へと送ってきては、「ほら、この子なんかどう?」「この子は?」「あんた好みのとっておきの子が見つかった!」 と、毎度大騒ぎしていたのは彼女の方だ。だから姉だって、自分好みのかわいい子犬をきっと見てみたいはずなのに。
 やっと私たちの番になり、スタッフに整理券を返した。
「子犬希望ですか?」
 と聞かれ、私と姉は一瞬顔を見合わせた。
「いや、別にこだわりは」と言った姉に続いて、
「いい子がいたら、成犬でも」と私も言った。
 ウソを言ったつもりはなかった。基本的に私たちは、何にもこだわってはいなかった。子犬にも、成犬にも、ブランド犬にも雑種犬にも、犬を飼うことにも、飼わないことにも。唯一こだわっていたことと言えば、犬の名前くらいだ。
「それではゆっくり見てきてください。子犬はあっちの建物にいます」
 門を通してもらい、私は言われた方向にある「こいぬ」と書かれた張り紙の付いたプレハブ小屋にまっすぐ向かった。

  小屋の中は、たくさんの人でごった返していた。壁に沿ってコの字型に、上下二段の犬用ケージがずらりと並べられ、その中に子犬や小型犬が入れられていた。それぞれのケージには、犬の登録番号と性別、それに生年月日が記してあった。
 私は入り口に近いケージから順番に見ていくことにした。まずは、黒っぽい短毛のオス。生後3ヶ月。性格は見たところおとなしそうだった。耳は大きい立ち耳で、まぶたの上の皮がよれて「へ」の字型の眉毛みたいになる「困ったちゃん系」の面立ちをした犬だった。ぷくっと盛り上がった眉根から、いかにもお人好しで、やさしい印象が受けて取れた。黒茶系の雑種犬に対する忘れかけていた愛おしさが込み上げてきて、寂しさで急に胸が詰まった。成長すれば素敵な犬になるだろうし、益々愛着が湧くのは間違いない。しかし、だからこそ惜しい、とも思う。わずか1ヶ月、いやたった2週間の差で、この子は子犬としての「旬」を逃してしまっていたから。

  もらい手が付くかどうかを基準にみたとき、子犬たちの市場価値は週単位で激しく変化する。ヨチヨチ歩きの時期が終わり、やっと足腰が落ち着いてきてコロコロと遊び始める頃、月齢にして1・5から2ヶ月をピークに、そこから先、子犬たちの里親探しは徐々に難しくなっていく。成長のスピードは個体によっても大きく違うが、ペットショップの子犬なら、3ヶ月頃には値崩れが起き始める。3・5ヶ月を過ぎれば叩き売り状態になり、4〜5ヶ月でほぼ用済みとなる。もちろんここはペットショプではないし、犬を値踏みするような人はそもそもこんな場所には来ないだろう。けれど、ごく自然な感覚を表現するなら、3ヶ月を過ぎた子犬たちに漂う「行き遅れ感」を否定することはできないのだった。

  私たちの順番が遅かったせいもあるのだろう。ケージに残っているのは、「旬」を過ぎかけた犬が多かった。そして、空になったいくつものケージからは、さっきまでそこにいたはずの、かわいさ絶頂期の子犬たちの姿が容易に想像でした。かろうじて残っている旬の子犬のほとんどは、すでに誰かの腕に抱かれて、行き先が決まるのを待っていた。さっきから大人気の兄弟犬は、残りあと2匹。他を合わせても数匹しか残っていない人気の子犬を巡って、最後の争奪戦が起きていた。
かわいい……、確かにかわいい。この齢の子犬のかわいさは爆弾だ。犬好きかどうか、どれくらい好きかに関係なく、こんな子犬が目の前にいたら、誰だってつい抱きしめたくなるだろう。けれど不思議なことに、私はそのいずれの子犬にもさっぱり興味を引かれなかった。かわいいとは思っても、とくに飼いたいとは思わなかった。放っておいてももらい手がつく犬を、あえて引き取りたいという気持ちが全然わいてこなかったのだ。

  3分の2を見終わったものの、目ぼしい犬は見当たらず、最後に入り口から一番遠い壁に並んだ残りのケージを見ていった。すると一匹、見覚えのある犬がいた。耳の垂れた黒いブチ柄の犬で、2ヶ月弱のオスだった。ビーグルのような垂れ耳の犬が好みの姉が、少し前にネットで見つけてマークしていた犬だった。写真で見ていた時と変わらず整った顔つきをしていたし、体もまだまだ小さくて愛くるしい子犬に違いはない。ただ、どういうわけかこの子犬には他の旬の犬たちほどの注目は集まっていなかった。これは、もしやチャンスか?! 姉に早く知らせなければ。そう思って辺りを見回すと、姉の姿より先に、2つ先のケージに入った別の子犬の姿が目に飛び込んできた。灰茶色の短毛の子犬が2匹、くっつき合って眠っている。どちらも生後2ヶ月にまだまだ満たない、見るからに幼い犬だった。それなのにその二匹の犬も、あまり人気はないようだった。年ごろの犬であれば無条件に人気がでるのではなく、同じ齢の犬が集まれば、その中で容姿、性格、条件などを巡ってさらに細かい格付けが起こり、中には売れ残ってしまう子も出てくるのだろう。この壁側のケージには、そうした「本来なら旬のはず」の犬が多く、しかしケージの中にまだ残っているという事実が、その犬の置かれた状況を物語っているようだった。犬たちの世界も、なかなか過酷なのだ。

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中村安希

ひばりの家

子犬を1匹引き取りました。ひばり、という名の雑種犬です。犬のいる暮らしについて、少しずつ書き進めていきます。どうぞよろしくお願いします。インスタ:https://www.instagram.com/hibari_nakamura/
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