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あの子には世界はどう見えているんだろう。#世界自閉症啓発デー

人間はそれぞれ多様な見方や感じ方をして生きている。
ある出来事を悲しいと思う人もいれば、悔しいと思う人もいる。
ある音をうるさいと思う人もいれば、気にならない人もいる。
味の濃さ、薄さ。
光の眩しさ。
痛みの感じ方。
自分の身体の感覚。

その人がどう見えているのか、感じているのか、は本当にその人にしかわからない。

そんなの当たり前、と思われるかもしれない。
けれど、わたしは、自分が知っている「当たり前」の範囲を遥かに超えてきた人たち、子どもたちにこれまでたくさん出会ってきた。

シャワーや水に触れると、「痛い」と感じている様子が見られる子。
びっくりするくらいぐるぐる回り続けても全然平気な子。
トイレの手を乾かす装置を前にすると耳を抑えパニックになる子。
同じものを見ると必ず綺麗に並べる子。
同じ言葉やフレーズをを何度も繰り返す子。

そして、その様子は多様で、一人ひとり違う。

それに気付いてから、わたしは子どもと出会うたびに「その子が見えている世界がどんな世界なのか?」を知ることに夢中になった。もちろん、その子と同じ見方や感じ方は私にはできない。でも、せめて、少しだけ見たい、、、見せて、、、何が楽しいのか教えてほしい、伝えたいことはなにかしら、といつも思う。(大抵の場合が片思い、たまにウザがられる)

学問という先人の知恵を借りながら、その子が伝えたいことは何だろう。やりたいことは何だろう、を模索しながら、接し続けていると、その子との共通言語ができる瞬間がある。「言語」じゃないか。なんだか、通じる時。たまらない。ああ、あの子のあの行動にはこういう意味があったんだ、とわかる時も。

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コミュニケーションに「障害」がある場合、それは片方ではなく、相互作用の中に障害がある。コミュニケーションは双方向的なものだから。「わたし」と「あの子」、「わたし」と「あの人」、「あの子」と「あの子のお父さん」のように。お互いに、気持ちのいいコミュニケーションの仕方を見出していくプロセスが、わたしは好き。
そして、見出していくために、見え方、感じ方が多様であることを前提にしておきたい。わたしとあの子の見え方、感じ方はおそらく違うであろう。

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しかし、わたし自身、多様な見え方感じ方があることが分かったのは大人になってから。それも、「障害」について学び始めてから。

困ったことに、自分の見え方や感じ方は他の人と比べてどうなのか?わからない子どもたちや、人たちがたくさんいる。
「みんな我慢して生きている」と思っている子どももたくさんいる。

掃除中のガチャガチャ音で耳が痛い
プールの水が痛い。
先生から別の誰かが叱られているのに自分が叱られているように聞こえる。
教科書の白は眩しくて目が痛い。
給食のにおいがつらい。

過敏な人ほど、「自分以外の人も我慢している」と思いがち。もしくは、周りが我慢を強いがち。
音が痛い人もいる。においがしんどい人もいる。そうではない人もいる。しんどい人は、しんどくないように工夫したらいい。どんな工夫があるかな。
一緒に考えたい。

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「啓発キャンペーン」そのものは、「認知度」をあげるかもしれない。それはとても大切なこと。
けれど、わたしは、多くの人に「自閉症」の子どもたち、人たちと接してほしいと思う。接して、その人、その子との対話を、コミュニケーションをつくっていくプロセスをぜひ味わってほしい。
そんな機会をたくさん作りたい。

※写真は我が家によく遊びに来てくれる子が綺麗に並べたシャボン玉。

#世界自閉症啓発デー #ソーシャルインクルージョン #自閉症 #インクルーシブ教育

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