新学期を迎える全ての先生方に伝えたい、多様な子どもたちのこと

学校という場所には、社会と同じように、本当に多様な子どもたちがいる。
自分がこれまで出会ったような子どももいるし、そうでない、初めて出会うような子どももいる。

想定外の行動をする子どもを、まわりの先生はは「あの子は特別支援対象だから」「あの子は発達障害だから」という風にラベルをつけるかもしれない。
でも、だからといって「自分には教えられない子ども」と思わないでほしい。同じように、外国から来た子も、LGBTと言われる子どもも。

先生のクラスには、学校には、これまでに会ったことのないような多様な子どもたちがいるかもしれないけれど、みんな学校に学びに来ている子どもたち。

ただ、困ったことがあったら、周りの先生や専門家に聞いてほしい。でも、「障害」などのラベルを理由に「わたしには教えられない」「この子はここにいるべきじゃない」と思って欲しくない。

別々に学ぶときは、その子が「障害があるから」ではなく、その子が学ぶべき内容をその場で教えられないとき。
これは同じようで、全然違う。

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医療やリハビリには「疾患」や「疾病」に対する「専門的なアプローチ」がある。

教育はどうだろう?
そこにあるのは、学ぶべき内容に対する専門性であり、「障害」に対する専門性ではないのではないだろうか。
(障害科学博士の私が言ったら怒られるかもな...)

例えば、国語の専門の先生は、どんな子どもに対しても国語を教えられるという専門家ではないのだろうか。
国語を教える専門家が「この子は障害があるから自分には国語を教えられない」というのは本当にそれでいいのだろうか。

以前も「あたし論」に書いたように、特殊教育の発展は、子どもを属性ごとに分けてその専門性を高めるということをしてきた。それで得られたこともたくさんあった。

でも今こそ、融合の時。何度でもいう。
子どもはだれもが多様。特定のだれかが「特別」というわけではない。

教育課程も教員の専門性も「障害」種別ではなく、内容で分けられたら、と思う。
コミュニケーション指導の専門、点字指導の専門、生活教科の専門、など。「障害種」による専門性から、教育内容・方法の専門性へ。

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インクルーシブ教育時代の先生は、多様性を前提とした学校経営、学級経営、授業づくり、生徒指導をしてほしいと思う。
もちろん難しいこと。
だから、わからないことはどんどん聞いたらいい。なんなら、だれも聞く人いなかったら私に聞いてほしい。akinaln831@gmail.com
わたしも分からなかったら誰かに聞くから大丈夫。

けれど、目の前の「その子」を障害を理由に諦めないでほしい。

そして、わたしは全力でそれができる環境を作っていきたい。

#インクルージョン #インクルーシブ教育 #学校教育 #先生

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野口晃菜

あたし論

インクルーシブな社会のための研究・実践をするなかで、考えたことを整理するために書きます。 ※個人の意見であり所属する組織と関係ありません。
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