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「私はあなたの上でも下でもない」を崩さない

年々、「管理したがり」や「管理されたがり」や「支配したがり」や「支配されたがり」な状況に敏感になっている。それは、他人に対してもだし、自分に対しても。だいたいそこにはdisrespectfulな態度が付随していることが多いからだと思う。自分に対するリスペクトのなさ、相手に対するリスペクトのなさ。自分のそれに気がつくとものすごく後悔をする。

きっとこれまでの環境の中で身についてしまった癖のようなものなんだと思う。人と接する時に、年齢や性別や肩書きで自分の上か?下か?をジャッジして、接し方を変える。リスペクトの度合いに傾斜をかける。不必要に自分を卑下する。あるいはマウンティングする。

数年前までは気がつかなかった。というか、役割や役職に応じて、「上下」を分けて話さなければならないのだ、そういうものだ、と思い込んでいたんだと思う。

でも、「上下」を意識しながらの面談はとても辛かった。「導かなければならない」「管理しなければならない」「教えを請われたら与えなければならない」状態は本当に心からしんどかった。そしてその時の自分は本当に嫌いだったし、そういう関係性はつくりたくなかった。だいたい「管理職」って名称どうなんだよと思う。そりゃ「管理したがり」「されたがり」になっちゃう。

私はやっぱり相手が誰であっても対等な関係性をつくりたい。私には私の考えがあり、相手には相手の考えがある。そこに優劣はないし上下もない。お互いにリスペクトをもち、接したい。

そういう関係性をなかなかつくれなくてへこんだりしてたけど、最近、関係性はお互いでつくるものだから、私はそういう関係性をつくりたい、と行動や言動すべて一貫して意思表明をし続けたらいいんだ、と思い、最近はそうすることを心がけている。不必要に自分を下に見る必要はないし、マウンティングする必要もない、と態度と言葉で表明し続ける。機嫌をとる必要もないし、正解を探しにこなくてもいい。教えを請われても私は答えをもっていないから、一緒に考えたい。どんなに権威を振りかざされても持ち上げられても「私はあなたの上でも下でもない」

染み付きすぎちゃっていると、このように表明してもなかなか伝わらなくて諦めそうになる。特に「管理したがり」は言い換えると「管理しないと不安」であり、相手が思い通りにならないと余計に威圧的になったりする。そういう姿は悲しい。

組織においては構造的に上下関係になりがちだし、管理する-されるになりがち。だからこそ、フラットにする工夫が必要。一番は構造そのものを変えることなんだろうけど、そうでなくとも例えばダイアローグ的手法を取り入れるなどは効果的ではないかな?と思っている。

それにしても日本語でrespectやdisrespectfulはなんていうんだろう。「尊重」や「敬意を払う」とかはなんか日常で使う感じがしないし違う感じがする...

写真はばあちゃん(97歳になった)の塗り絵シリーズ

#関係性 #組織 #対話 #人権 #日記 #コラム

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