見出し画像

想像

夜、寒い日だった。
深夜二時頃、自宅近くのコンビニに入った。
糖質、プリン体がゼロの缶ビールを二本買う。片方はロング缶。飲みに行ったりして帰る時以外は、それが自分の習慣になっている。
ドリンクコーナーから、目当てのものをとり、レジに向かうと、一人の初老の男性が居た。七十手前位だろうか。
警備員の格好をしている。見てすぐわかるほどに、制服の下は沢山着込まれている。今日は確かに寒いと思うと同時に、帰ってくるすぐ手前で道路工事をしていたことを思い出す。
その男性は、ホットスナックコーナーの自分で容器に入れるタイプのおでんを買っていた。
お出汁をたっぷりと入れた大根一つ。
小銭入れをまさぐり、百円を渡し、十円のお釣りを受け取る。
その一連の様を見て一人考えてしまう。

ギャンブルに明け暮れ、愛想を尽かした嫁に出て行かれ、今は独り身。気付けば働き口もほとんど無い年齢になってしまった。日銭を稼ぐため、深夜の警備をやっている。この齢に今の寒さは堪える。出来るだけ着込めるよう薄い服から選び、重ね着していく。最後に洗濯したのはいつか。嗅いでみて大丈夫だと確認し、着る。少し動きにくいが、寒さを凌ぐにはこれ位着たほうがいい。二十二時から勤務し、深夜二時、一回目の休憩。小腹も空いたが身体も温めたい。そんなにお金を使うのも月末までの事を考えると良くない。大根一つにたっぷりのお出汁を入れれば一石二鳥。お出汁は無料だ。

前を見ると、男性はもうおらず、店員がこちらを見ている。買うのか買わないのかはっきりしてくれと溜息の出るような目で。夜の業務はお前らは知らんかもやけど沢山あって、レジが一番邪魔をしてくるねん、はよ一旦落ち着かせて煙草吸いたいねん、と。
すぐにレジを済ませ店を出る。

店を出ると道路に背を向け、ペットボトル専用のゴミ箱に向かって、さっきの男性が立ったまま背中を丸めるようにして大根を食べている。熱い大根を口に入れ、ほくほくと息に混ざった白い湯気が立っていた。

その瞬間、何故か凄く自分を恥じた。
いつからだろう。
こんな事を考えてしまう様になったのは。いや、考えてもいい。想像力は誰にだってあるし、口に出さなければ問題ない。裁かれることもない。
だけど罪にも問われない決定的に悪に満ちた自分を見た気がした。
これは、傾向の問題だ。己の偏り。悲しみを帯びたストーリーを膨らます権利なんて、自分に何故あるのか。

彼は定年退職をし、妻と二人で暮らしている。クリスマス、年末年始を控え、孫たちになにか買ってやりたいなと想い、今少しだけ、臨時のアルバイトをしているのかもしれない。孫の笑顔を見るために。
或いは、結婚などせず、ずっとひたすら自分の好きな絵だけと向き合ってきた。商業的なものは描けなかったのでお金には苦労した。だけど、彼は幸せだったし、今も幸せだ。来年初めて、イタリアの美術館に行ってみる。元々最低限のお金さえあれば充分な生活だったから、流石に旅行に行くには心許ない。なら、最高な旅にするべく、今だけ臨時の仕事を探してみよう。

こんなふうに想像するほうが、頻繁に耳にする「豊かな心」になれる気がする。

部屋に入り、缶ビールを開ける。

ちびちび飲みながら、また考える。
豊かな心とは何か。
頭ではわかっても、心がかさかさと動いている。
何か判然としないものが小さく左右に揺れている。
それをゆっくりと突き止めていく。

僕は無様な人間が好きだ。もがきながら間違ったことを後悔しながら、それでも大丈夫と言い聞かせ、次の朝に向かうような人。そんな人に可笑しみを感じ笑ってしまう。自分がしんどい時そんな人を見て安心出来たし、仮に世界が幸せすぎる人に溢れてたらここまで来れなかった気がする。置いてけぼりを食らったような。残念ながら僕が心を動かされるのは、のたうちまわりながら、少しずつ、何かを見つける人。小説にしたって映画にしたって、いつも頑張ろうと思えて来たのはそんな彼らを見たときだ。まさにそれが自分だから。最初から幸せな人間がいたら、羨ましいけれど、共に笑えないと想う。優しいことを想像する自分ではありたい。けれど、もう少し時間がかかる。

朝六時、彼は家に帰る。帰りがけに買ったビールを飲みながら旨そうに煙草を吸う。テレビをつけニュースを見るともなくうとうとする。朝日が眩しいが、太陽が好きなのでカーテンは閉めずそのままにして眠る。電話がなる。電話口の向こうで僕が話す。

「今日休みやろ。ちょっと行こか」

寝間着かわからないどっちつかずの身なりでいつもの安い居酒屋のいつものテーブルの僕の向かいに座る。

旨そうに煙草を吸いながらビールを注文する。

肴は何でもいい。その日目についたものを数品。

僕は、もう先に呑んでいる。

少し酔いが周り、不満をべらべら口にする男に、僕は言う。

「おまえ、昔からめちゃくちゃやったからこんなんなっとんねん!」

と、思いきり笑いながら。

彼も絶対に笑っている。

その景色は、哀しみを帯びることもなく、町にただ溶ける。

もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。