アメフト

「人を殺す以外なら何してもいい」なんて思っている人は、いくらでもいるはず

学生のころ広告代理店の仕事をしていて、団塊の世代の中間管理職から「人を殺す以外なら何をしたっていいんだ」と言われたことがある。

日大アメフト部の悪質なプレイを巡る監督やコーチの圧力を知るにつれ、この人たちは部活やスポーツを戦争だと位置づけているんだろうなと思った。戦争だから何してもいい。勝たなきゃ意味がないと。そして勝つためには、兵士に仕立てることが必要だと。

教育機関のスポーツ競技で、そう考えている人たちが他でもいるのかどうか、そこはなんとも分からない。日大アメフト部だけが異質なのか、それとも学生アメフト界がそうなのか、あるいは大きな大会のある学生スポーツ界がそうなのか。どうであれ、学生の自発的な意志ではなく、やらせている大人たちの意向なのは間違いない。


なぜ、殺す以外なら何してもと言ったのか?

私が「人を殺す以外なら何をしたっていいんだ」と言われたときは、内心「こいつ頭おかしいのか?」と思った。大前提として、そんなことを私に言ったところで何のプレッシャーにもならない。

広告代理店から仕事をもらっているわけではなく、企業から直接コンタクトがあったプロモーションの依頼が、代理店通しになっただけ。マスメディア全盛の時代は、企業とメディアが広告枠について直に商談しても、管理やお金が広告代理店を経由する。今でもマスメディアは同様だけど、かつてはメディアバイイング以外の仕事だって、なんでもかんでも代理店通しでした。

お金に余裕があった時代とも言えるだろうけど、企業は管理の煩雑さや責任のリスクを回避するために広告代理店を経由させていた。

代理店の担当セクションとしては、しっかり管理していますよ、やらせてますよというスタンスを示したい。私に対しては、イニシアティブを取りたい。だから経過報告をしに行った私を、脅すつもりで「人を殺す以外なら何をしたっていいんだ」と突然かましたんだと思う。

でも、でもですよ。その言葉がプレッシャーになったとしてですよ。私がそんなつもりで折衝する相手は、どこにもいないんです。大勢の学生やクラブ・サークルの人たちに積極的に参加してもらう必要があったから、仲良くして楽しそうだなと思ってもらう必要があったんです。

仮に殺すような勢いで話に行ったら、みんな逃げるだけでしょうよ(笑)

当時の学生の私からしても、バカなの?としか思えませんでしたが、「戦争状態」の心理に追い込みたい人たちは大勢いるのです。そして「人を殺す以外なら何をしたっていい」と考えている人たちだって、いくらでもいるはずです。

私は「人を殺す以外なら何をしたっていいんだ」は、世代にかかわらず、あるクラスタにとってはお約束のフレーズだし、思考法だと思っています。


生きていくことは、戦争と同じなのか?

ビジネス上の競争を戦争になぞらえることは、広く行われています。ランチェスターの法則の原点は、第一次世界大戦のときに提唱された戦闘の法則です。戦闘の法則を企業間競争に応用し、発展しました。

しかしどんな法則を応用しても、社員は目的に向ってまっすぐに進みません。根性論を持ち出してもインセンティブで釣っても、モチベーションにはバラツキがあります。誰にだって感情はあります。

日本で最も使われるのは同調圧力です。しかし、みんながやっているんだから自分だけやらないわけにはいかない、ぐらいの動機では大した戦力にはなりません。戦力を最大にするには、社員を感情や個別性の出てこないマシンにするのが一番です。

商品やサービス、市場や法律を知るための研修ならいいですが、マネジメントなど能力を開発するための階層研修などには、さまざまな背景があります。アウトプレイスメント、選抜などの人事評価等、本当の目的が隠されていたりします。そして一方でチームの一体感・高揚感を煽りながら、もう一方で恥をチームに自己開示するような研修になると、かなりヤバイ。

心理学的に正しい用語の使い方かどうかはわかりませんが、私的自己意識を潰し、公的自己意識をチーム内自己意識だけに書き換える、みたいな研修。言いたいのは、組織内でどう評価されているかだけしか考えない人格に作り替える洗脳の方法だってありますよ、ということです。

そんなの今どきあるか、ですって? ありますよ。この写真は今年に入ってからのもの。白昼の恵比寿駅西口前です。

そんなの小さなバカ会社だけでしょ。ですって? まあ大きな会社は、わざわざ洗脳しなくても同調圧力とチーム内自己意識みたいなものが強いですからね。


メディアは何を撮りたくて何を聞きたいのか

弁護士の進言にもかかわらず、顔を出さない謝罪はありえないと、日本記者クラブで会見した日大選手の態度は、そのこと自体で立派です。法的だけではなく、社会的にも大きなリスクを覚悟しての会見なのですから。

一方、テレビ局各社。弁護士が冒頭、成人したばかりの学生であるため顔のアップには配慮して欲しいと依頼したのにもかかわらず、最初からアップばかり。

質疑応答に入ってからは、選手本人が「僕がどうこう言うことではないと思っています」と答えているのに、監督やコーチ、指導する側に言いたいことは? など実質的に重複する質問ばかりが目立った。これなら何社も質問に立つ必要はなく、代表1社でいい。

学生だとか、さまざまなリスクを抱えていることへの配慮よりも、しつこくアップを取り続けて、決定的な表情を撮りたい。しつこく同じことを繰り返し聞いて謝罪や反省の弁ではなく、怒りの言葉を引き出したい。それを引き出すのがプロだ、ということなんでしょう。

見事な横並びの、業界内自己意識です。


日大は何を広報したいのか

そして日大の広報は、最初からまるで教育機関の広報であることを放棄しているようです。

監督が指示していない。コーチは命令していない。それが事実なら、徹底的に争うことも必要でしょう。指導陣に責任がないのなら、広報としては先に監督やコーチを説得し、記者会見をセッティングすべきでしょう。

それをしないで、後出しで否定し続けても「選手が勝手に暴走した」と言いたいんだなという印象にしかなりません。そして監督やコーチは、表に出したくないんだなということも見えてしまいます。

メディア各社は、それほど引き出したいものがあるなら提供された会見ではなく、監督やコーチを追いかければいいのです。雲隠れしているなら、広報に申し入れて、なぜ責任がないのなら正式な会見をしないのかを、しつこく聞けばいいのです。

広報はマスメディアだけではなく、さまざまな手段を用いて、世の中との良好な関係を築くことが仕事。大学の広報なら、学びの場として優れていますとPRしなきゃ学生は受験してくれないと思うのですが。

監督やコーチによる悪質プレイの指示があったのか、なかったのか。鼓舞する言葉を、勘違いしていたのか。そこが明確じゃなくても、アメフト大学世界選手権大会の日本代表を辞退するように監督が言ったのなら、権限を逸脱して支配しているのは明らか。スポーツの「追い込み」とは異なる、精神的な追い込みをしたのがはっきりすれば、教育機関として弁明のしようがない。


目的意識だけが強くなると洗脳されているのと同じ

テレビ各社は決定的場面を撮る、衝撃的な言葉を引き出す。日大広報は、学生ではなく組織ピラミッドの上部を守る。

目的に向けて、まっしぐら。その手段が間違っているかなんて考える必要はない。となってしまったら、日大アメフト部の監督やコーチがやったことと同じですよね。

「相手のクオーターバックが怪我して、秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう」という理屈と同じようなものです。学生とプロは違うんだ。こっちは生活がかかってるんだという論理だとしたら、日大アメフト部の監督やコーチだって、同じかもしれません。勝てないチームを指導してたら、自分の職があぶないから悪質プレイをやらせたんだと弁明されたら、どうするんでしょうか。

ほら、どこにだってここは戦場、自分は脇目も振らず突撃する兵士。プロなら「人を殺す以外なら何してもいい」論が見え隠れしてるでしょ。

少なくとも手段まで見直せないぐらいの戦場ではないと思いますよ。

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