秀才という病

今年の2月、5年間お世話になったリクルートを退職し、NEWPEACE Inc.に参画した。(自分の会社も作ったが、それはまたこんど。)

久しぶりの方向転換だったので、話が出て、決意し、さらに転職後と、実に足掛け1年もの間、その意味合いについて考えていた。すると、過去の自分が嵌まり続けた(そして周りに迷惑をかけた。)悪循環と、そこからの脱出、という構図が見えてきた。

この類の話については、知らんがなという声もあるに違いない。が、僕と似た人にとっては、役立つとまでいかずとも共感はできる内容だと思うし、何より、当人にとっては、晒け出してこそ救われるという面がある。ということで、記録と鎮魂の意味を込めて文章にしておく。

僕について

リーマンショックの傷跡も生々しい2010年、大学院を卒業して社会に出た。新就職氷河期、という言葉ができるくらいには厳しかった就活市場だったが、運良くとある消費財メーカーと縁があり、入社した。世界的な人材輩出企業の中でも、花形の部門に配属され、鼻高々だったのも束の間。世間知らずゆえの根拠なき万能感と自分が無力なヒヨッ子であるという事実とのギャップに、精神が耐えきれず、1年足らずで強迫性障害を患って退職することになった。

辞めたところで、これだったらやれる、ことがあるというわけもなく、その後の仕事はどれも続かず、人に迷惑をかけた。仕事がないので、常に金に困っており、消費者金融からの借金で首が回らなかった。ひょんな縁があって住むことになったシェアハウスでは、引き篭もりがちながらも、同居人たちが催すパーティーのおこぼれにあずかって生きていたが、解散後は、自分だけ行き場がなかった。見かねた優しい後輩の家に居着いたが、家賃も払えなかった。公園で寝ていた時期もあった。

2年ほどそんな暮らしを続けたものの、リアルに明日の飯に困る、という状態に、心は完全に擦り切れていた。藁にもすがる思いで再就職口を探していた僕を、拾ってくれたのがリクルートだった。面接は、一生けんめい創作した志望動機を開始直後に喝破され、そのまま2時間以上お説教という、地獄絵図だった。にもかかわらず、採用通知が届いたときには、思わず熱いものが込み上げた。

会社に恩を返すべく、飛んでくる球全てに、フルスイングを続けた(空振りもした。)結果、その後の5年は、嘘みたいに順調だった。いくつかの仕事で表彰を受け、20代で部下を持ち、任された組織は2年ほどで売上が2ケタ億、50名超の規模になった。最後の1年はヘッドクオーターに出向し、海外の子会社の管理を担当した。1日1食、塩だけかけたパスタで食いつないでいたのが、いつのまにか、1年の半分を海外で過ごし、5つ星のホテルで仕事をするようになっていた。

狭い社内にあっては、できすぎの感さえ漂うサクセスストーリーだったので、辞める理由は何度も聞かれることになった。実のところ、NEWPEACEの代表である新平(シェアハウス時代、苦楽を共にした親友でもある)が、話を持ちかけてきたとき、決心はすぐについたのだが、その理由や意味までは言葉にできなかった。お世話になった方々や家族に説明する責任があったし、できることなら理解してもらいたかったので、相当考えた。が、どれだけウンウンやっても、この機会を失したら後悔する、ということ以外、はっきりしなかった。

結局、半年ほどかけて話を重ね、概ね円満に片を付けることができたものの、自分なりに納得できるまでには、転職してさらに数ヶ月かかった。

秀才という病

「秀才」と言われて喜ぶやつなんかいない、というのは言い過ぎか。天才とは言われないが秀才とはよく言われる、という人がいたら、わかってもらえるかもしれない。

今日の会話の中で、秀才という言葉を使うときには、程度に差こそあれ、天才ではない、という趣旨が含まれているように思う。さらにいうと、天才と秀才の使い分けのポイントは、その唯一性にある。すなわち、天才は、絶対的な、バイネームの存在であるのに対し、秀才は、相対的にある程度優秀な、ワンオブゼム、というわけ。

そんな秀才も、ある環境では絶対的存在だった、というケースは多い。いわゆる、地元の神童、というやつだ。ひょっとしたら、世の中みんな、そんな話のひとつやふたつは持っている、ということなのかもしれない。幼い頃、コミュニティ内での相対的な優位性が自分の全てだったとしても、それは永遠に続きはしない。どんなお山の大将だって、いったんは何者でもない自分を受け入れ、もがきながらも、アイデンティティを確立していく。よくある話。

普通はそうなのだが、相対的に特別だった自分が、自我の全てとなっている場合は、なかなか大変だ。僕がその典型だが、そういう人間は、自分が特別であり続けるため、袋小路を行ったり来たりすることになる。

小学生の時分、僕は勉強も運動も人並み以上にできた。関西で幅を利かせている某学習塾のテストに、飛び入り参加で全国トップ10に入ったり、学校では、ある教科のテストで1年間満点を取り続けたこともある。学校を代表して小連体のリレー(ちなみに、甲子園で開催される。贅沢。)に出て、優勝したりもした。

そんな神童のご多分に洩れず、地元の公立小学校から、私立の中学校に進学したところまではよかった。入試をトップの成績で通過し、一番できるクラスの級長を仰せつかった。ところが、良かったのは初めだけで、すぐに、テストの成績は中くらいになった。僕程度の人間は、そこでは特別な存在ではなかったのだ。お山の大将であること以外に、ポジションの取り方を知らなかった僕は、凡庸な存在に成り下がった自分に耐えられず、非行に走り、不登校になり、退学して地元の公立中学に出戻った。

地元の中学校では、全校生徒の半数が僕と同じ小学校からの進学組だったので、難なく神童に復帰できた。その後、高校卒業までは、地元でわりと楽しく過ごした。

高校卒業後は、大阪大学の工学部に入学した。ピカピカの学歴一等賞ではないものの、相当優秀な部類の大学だ。当たり前のように天才がいて、神童ポジションは再び失われることになった。今思うとナメているとしか言いようがないが、当時はなぜか文系を下に見ており、文転のためにせっせこ勉強した時期もあった。部活と研究室の仲間がいなければ、間違いなく中退していただろう。

大学院卒業後は、前出の通りだ。保護者の下で、時限的に組織に属する教育課程とは違い、社会に出たら、簡単には逃げられない。心を病んだ僕は、会社を辞め、その後しばらく、あてのない自分探しを続けることになった。

このケースを泥沼化させる構造的な要因が2つある。

まず、この類の人間は、ある環境で満足しても、そこに留まることができないこと。自我と社会的なポジションが一体化しているので、環境そのものをランクアップさせたい欲求に勝てないのだ。試験にはめっぽう強いこともあり、たいてい成功するが、それは同時に、自分の相対的なランクの下降を意味する。そこから、環境に適応しようとすることによって成長する過程が大切なのだが、前提に必要な、自分はまだ何者でもない、という事実を正視することができない。結果、本質的には何も変わらないまま、厳しい環境に身を置くことになり、凡人に成り下がった自分に耐えられず、逃げ出すことになる。

もうひとつは、この流転の果てに秀才が天才に化けることが、まずないということだ。どこかで踏みとどまって努力すればあるいは、というのはありそうなものだが、それができないから、地元の神童どまりなのだ。天才には努力などという概念は存在しない。彼らは努力を努力と思わず、他人の目など気にしない。特定の対象に対し、どこまでもまっすぐに執念を燃やすだけだ。相対性への無関心さこそが本質なのだから、そもそも秀才とは重なり得ない。

僕ほど極端でないにせよ、同じような人はある程度いるだろう。他責にするつもりはないが、秀才とは構造的に引き起こされるアイデンティティクライシスであり、高度にネットワーク化・目的合理化された社会が生む、病のようなものだと言える。

DETACHMENT

リクルートではいったい何が起こっていたのだろう?5年という期間をどう捉えるかは意見が割れるかもしれないが、それまでとは訳が違うのは確かだ。結論から言うと、僕の病は治ったわけではない。僕は自分に麻酔をかけていたのだ。

冒頭で書いたように、再就職の動機は、単にせっぱつまったからで、またドロップアウトしないための対策があるわけではなかった。だからこそ、当時の一番の恐怖は、自分の悪癖が繰り返されることだった。次は社会的に死ぬぞと、本気で思っていた。大袈裟かもしれないが、秀才的価値観で生きてきた秀才には、秀才的環境からの脱落は死と同義だったのだ。

そんな感じだったので、対策として、仕事に関する私的な感情や思考を一切持たない、というきまりを自分に課すことにしていた。心に麻酔をかけるようなものだ。当時はリアルに死の恐怖を感じていたので、異常なほど徹底しており、誰もやりたがらない社内イベントの企画をゴリゴリに作り込み、軽くやり過ごそうとしていた人を閉口させたりしていた。そもそもの理由は消極的なのだが、結果的に100%ビジネス文脈で動く傭兵ができあがるわけで、成果は明らかだった。

自分は何者で、どこへ行くのか。そこから目を背け続けることが当座の回答だった。感情というブレーキを封印し、恐怖という最強の駆動力を得て走り続けたことが、僕を周囲から際立たせていた。サッカーの試合に、負けたら殺される奴が、痛みも疲れも感じない状態で混ざっていたら、活躍するに決まっている。

とはいえ、感情を完璧に消せる人間などいない。ことがうまくいったときには、プラスの感情があった。だが、輪郭のはっきりしない喜びや楽しさの横には、いつも、質量を伴う焦燥があった。そんなわけで、賞を取ったり、辞令を受けたりといった節目の瞬間も、あまりうまく思い出せない。いちばん鮮やかな記憶といえば、はじめてのボーナスの額を知らされた時のものだ。社会人1年目から滞納していた税金を払えることになり、息がしやすくなったような気がしたことをよく覚えている。

覚醒

どんな麻酔もいつかは切れる。拾ってもらってから4年以上が経ち、ポジションが上がり、少しずつだが、死の恐怖は薄れていった。そんな折、原籍のグループ会社から、ヘッドクオーターに出向になった。ここでの出来事が、僕の目を醒まさせることになった。

ひとつには、辞令そのものの意味合いがあった。当時の役職からして、次は役員であり、異動がその準備でもあることは、想像に難くなかった。時価総額が5兆円を超えるような企業の中枢に、論理的に成り立っていないことを主張する人間などいるはずもなく、そこで起こるのは、正論と正論のぶつかり合いだ。自論を、あらゆる手段を講じて実現し、象徴となれる人間でなければ、価値を発揮することはできない。バリバリのバイネーム同士のガチンコであり、麻酔でごまかしが効くような世界ではない。また、立場的にも、向こう10年くらいを突っ込む覚悟が必要だった。

もうひとつは、仕事を通じての経験だ。いくつかの海外の子会社の経営状況のモニタリング・戦略策定支援や、資金調達・時には清算・売却の判断を促すという、難しいが、貴重な機会をいただいた。ファイナンスの知識が必要だったので、門外漢だった僕は必死で勉強し、その面白さに感激さえした。だが一方で、日本のIT系の上場企業が世界で勝負する困難さも知ることになった。ひとえに、投資量が大勢を決めてしまうという問題である。大半のIT系上場企業にとって、世界進出とは、コーポレートガバナンスの刷新という途方もない挑戦であり、さらにその先にあるのは、格上のグローバルジャイアントとの、終わりの知れないマネーゲームかもしれない、ということだ。

この時点で僕は、自分が痛み止めを打って暴走してきたに過ぎず、アイデンティティクライシスを克服していないこと、この先に広がる世界に挑めば、過去の繰り返しが起きるであろうことを、直観的に感じ取っていたと思う。

新平からの誘いがあったのは、そんな時だった。

UNLEASHED

まだ世間の認知は浅いが、高木新平は、おそらく、天才だと思う。7年前に知り合って以来、うっすら思ってはいたが、数ヶ月、二人三脚で経営をやってみて、確信に近くになった。
誘われた当初「親友から必要とされている、それに応える」ということでしか説明ができなかったのが、新平と時間・空間を共にし、秀才という病への理解が進むにつれ、自分の意思決定について、本質的な解釈ができるようになった。

結局、今回の決断は、四半世紀続けた「秀才レース」を降りる、ということだったのだ。それはまた、1人でオンリーワンになることを、諦めたということでもある。会社を飛び出したり、コンクリートジャングルで家なき子をやってみたり、というのは、無名性への自分なりの抵抗だったが、システムの内部にがっちり組み込まれた僕が、脱出速度に達することはできなかった。

これは一種の降伏宣言だから、悔しさ、悲しみはもちろん、後悔、虚無感、過去の自分への哀れみといった痛みが伴う。しかし、同時に、過去の自分を葬り悼むことは、自分を縛り続けてきたものから解放されるための、通過儀礼でもある。コミットメントには血が流されなければならない。騎士団長は殺されなければならなかった。

天才と秀才

ここまで書いてきたことを読み返すと、結局、秀才は外部の何かに依存せざるを得ず、その対象が社会という巨大なシステムか、天才という絶対的な存在かという違いに過ぎないように思えるかもしれないが、そうではない。僕らのケースに限らず、天才と秀才の能力は補完関係にある。

天才が天才たる所以は、その相対性への無関心さであると書いた。彼らの思考は既存のシステムの外で行われており、そのアイデアは、既存のシステムを必ずしも前提としない。そうやって、新奇性やアウトスタンディングな結果が担保されている。だがそれゆえに、他者にその本質の理解を促し、既存のシステムと接続するのは、骨の折れる作業だ。

例えば、NEWPEACEでは、比較的大きな企業から依頼を受けて進める案件も多いが、これまでは、取り組みに継続性を持たせることが難しかった。新平のアイデアが、パートナーとなる企業が前提としているシステム(すなわち既存のシステム)を前提としていないため、組織や予算の構造と合わないのだ。依頼者が社長クラスの意思決定者でなければ、アイデアを採用することができず、それが叶っても、取り組みが現場に委ねられるフェーズになると、座組みができずに頓挫する、ということが少なくなかった。

また、ちょっと前まで、メンバーがコロコロ入れ変わっていた。これは、内部に対する説明能力の欠如によるものだ。どんなお題にでも、条件反射的にアイデアが出てしまう天才は、そうでない人間にそのプロセスを説明するのが上手くなく、また、既存のシステムで育った人間の、自分とは全く異なる思考回路についても、想像する力が弱い。これでは、人を教育したり、説得したりということは難しい。盲目的なフォロワーか、同じ種類の天才以外は一緒にいることができない。

秀才が無名性と戦う世界の裏側で、天才は孤独と戦っている。

結局、天才の新奇性の本質を紐解き、そうでない人間が大半を占める世界に展開するには、既存のシステムに立脚した視点が不可欠なのだ。そして、それを彼らに求めることはできない。秀才が天才になれないのと同じことだ。自分たちが何を発明しようとしているのかを紐解き、説明し、受け入れやすくしてやり、必要な妥協やケアについて考える人間が必要なのだ。それにより、彼らの発想の展開効率は著しく高まり、そこにコミットする秀才は、1人では得がたい絶対性を獲得することになる。

共にいることで、天才は秀才に絶対性という希望の火を灯し、秀才は天才を孤独から救うことができる。

新平と僕

すこし前、みんなでお昼を食べていたら「新平さんが父親で、アキオさんが母親で、NEWPEACEは子供みたいっすね!」と言われた。「なんだよ、それ。キモチワリイなあ。」とか言いながら笑っていたのが、最近は、なかなかどうして本質的、とも思う。

NEWPEACEは、孤独に抗う天才を起点に集まった、互いに必要としあう人間の集まりである。システムとしては全くもって未熟で、今後生きのびるために、もっと外界との繋がりを維持する仕組みが必要だ。一方で、僕がそうであったように、システムには、弱いものや小さなものを取り込み、機械化する側面がある。キャピタリズムという強大なイデオロギーが支配する世界で、「NEWPEACE」を発信し続けるためには、組織であると同時にヒトであり続けなければならない。

つまり僕らは、企業というよりファミリーでなければならないし、その中で僕の役割は、確かに母親的(あくまで観念的に。僕はセクシストじゃないです。)と言える。出稼ぎに出る父親と、家族たちのため、家を切り盛りする。皆が食べていけるようにしなければならないが、その前提には人間としての家族がある。ハンナ・アーレント的に言うと、外界からの光の圧倒的な眩しさと、そこから壁で隔絶された、家庭という闇の底なしの引力の間で、バランスを取るのである。

僕らが7年前に出会ったとき、無職で、何者でもなく、少ない仕事を分け合い、同じ家が居場所だった。シェアハウスを解散し、いったん道は別れることになったが、それでも互いに「きっとこの先何かを一緒にやるんだろう」と感じつづけていた。照れくさいので普段は言葉にしないが、運命的な何かがそこにはあったと思う。そういう意味でも、社長と右腕という、ゲゼルシャフト的なものより、父と母という、ゲマインシャフト的な関係の方がしっくりくる。

この「母親宣言」は、取りも直さず、僕のコミットメントの度合いを示すものでもある。COOという肩書きに内包されたコンパーティビリティは、母親という言葉にはない。母親がころころ替わったら困る。当たり前の話。NEWPEACEというファミリーを存続させ、家族全員を幸せにし、新平にとっては女房的存在であり続ける。死がふたりを分かつまでというやつだ笑。

そうやって僕は、秀才という病から、解放される。


※古巣を批判する意図はありません。(そのようなことも書いてませんが。)アダルトチルドレンの典型だった僕を、リスクを取って拾ってくれ、成長の機会を与え続けてくれたリクルートの皆さんには、感謝してもしきれません。いまも大好きで、最高にリスペクトする企業の一つです。お世話になった人たちに、自分が何を考えていたのか、この文章でちゃんとお伝えすることができたらよいのですが。

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コメント7件

ありがとうございます。またどこかで書こうと思いますが、既存の大きな社会システムのパーツになりきってしまうと、お金は稼ぎやすいですが、インディペンデントに小さく尖る意味は薄れると思います。そういう意味で、ファミリー感を失わずにいたいです。
どこまでも密度の濃い文章にいつのまにか引き込まれて読んでいました。なにか意見が言えるわけではないのですが、この一塊の文章をじぶんのなかに取り入れることができてよかったです。シェアありがとうございました。
自分のために書き、自分のために公開した、極めてパーソナルなものですが、役に立ったようであれば良かったです。こんな個人的な文章の中に書かれてしまった言葉たちも、報われるというものです。
別の方の記事内でシェアされており、そこから村上さんの記事に飛んできました。この記事を読むことができてよかったです。学ばせていただいた部分が一つや二つではありません。今までの自分の中にはなかった概念をいただきました。ありがとうございます。村上さんのこともNEWPEACEのことも応援いたします!
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